太陽の休日
『太陽の休日』
木曜日の夜。時計がPM21:00を示すちょっと前、カヅキは日々の習慣でNHKにチャンネルを回した。そして思わず舌打ちをした――そんなカヅキを、ママはちょっとだけ窘める。
「こら、カヅ。舌打ちは癖になるからやめなさい。はしたない、と言うより嫌われるよ?」
「だってママ。……土曜も日曜も雨だって。桜散っちゃうよ。お花見出来ないじゃん」
週間天気予報によれば、『週末は全国的に雨。傘が手放せないでしょう』とのこと。うそーん。カヅキは盛大にため息をつく。
「キョウコとかユリっちとかと約束してたんだよ、夜桜見に行こうって。お酒飲んでついでに花火なんかしちゃったりしてっていろいろ計画してたのに、全部パーじゃねえかよおおおお」
絶叫するカヅキを、ママは冷めた眼で一瞥する。
「あんたねえ……そんなことばっかり考えてるからバチが当たったんじゃないの? 卒論はどうしたの。このままじゃ就職どころか卒業も――」
ああもう分かった分かった――ママはことあるごとにソツロンの四文字を口にする。ここ最近は特に。無論心配もあるんだろうが、それ以上に“不毛な会話を打ち切るには、この方法が一番手っ取り早い”と、ママ自身が最も理解しているからだ。そのことはカヅキも薄々気がついていた。
確かにうちには手のかかる子供が二人もいますし。あたしもハタチを過ぎたとは言えまだまだ子供ですけど。天気に対するやるせない思いぐらい、聞いてくれたっていいんじゃございません? カヅキは二重にショックを受けて、当然机に向かう気力もなくベッドに倒れ込んだ。
三宅家の長女、香月二十一歳。下には十七歳と十一歳の弟がいる。芸術学科の、多分ごくごく一般的な、普通の大学生。来年には卒業なんだけど、さっきママが言った通り就職先なんてものは決まってなかったりする。えへ。
……そりゃあたしにだって、夢とか希望なんてものがあったこともありました。でも今は不安とか、焦りとか、そういうどうしようもない現実ばかりが眼の前を覆っていて。やっぱりあたし、普通でいいや。就職出来るかどうかは分かんないけど、ママやその他大勢のように普通に恋をして、いずれ結婚して子供を産んで……。
「うえっ……」
最近そんなことばかり考えては、息が詰まる。むねがくるしい。学校では特に何事もないように振る舞っている――つもりだった。くだらないことでうじうじ悩んでる自分なんて誰にも見せたくないし、何よりそんな自分は自分が一番嫌い。そうやって無理をするから余計に苦しくなるのかもしれないけど。
そのようなカヅキの心境を知ってか知らずか、高校時代に出来た友人二人――今は別の大学に通っている――が、「花見に行こうぜ!」と声をかけてくれた。嬉しかった。……そうだよね、たまにはパーっとやらないと!
ところがにっくき傘マーク。あいつのせいでせっかくの休日が! 日本の文化の象徴である桜が!! ……なんかもうマジで絶望的……。あたしもいっそ桜のように散ってしまいたいわ。辞世の句は『夢見花 永久に咲けよと 祈りつも 定めゆえ散る 儚さよ』。字余り。うんこれでいい、もう思い残すことは何も――。
本当に死のうとか物騒なことを考えているわけではなくても、ヤケになって人生終わったみたいな感覚。もういいや、全部どうでも――。そんなお先真っ暗な心理状態で、カヅキは眠りについた。
翌日の、キョウコからのメール。
『明日どーする?』
『どーつっても、雨じゃしょうがないじゃん』
『そうだけど……せっかくだから久々に集まりたいじゃん、花見は無理でも』
そんなこと言ったって、雨なのよ? 傘がないとどこにも行けないのよ? 集まるにしても誰かの家とか? うちは無理だよ、うるせー弟が二人もいるんだから。
結局何も決まらずじまい。あーユウウツ……。仕方ないから不貞寝してよう、でも卒論やんないと……。カヅキはものすごくもやもやしながら金曜日を終えた。
「じゃーんっ!」
何の連絡もなく突然やってきたキョウコとユリは、二人ともレインコートに身を包んでいた。靴は長靴。
「完全装備! えへへ、昨日買ったんだー」
満面の笑みを浮かべるキョウコ。黄色のレインコート。
「キョウコったら私達の分まで買ってくれたんだよ。はいこれ、カヅキの」
水色のユリがそう言って、地元のデパートのビニール袋を差し出す。
おいおい、だいがくせーにもなって雨がっぱかよ……。カヅキは内心呆れつつも、苦笑しながらビニール袋を受け取った。中のかっぱは真っ赤だった。
雨がっぱを羽織ったカヅキは、やっぱりめんどくさいなあと思いつつも、二人と共に近所の公園へ出向いた。
「花見って言ったら桜もだけど、屋台で買い食いするのが一番の楽しみなのにねー」
ユリがいかにも残念そうに呟いた。
「だよねー、あたしじゃがバター絶対食べようと思ってたのに。屋台の食べ物って、なんかみょーにおいしいよね!」
キョウコは楽しげに返したけど、カヅキはいまいちこの状況を楽しめずにいた。
……なんでだろう、ってかあたし、浮いてない? 彼女達と会うのは何ヶ月ぶりだろう。そして自分もこの日を楽しみにしていたはずなのに。なんだか二人の姿が、とてもとても遠くて――。
「カヅキ……もしかして調子悪い?」
「えっ?」
ユリに突然声をかけられて、カヅキははっとして顔をあげる。
「うん、なんか元気ないよね……悪いことしちゃったかな」
「な、何言ってんの。そんなことないよ」
咄嗟のことに、カヅキはありきたりな言葉しか返せなかった。でも嘘はついていない、はずだ。
「うーん、今はいつも一緒にいるわけじゃないし、なんで悩んでるのか分かってあげられなくて悪いんだけど」
キョウコがいつものように、こざっぱりとした口調で言う。それが彼女のいいところ。そしてみんなに好かれる理由。
「一人で抱え込まずに相談してみたら? ……無理とは言わないけどさ」
なんだかなあ――カヅキはぼんやりと思った。
自分ではうまく隠しているつもりだったのに、この二人には簡単に見透かされてしまった。それどころかいらん心配までかけて。
あたしは大丈夫。そう喉まで出かかったけど、結局すぐに引っ込んでしまった。
「……二人は進路、決まってるんだっけ」
不意にカヅキの口をついたのは、そんな疑問。そう言えばお互いに報告してなかったはず。
「進路って……さすがにこれ以上勉強はしたくないなあ。かと言って会社勤めもいやだし」
「え? じゃあどうすんの、フリーター?」
「多分ねー、さすがにニートはまずいしねー」
キョウコはケラケラ笑っている。つくづくのんきなヤツ。
「えっと……ユリっちは?」
「わたし? 免許取るまでは教育実習生かなあ。他にやりたいことがないわけでもないけど……」
あ、そうだよね。ユリは学校の先生になるんだもんね。馬鹿なこと聞いちまった。
「カヅキはもの作りがしたいんだよね」
「へ?」
我ながら間抜けな声だ、とカヅキは思った。
「なんか抽象的だけど、ずっとものを作り続けたいって言ってなかったっけ」
「…………」
木曜日の夜。時計がPM21:00を示すちょっと前、カヅキは日々の習慣でNHKにチャンネルを回した。そして思わず舌打ちをした――そんなカヅキを、ママはちょっとだけ窘める。
「こら、カヅ。舌打ちは癖になるからやめなさい。はしたない、と言うより嫌われるよ?」
「だってママ。……土曜も日曜も雨だって。桜散っちゃうよ。お花見出来ないじゃん」
週間天気予報によれば、『週末は全国的に雨。傘が手放せないでしょう』とのこと。うそーん。カヅキは盛大にため息をつく。
「キョウコとかユリっちとかと約束してたんだよ、夜桜見に行こうって。お酒飲んでついでに花火なんかしちゃったりしてっていろいろ計画してたのに、全部パーじゃねえかよおおおお」
絶叫するカヅキを、ママは冷めた眼で一瞥する。
「あんたねえ……そんなことばっかり考えてるからバチが当たったんじゃないの? 卒論はどうしたの。このままじゃ就職どころか卒業も――」
ああもう分かった分かった――ママはことあるごとにソツロンの四文字を口にする。ここ最近は特に。無論心配もあるんだろうが、それ以上に“不毛な会話を打ち切るには、この方法が一番手っ取り早い”と、ママ自身が最も理解しているからだ。そのことはカヅキも薄々気がついていた。
確かにうちには手のかかる子供が二人もいますし。あたしもハタチを過ぎたとは言えまだまだ子供ですけど。天気に対するやるせない思いぐらい、聞いてくれたっていいんじゃございません? カヅキは二重にショックを受けて、当然机に向かう気力もなくベッドに倒れ込んだ。
三宅家の長女、香月二十一歳。下には十七歳と十一歳の弟がいる。芸術学科の、多分ごくごく一般的な、普通の大学生。来年には卒業なんだけど、さっきママが言った通り就職先なんてものは決まってなかったりする。えへ。
……そりゃあたしにだって、夢とか希望なんてものがあったこともありました。でも今は不安とか、焦りとか、そういうどうしようもない現実ばかりが眼の前を覆っていて。やっぱりあたし、普通でいいや。就職出来るかどうかは分かんないけど、ママやその他大勢のように普通に恋をして、いずれ結婚して子供を産んで……。
「うえっ……」
最近そんなことばかり考えては、息が詰まる。むねがくるしい。学校では特に何事もないように振る舞っている――つもりだった。くだらないことでうじうじ悩んでる自分なんて誰にも見せたくないし、何よりそんな自分は自分が一番嫌い。そうやって無理をするから余計に苦しくなるのかもしれないけど。
そのようなカヅキの心境を知ってか知らずか、高校時代に出来た友人二人――今は別の大学に通っている――が、「花見に行こうぜ!」と声をかけてくれた。嬉しかった。……そうだよね、たまにはパーっとやらないと!
ところがにっくき傘マーク。あいつのせいでせっかくの休日が! 日本の文化の象徴である桜が!! ……なんかもうマジで絶望的……。あたしもいっそ桜のように散ってしまいたいわ。辞世の句は『夢見花 永久に咲けよと 祈りつも 定めゆえ散る 儚さよ』。字余り。うんこれでいい、もう思い残すことは何も――。
本当に死のうとか物騒なことを考えているわけではなくても、ヤケになって人生終わったみたいな感覚。もういいや、全部どうでも――。そんなお先真っ暗な心理状態で、カヅキは眠りについた。
翌日の、キョウコからのメール。
『明日どーする?』
『どーつっても、雨じゃしょうがないじゃん』
『そうだけど……せっかくだから久々に集まりたいじゃん、花見は無理でも』
そんなこと言ったって、雨なのよ? 傘がないとどこにも行けないのよ? 集まるにしても誰かの家とか? うちは無理だよ、うるせー弟が二人もいるんだから。
結局何も決まらずじまい。あーユウウツ……。仕方ないから不貞寝してよう、でも卒論やんないと……。カヅキはものすごくもやもやしながら金曜日を終えた。
「じゃーんっ!」
何の連絡もなく突然やってきたキョウコとユリは、二人ともレインコートに身を包んでいた。靴は長靴。
「完全装備! えへへ、昨日買ったんだー」
満面の笑みを浮かべるキョウコ。黄色のレインコート。
「キョウコったら私達の分まで買ってくれたんだよ。はいこれ、カヅキの」
水色のユリがそう言って、地元のデパートのビニール袋を差し出す。
おいおい、だいがくせーにもなって雨がっぱかよ……。カヅキは内心呆れつつも、苦笑しながらビニール袋を受け取った。中のかっぱは真っ赤だった。
雨がっぱを羽織ったカヅキは、やっぱりめんどくさいなあと思いつつも、二人と共に近所の公園へ出向いた。
「花見って言ったら桜もだけど、屋台で買い食いするのが一番の楽しみなのにねー」
ユリがいかにも残念そうに呟いた。
「だよねー、あたしじゃがバター絶対食べようと思ってたのに。屋台の食べ物って、なんかみょーにおいしいよね!」
キョウコは楽しげに返したけど、カヅキはいまいちこの状況を楽しめずにいた。
……なんでだろう、ってかあたし、浮いてない? 彼女達と会うのは何ヶ月ぶりだろう。そして自分もこの日を楽しみにしていたはずなのに。なんだか二人の姿が、とてもとても遠くて――。
「カヅキ……もしかして調子悪い?」
「えっ?」
ユリに突然声をかけられて、カヅキははっとして顔をあげる。
「うん、なんか元気ないよね……悪いことしちゃったかな」
「な、何言ってんの。そんなことないよ」
咄嗟のことに、カヅキはありきたりな言葉しか返せなかった。でも嘘はついていない、はずだ。
「うーん、今はいつも一緒にいるわけじゃないし、なんで悩んでるのか分かってあげられなくて悪いんだけど」
キョウコがいつものように、こざっぱりとした口調で言う。それが彼女のいいところ。そしてみんなに好かれる理由。
「一人で抱え込まずに相談してみたら? ……無理とは言わないけどさ」
なんだかなあ――カヅキはぼんやりと思った。
自分ではうまく隠しているつもりだったのに、この二人には簡単に見透かされてしまった。それどころかいらん心配までかけて。
あたしは大丈夫。そう喉まで出かかったけど、結局すぐに引っ込んでしまった。
「……二人は進路、決まってるんだっけ」
不意にカヅキの口をついたのは、そんな疑問。そう言えばお互いに報告してなかったはず。
「進路って……さすがにこれ以上勉強はしたくないなあ。かと言って会社勤めもいやだし」
「え? じゃあどうすんの、フリーター?」
「多分ねー、さすがにニートはまずいしねー」
キョウコはケラケラ笑っている。つくづくのんきなヤツ。
「えっと……ユリっちは?」
「わたし? 免許取るまでは教育実習生かなあ。他にやりたいことがないわけでもないけど……」
あ、そうだよね。ユリは学校の先生になるんだもんね。馬鹿なこと聞いちまった。
「カヅキはもの作りがしたいんだよね」
「へ?」
我ながら間抜けな声だ、とカヅキは思った。
「なんか抽象的だけど、ずっとものを作り続けたいって言ってなかったっけ」
「…………」