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拝み屋 葵 【壱】 ― 全国行脚編 ―

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愛の温度


「凍死するかおもたわ」
「こんな雪の中がまさしてかんにしてなぁ」
「かまへんわ。ウチかて腹決めて来たさかいに」
「おりぃがほぼったことでえらい思いさしてこーわいさー。吹雪はあしたりにゃ止むろ。どっさないやさ。入ってくりょ。部屋またじもせんとだっしゃもねぇけどなぁ」
「おおきに」
「すぐにぬくといお茶をやわうやさなぁ」

 気温氷点下五度以下という吹雪の中を歩いていた二人が、ようやく目的の家に到着したところだ。一人は四十路前の男。もう一人は二十歳そこそこの女だ。
 ここは岐阜県高山市。北アルプスの麓にあり、穂高岳(ほたかだけ)を望む豪雪地帯だ。長野県との県境にある奥穂高岳(おくほたかだけ)は、日本三番目の標高を持つ。両県の最高峰である。

「自己紹介がまだだったなぁ。おりゃ兼松健一(かねまつ けんいち)やさ」
 兼松はストーブの灯油残量を確認して火を点けた。
「ウチは三宮葵(さんのみや あおい)や。よろしゅうたのんます」
 葵はまだ温まっていないストーブに擦り寄り、悴んだ両手をかざした。
「あんた助手の方かいの? 先生はあしたりかいの?」
「先生てやめたってぇな。照れるさかいに」
「は? わりゃ何をそったんなぁ?」
「せやから、ウチのことやねん。兼松はんが呼んだ先生っちゅうのは」
「こんな若いねさまが? そんなことがあらすか!」
「そない言うたかて、ほんまなんやからしゃーないやんか!」
 兼松はへなへなとその場にへたり込んだ。

 氏名 三宮 葵
 年齢 二十三歳
 性別 女
 職業 拝み屋

 彼女は現代に生きる陰陽師。
 祈祷祭祀なんでもござれ。オカルティックな依頼があれば、日本全国津津浦浦どこであろうと訪問するのが彼女の流儀だ。正確には彼女の師匠の流儀であり、彼女はそれに従うだけだ。
 今回彼女の師匠が持って来た仕事の依頼人が、目の前でへたり込んでいる兼松健一という三十八歳で独身の男だ。ちなみに、津でも浦でもなく山岳であることを彼女が抗議したかどうかは定かではない。

「あのな、よぅ考えてみぃや? ウチみたいな美女がやで? 一人でこないな山奥に何の用があってくるねん? 誰も好き好んでけぇへんわ」
「あんた、助手でないんが……?」
「ウチが、あんたがお望みの、拝み屋さんや!」
 葵は一言ずつ区切りを入れながら強い調子で言う。それは若さや女だからという見た目の理由で判断されたことに対する憂さ晴らしでもあった。
 すっかり落ち込んでしまった兼松を尻目に、葵は温かくなってきたストーブに限界まで近寄った。
「そない落ち込まんと、話すだけ話してみたらええやん? ウチかて、こないな吹雪の中に追い出されとうないし、腹決めて来とんのやで?」
「見た目で判断して悪かったなぁ。かんにしてなぁ。そやけどやっぱなぁ……」
「も、ええわ。話すんも話さへんのも兼松はんの自由や。吹雪が止むまで泊めてくれるんやったら、ウチは構わへん」
 強い風がガタガタと窓を揺らす。
 兼松が何かをじっと考え込んでいるため、葵は風と風で揺れる窓の音を聞きながらストーブの熱で身体を温めていた。
「笑わんでくれなぁ?」
 話す気になった兼松は、そう前置きをして葵を見た。
 兼松はすでにストーブから少し離れたテーブルの椅子に座っているため、葵の背中に話しかける形となっていた。
「自慢やないけど、ウチより変な奴なんてそうそうおるもんやないで?」
 葵は首だけ振り向かせてケラケラと笑った。
「雪女に会いたい」
 それを聞いた葵は笑うのをピタリと止め、兼松と正面から向きあった。
 そのまま立ち上がりストーブの傍を離れ、兼松の対面にある椅子に座り、覗き込むように兼松の目を見た。
「アカン」
 葵はそれだけを口にすると小走りにストーブの前に戻った。
「なして……!」
「兼松はん」
 葵は兼松の抗議を途中で遮る。
 彼女の視線はストーブの中で燃える炎に向けられたままだったが、兼松は一瞬で気圧されてしまっていた。
 それ故に、抗議の言葉は途切れたまま再開されなかった。
「頭ごなしにアカンて言われても納得でけへんやろ? ええねんよ。ウチかてそうや。なんで会ったらアカンのか知る権利はある。むしろ、知っておいたほうがええと思うで」
「教えてくれるんやさなぁ?」
「モチのロンやで」
 葵は、にっと白い歯を見せて笑った。
「雪女の伝説は日本各地に伝わっとる。北は青森・秋田に始まり、新潟・福島・茨城と南下して、大阪・和歌山・愛媛・鳥取や。もちろん、長野と岐阜にも雪女伝説は伝わっとる。せやけど、ほとんどが救われん悲しい話や。知らんわけやないやろ?」
「そやから先生をほぼることにしたんやさ」
「兼松はん。ウチらかて万能やない。ましてや雪女は自然そのものや。自然に逆ろうたら人間は生きて行かれへん。山に生きるアンタがそれを分からんはずないやろ」
「そやけど、おりゃ会いたいんやさ」
「アカン」
「もう一度どうしても会いたいんやさ!」
「……死ぬで?」
 葵の声のトーンは落ちている。
「それでも構わんやさ」
 兼松はそんなことは百も承知だと言わんばかりに即答した。
「それがワガママやと言うとんねん。身勝手や。人間のエゴや。あんさんは全く分かってへんよ」
 葵はストーブの前を離れ、兼松の対面に腰掛ける。
「雪女はどうやっても雪やさかい、人間とは違うねん。雪に念が宿ったもの、それが雪女の正体なんや。身体を動かす魄(はく)しかないねん。魂がない雪女は死なへん、消えるだけや。春になって溶けて消えるんとはワケが違うで? 消滅や。意味分かるか? 生まれ変わりやら何やらが一切あらへんってことや」
「そ、それがどしたんろ?」
「彼女に会いに行って何をするつもりなんかは、よう聞かん。けどな、何が起こるかだけは知っといて欲しいねん」
 葵は一端言葉を切り、深い呼吸を数度繰り返した。
「一つ、兼松はんが死ぬ。二つ、雪女が消滅する。三つ、その両方。どれかが必ず起こる」
「おりゃ死んでも構わんやさ! もう一度会いたいんやさ!」
「雪女もそう思とるんやろか? 彼女の迷惑も考えんと、ただのストーカーやで? ええ歳なんやから、推して知るべしやで?」
「あんたに何が分かる……」
「小娘が偉そうにと思うんやったら好きにしたらええよ。ただ、これだけは言わせてもらうけどな、彼女も会いたいと思てんのやったら、とっくに再会できとんのと違うか? 二十年も会えへんかったんやろ?」
 兼松は両手をぐっと握り締めて小刻みに震えていた。
「……帰ってくれやさ」
「残念や。交通費だけ抜き取らせてもらいますによって」
 葵は兼松の家を出て、吹雪の中に身を投じることになった。