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黒間ヒサイチ
黒間ヒサイチ
novelistID. 26675
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黄昏の太陽

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†序

 春。
 まだ肌寒さが残る大気の海に飛び込んだ僕は、乱れた呼吸を整えつつ、桜舞う通学路の真っ直ぐを見つめた。
 朝の日差しの、ほのかな温度。遠くにぼやく都市の喧噪。鼓膜に入り込んでざわめく低周波。
 この一見穏やかな時間を振り払うかのように、僕は再び走り始めた。
 袖を通したばかりの真新しい学生服に難儀しながら、人気まばらな住宅地の小路に、履き慣れぬ靴底をひた鳴らす。いつの間にやら、僕の四肢は尋常じゃない慌てっぷりで、時折その挙動すらチグハグだ。それに、長年帰宅部で鍛え上げてきた強心臓はもはや気息奄々、やんぬるかな、である。
 しかし、今更何を言い逃れしようとも、刻々と差し迫る時間は止まってはくれないのだ。

 そう、僕は、かなり焦っていた。

 《4/6(tue.) AM09:52》
 左手に滑らせた携帯電話の液晶パネルが、今の僕にとって残酷な意味の数値を光らせた。そりゃあ、立ち止まって頭でも抱えたくもなるものだ。僕がこれから迎えようと言うのは、紛れもない、『高等学校の入学式』という、自分の人生にとって(それなりに)一大行事だったのだから。
 件の入学式の開式時間は、確か午前十時からだった。入学試験で一度訪れたきりの勝手知らぬ学校だけに、いかほどの時間的猶予が残されているのか、僕には見当さえつかない。
 そのうち、己の持久力が再び限界に達し、僕は不本意にもブレーキをかけざるを得なくなった。こんな情けないペースで、果たして開式の時刻に間に合うのだろうか。アスファルトのど真ん中で携帯を握りしめ、著しく乱れた呼吸を唾液とともに喉の奥に押し込みながら、僕はしばし呆然とするより他なかった。
 と、付近から誰かのけたたましい足音と息遣いを感じ、僕は咄嗟にそちらに振り返った。見ると、学生服姿の見知らぬ男子が、息も絶え絶えに、すぐそばの電柱の陰にうなだれているではないか。
 同じ真新しい学生服に、履き慣れない革靴。遅刻間際の自分に途方に暮れ、携帯電話の明滅に苛立つ仕草――そんな、笑える程に全く同じな二人。
 彼は同年代の中でもかなり長身の、立派なガタイの持ち主のようで、いかにも愛嬌の無さそうな表情が、一種の近寄りがたい雰囲気を醸し出している。相反して僕はあまり気の強い方ではないからだ。どこぞの男性向けファッション雑誌のモデルでも真似したかのような彼の長髪は、どこかやつれ気味な風情で、よくは見えないがどこかで金属の鎖のようなものが神経質な音を立てた。僕は、ちょっと軽薄そうな奴だな、などと偏見的な眼差しで彼のことを見てしまっていた。
 こちらに顔を上げた相手は、すぐさま僕の視線に気が付いた。さり気なく目を泳がせた僕を尻目に、険しい表情はそのまま、こちらに見せつけるようなオーバーアクションで首を傾げてみせる。そして、予想外にも、僅かに不敵な笑みを浮かべつつ彼はこう言ったのだ。

「…………遅刻すんぞ、ど初っぱなから」

 野太い声は、しかしまるで囁くようにさり気なく、人通りの途絶えた裏道に響き渡った。

 それは、他愛もない出会いだった。
 日常という時間軸の中の、ほんのちっぽけな変化。
 だが――
 ――かけがえのない物語と想い出達の、静かなる序曲に違いなかった。


†1

 僕の退屈な学校生活を一変させたのは、彼女との出会いだった。

 それは、三時限目終了を示すチャイムの甲高い電子音が、無人の廊下にひとしきりこだました後の出来事だった。
 やっと退屈な授業が一つ片付いた――そんな不毛で非生産的な達成感と安堵感が僕を支配したのは、ほんの一瞬の間だけ。
 知恵熱に溺れそうなほど難解な授業の果てに得た、つかの間の安息。意味不明な出典の並ぶ現代国語の分厚い背表紙を眠たげに横目で睨み付けて、自分の机の中を占拠するガラクタ群の狭間に、少々乱暴にねじ込む。
 そうして、我がクラスメート達の多勢に倣い、休憩時間という水を得た僕は、すぐさま廊下に飛び出――すような真似は、実はしない。無気力オーラ全開状態で、ボサボサの頭を机の硬い盤面に打ち付け、気の抜けた顔を両腕で覆い隠す。
 特に悩み事があるわけではなかった。
 僕は、格別性格が明るくもなければ、暗くもない。学業や学校生活に問題があるわけもなく、クラスメートの間で孤立しているということもない。
 問題なんて、どこかにも、何も、一切、ない。
 というよりも、僕には大したものが何もなかった、と言った方がよい。
 ただ単に、僕はそういう種類の人間だったのだ。たったそれだけのこと。

 そうして、新入生の仲間入りを辛うじて果たした僕。あれからゆるり低空飛行を続けた季節は初夏の入り口まで辿り着き、かつての爽やかな空気も影を潜めつつあった。一方で、僕の人生も真っ盛りに白熱――と言えるほど順風満帆で面白みのある変化は、前述の通り。要するにそういう甲斐性は全くない。いわんや、あり得ない。
 それでは、学校生活と言う名の新たなる我が人生のその軌跡を、柔らかく噛み砕いてここに述べてみようか。
 まず、扉を開ける。これは、入学する・輪に入る・仲間入りする、と言うことへの暗喩だ。
 そして、覚える。これは学業やルールのことだ。ひたすら覚えて、慣れて、とき逆らって、痛い目を見て、学ぶ。反復と反覆の精神。大人の世界の荒波を立ち向かうべく、がむしゃらに免疫力の鍛錬に勤しむのだ。
 そしてそして、儀礼的・学術的・肉体的・倫理的・社会的・俺様的・オトナ的・コドモ的・オトコ的・オンナ的。まあいい、沢山ありすぎて頭からあふれ出しそうな勢いだけれど、とにかくそういった様々なルールの片鱗を味わい、形なき掟にようやく馴染み始めたであろうこの僕を待ち受けていたのは、悲しいことに妙な空虚感という名の洗礼だったりした。
 要するに、学校生活にちょっとだけ慣れて、友達や顔見知りとかもそれなりに増えはしたけれど、そこで目的が達成されてしまったが故に、それまで高まってきた情熱ないし好奇心が、一気に吹き飛んでしまったのだ。この僕も老いたものである。
 そもそも、目的もそのハードルも大したものじゃなかった。ところがその目的すら見失いがちな僕は、ひょっとして五月病とかいう不治の病に冒されているのでは……などと、病状をよく調べもせずに、適当な自己嫌悪に浸っている。否、中二病だったか。まあ、そんなものどちらでもいい、この手の妄想の類は、勝手知ったるもの。

「今更自分探しでもしろ、ってか」

 阿保くさ。
 こうぼやきながら、今この机の上に横たわっているモノは、抜け殻である。
 十五歳と十六歳の境界で足掻くでもない、田幡宏夢
タバタヒロム
と言う名の、僕という、いたくちっぽけな抜け殻。

「さっきから何ひとりでブツブツ言ってんだよ、ボケ」

 いきなり、殴られた。
 まさに電撃的奇襲だった。何の気配もなくいつの間にか僕の前に居たそいつは、『僕=田幡宏夢』が『抜け殻』に戻る暇も与えず、無防備な『抜け殻』の額をゲンコツで小突いたのだ。
 心の準備と言うものは、何事においても大切である。
作品名:黄昏の太陽 作家名:黒間ヒサイチ