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神様と居候

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寒気。吐き気。めまい。汗。体の奥からわいてくる、もどかしさのようなむずがゆさのような感覚。いいとは言えない症状が一度に味わえるなんて、一生にあるかないかのことだろう。
「……はあっ」
 やっとの思いで、たくさん息を吐く事ができた。運動したわけでもなく、恐ろしいモノを見たわけでも、緊張するようなことをしたわけでもない。電灯もないこの殺風景な部屋の中、そんなことが起きるはずがない。それでも、俺の心臓はその時のように忙しく働いている。体が少し楽になったかと思うと、すぐに飢えた獣のような、テンポの速い呼吸が始まる。
 顔を上げた先にあるテーブルの上には、何もない。いや、今まではたくさんあった。いつの間にか、右手は薄汚れたシャツの胸元を握り締めていた。
「……がんばれ…………耐えるんだ……」
 自分にしか聞こえないほどの声量で、自身に言い聞かせる。壁に寄りかかっていたはずなのに、いつの間にか膝立ちになっていた。加えて前のめりの上半身。今にも倒れそうな病人に見えることだろう。
 そうだ。この苦しみが、あの感覚の代償だ。これを乗り越えれば、俺はまたもとの生活に戻れる。そうしたらもう、あんな世界には二度と足を踏み込まない……
「なるほど……。あなたは自分で克服しようとなさってるんですね。よいことです」
 誰もいないはずの部屋に、声が響いた。テーブルの向こうに、人が立っている。
「努力している人には、よけいな手出しはしませんから。がんばってくださいね」
 マントでも着てるんだろうか。そいつが身を翻したとき、ばさりと服がはためいたのが見えた。そしてその隙間から覗いた、白い粉の入った袋…………
「あ……」
「……見えました?」
 出たかどうか自分でもわからない声を、あいつは聞き取ったらしい。懐に手を突っ込むと、そいつは俺が見たそれを見せつけた。
「これがほしい……なんて言ったらだめですよ、あなた。せっかく努力してるんですから」
「う……あ…………」
 床にもテーブルにも、武器になりそうなものはどこにもない。だから俺は……
「あああああっ!」
 素手でそいつに向かっていた。
「やっぱりだめでしたか……」
 そいつが見せつけた袋を、俺は掴み取ろうとした。だが相手は、無駄のない動きで軽々とよける。斜め後ろに回ったそいつを振り返ったときには、袋は隠してしまったようだった。
「仕方ありませんね。こういう状態になったのなら、やるしかありませんか」
 こいつの独り言になど、俺は関心をはらわなかった。俺の目的は、今までやつが持っていた――――
「!」
 何かが素早く俺の顔に伸びてきたのが見えた。しかし衝撃が襲った後、それは俺の顔じゃなく、首を狙っていたものだとわかった。首の痛みとほぼ同時に、後頭部にも衝撃が走る。
「すみませんね、乱暴な真似して。でもこうしないと、あなたの体が壊れてしまいます」
 壁に叩きつけられた痛みで、はっきりしてなかった視界が、ますますぼやけた。それでも、俺は俺の首を壁に押し付けているやつと、同じ目線だと理解できた。その相手の顔が、心なしか先ほどより大きく見えるような……
「大丈夫です。痛みはありませんから……もっとも、私はこんなことされたことないので、本当のことはなんとも言えませんがね。どうせ私は一生、する側ですから…………」
 感覚が鈍っていたんだろうか。
 その声は、顔のすぐ下――いつの間にか手の離れた、首筋から聞こえた。
「……!」
 何か鋭いものが二つ、自分の体内に入り込んだのを感じた。小さな痛みと痺れが全身を駆けたかと思うと、自分の意識が消えてゆくのを感じた。


「ん……」
 薄汚れた灰色の天井に、影ができている。俺、床に寝てたのか?
「ふあ……。なんか久しぶりによく寝たなあ」
 大きく背伸びをして、すぐ後ろにあったコンクリートの壁に背をあずける。本当に、こんなに頭がスッキリしてる朝は珍しい。左手首のデジタル時計を見ると、今はもう九時四十五分過ぎだということがわかった。
「そろそろ店開く頃かな……。財布財布っと」
 空き缶やらくずゴミやらが散乱する床を歩き、俺は隅にあった小さな引き出しを開けた。中には財布以外ほとんど何も入ってない。百円ショップで買った財布を手に取ると、俺は外へと出た。
「うわあ、久しぶりだな」
 俺の家は家と呼べるようなものじゃない。とあるビルの一階部分、空き家になったところに住み着いている、いわばホームレスみたいな生活を送っているのだ。路地を曲がらないとそのビルには行けないから、滅多に人は通らない。そんな場所を歩いて、本通りに出た。車と人が通る、懐かしい場所だ。
「さてと、どこに行こうかな……」
 足を止めて財布の中身を確認。……新渡戸さんや樋口さんどころか、野口さんや夏目さんもいやしねえ。いるのは数字が書かれた硬貨一枚。
「まあ百円じゃないだけましか……」
 いたのは、五百円玉。コーヒー一杯ぐらいは飲めるだろう。
 人の流れに乗って、わき道を曲がる。その道は、歩行者だけの道になっていた。ふと前を見ると、一人の男が歩いている。ただ前を歩いていただけなのに、なぜかその男に既視感を感じた。
「あの……すいません」
 ほぼ衝動的だった。わき目もふらず、俺はその男に話しかけていた。
「はい?」
 かなり素直なやつだ。少し驚いたような顔ですぐにこちらを向いた。だがその顔を見た途端、伏されていた記憶が立ち上がったのを感じた。それも次々に。
「……っ、あんた!」
 男の顔に見覚えはなかった。だが、その男から発せられている雰囲気というものが、なぜか消えかけていた昨夜の思い出を、生き返らせたのだ。
「はい、なんでしょう?」
 分けられた黒の前髪が、かすかに風に揺れた。男の笑顔は、優しくて柔らかいと表現するのが一番好ましいだろう。だが、俺はそんな笑顔などに気をはらっている場合ではなかった。
「あ、あんただろ! 昨日の夜、俺の家に来てなんかしてったの!」
 なにやら英文が書かれている半袖シャツに、風を通しやすそうな長いズボン。細い金属製のブレスレットを重ねてつけていたりと、見た目は今どきの若者の格好だ。だが、この男を見たとき、あの記憶が呼び起こされた。こいつが昨日、俺の家に来たやつだと、確信していた。
「あなたの家? 失礼ですけど、あなたとは初対面のはずじゃ……」
「いやー、あんただ! その声、聞き覚えがある」
 こんな今どきな格好してる割には、言葉遣いが変わってる。こいつの声は、確かにどこかに引っかかっていた。
「昨日、俺の家に来て、何してった! 何も取るもんはなかったはずだぞ。家の主にまで暴力振るいやがって」
「あらら、そこまで覚えてたんですか……。困ったな。…………わかりました。昨夜、あなたの家に行ったのは私です。認めますよ。詳しい話はどこかに落ち着いてからにしましょう。ああ、そこの喫茶店はどうです?」
 男が指したのは、俺が行こうとしてた喫茶店だった。前から何度か行ったことがある。
「いいよ。ただ、ちゃんと話してくれよ」
「わかってますよ」
 くるりと喫茶店を向いて歩き出した男の後を、俺はついていった。
作品名:神様と居候 作家名:透水