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拝み屋 葵 【壱】 ― 全国行脚編 ―

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 *  *  *

「会ってきたで」
「あの人はなんて?」
「『死んでも構へんもっかい会いたい』言うとったわ。説得は無理やった」
「……そうですか」
「やっぱり、あんたも兼松はんに会いたいんやな。雪女も辛い商売や」
「商売ではないですよ」
「こりゃ失礼」
 兼松の家を出た葵は穂高岳を登っていた。四百メートルほど山に入っただけで息も絶え絶えになっている。
 熟練者も敬遠するような吹雪の中を突き進んだ葵が話している相手は、言わずと知れた兼松が会いたいと言っていた雪女本人だ。
 雪女は手のひらを上に向けて口元に添えると、ふぅ、と息を吹き掛ける。
 一際強い吹雪が起こり、瞬きする間に雪室(ゆきむろ)が造り上げられていた。
「おおきに、ホンマ助かるわぁ」
 葵は膝下まで積もっている雪を掻き分けながら雪室の中に飛び込んだ。風を凌げるだけでも体感気温はぐぐっと上昇する。
「あの日もこんな強い吹雪だった。ここまで吹雪が強いと、人間は誰も足を踏み入れない。なのに、あの人とあの人の父親は山に入ってきました」
「あんたが吹雪かせとんのやないの」
「人間の子供が行方不明だとかで、あの人の父親が山に探しに来ました。行方不明だった子供は違う場所ですぐに見つかって、あの人は父親を探しに山に入ってきました。でも、そのときすでに父親は足を滑らせて死んでいました」
「二十年前の話やな……どうでもええけど、その話二回目やで」
「私は父親を追って山に入ってきた少年をずっと見ていました。なぜだか分かりません。目が離せなかったのです。気が付くと、私は少年を父親の元へと導いていました。翌日になって吹雪が止んでから、人間たちが父親を回収に来ました。それから二十年、あの人は私との約束を守り続け、私と会ったことを誰にも漏らしませんでした。その約束があの人を縛り、あの人の人生に足枷をつけてしまった。約束なんかしなければ、あの人は私を忘れて人間としての幸せを手に入れられたでしょうに。約束なんかせずに、あの人の記憶を奪っていれば……」
「雪女はん」
 葵は雪室から出て雪女の隣に立った。視線は麓の兼松の家に向けられている。
「その約束いうのは『他の人間に話せば、お前を殺す』っちゅうやつかいな?」
「そうです。あの人は約束を破って話をすれば、命を奪いに現れた私に会えると考えたのでしょう。話した相手に及ぶ危険を減らすために、わざわざ貴女のような方を何年も費やして探していたのでしょう。けれど、会いに行かずとも命を奪うことは容易です。私は約束を破ったあの人を殺さねばなりません」
「ウチの説得が上手く行けば、見逃すつもりやったんやな……」
「そうです」
 雪女は悲しげに儚げに微笑む。まさに触れてしまえば溶けて消えるような頼りなさとともに、彼女はそこに存在していた。
「ウチは止めたりせぇへんけど、二つだけ言わしてな」
「なんでしょう?」
「ウチは人間やないさかい。兼松はんが『他の人間に』っちゅう約束を破ったことにはならへんと思うで?」
「笑えませんよ」
「もう一つはお願いや。この吹雪で山を降りられへんねん。人里まで送って欲しいねん。兼松はんの家まで行ければ、後は自力で帰れるによって」
 葵は、にっと白い歯を見せて笑った。ついでに青鼻が垂れている。
「嘘がお上手ですね」
「なんのことかいな? ほな、さっそく送ってもらおうかいな。ウチ、ボケと一緒で寒いのんは苦手やねん」

 *  *  *

 吹雪の中を葵は一人で歩いていた。
 足元からは雪も踏みしめるシャクシャクという小気味良い音が聞こえている。
 葵は歌っていた。鼻水が流れ続けているために、その声は鼻声だ。雪を踏む足音を伴奏代わりにして、鳴り止まぬ風に負けぬよう、寒さに凍えながらも精一杯声を出している。
 はた、と葵の足音が止まった。
「お師匠はんでっか?」
「……」 無言の返答が届く。
 葵は自身の背後に存在する師匠の気配に話し掛ける。
 俯いて立ち止まり、かじかんだ両の拳を握り締めて。
「他に方法はないんですか? 知ってはるなら教えてくれまへんか。ウチにはどうしてもこれが最良とは思われへんのです。ウチにとって一番良いと思うことをした結果や。せやけど……せやけどウチは……」
 葵は泣いていた。
 マツゲに付いた涙を凍りつかせながら、ずっと。
「葵よ。我らの極意は自然との調和なのだ。自然への畏怖を忘れ、己が欲望のままに其れを求めてしまった人間に、真なる救いは訪れぬと心得よ」
「彼女は自然そのものやったやないですか。兼松はんは誰よりも自然を愛したのに、せやのに救われへんなんて、おかしいのと違いますか!?」
「彼の者は雪女という個を愛したに過ぎぬ。それは自然への愛でも畏怖でもない。人の立場から人の尺度で物事を捉えているから、そう思うのだ。ともかく、ご苦労だった。帰って身体を休めるが良い」
「まだ話は終わってへ……!?」
 葵は勢い良く振り向いたが、勢い余って足を滑らせその場に倒れてしまった。
「もう行ってしもたんか」
 葵が起き上がったとき、周りには何の気配もなく、ただただ冷たい風と雪が相も変わらず吹き荒れているだけだった。