マクリールの結婚
だが、婿候補達が躍起になった所で、当の姉妹にその気がないのだから、縁談など纏まるわけがない。姉妹の姉姫は、館に押し寄せる花婿候補をけらけら笑って吟味だけはするものの、戯れに貴族の若様のやんごとなき御尊顔にカエルをぶつけてみるという辛辣な悪戯をしては、相手を怒らせて追い返すことに余念がなかったし、妹姫に至っては、「見慣れぬ男の人は怖い」と生来の人見知り癖を遺憾なく発揮して部屋に引っ込んだきり、おだててもすかしても家族の前にすら出てこないという有り様である。
万事が万事この調子では、流石の花婿候補たちもまともに太刀打ち出来なかったのだろう。結局大事な事は何一つ決まらぬまま、最初の触れが出されてから半年を経たこの春。領主はついに堪忍袋の緒を切らし、「お前たちが決められぬと言うのなら、親であるこの儂が決めてやる!」とばかり、領内でも指折りの貴族の息子を自ら未来の領主に指名した。
そんな父親の横暴な決定に、血気盛んな姉姫は父親のベッドを水浸しにするという無言の抗議を敢行したが相手にされず、今日はその未来の領主が姉妹のどちらと結婚するかを選びにやってくると言う、この館、ひいては領地全体にとって節目となるだろう大事な日なのである。
「そうよ、ハルさま!未来の旦那様になるかもしれないひとを馬の骨だなんて、そんなこと言っちゃいけないわ!大体もうじきお見えになるっていうのに、木なんかに登ってる場合じゃないでしょ!」
「登ってる場合じゃなかったらなんなんだ?着飾ってお出迎えでもしろと?」
それなのに、そんな大事な日にこのお嬢様ときたら。
眉間に皺を寄せて下からレヴィが精一杯怒鳴ると、樹上の主は軽やかに笑う。
天からけらけら響く笑い声に、隣でアディも声を張り上げた。
「あたりまえだろ!!なのに、嫁になるかもしれない本人がこんなところでなにやってんのさ!」
「面倒だ。出迎えが必要なら、お前かレヴィのどちらかが行けば良かろうよ。私はあとで顔を出す」
「あたしらが貴族の若様お出迎えしてどーすんだっつーの!」
「そのままお前が結婚しても良いぞ。正に玉の輿ってヤツだ。良かったなぁアディ、これで「嫁き遅れ」とやらにならずにすむんじゃないか?」
「良くなーーーーいッ!ちっとは真面目に聞いてよ、ハルッ!!」
言葉の応酬は回を重ねるごとに激しくなり、止める間も無く熱を帯びていく二人の舌戦に、レヴィはだめだこりゃ、と眉間の皺を揉み解すように溜息をついた。
主も己の姉も、強情さにかけては引けを取らない似たもの同士である。こうなった以上は二人の気が納まるまで放っておくより他はなく、そしてレヴィがその青年に気付いたのは、仕方がないと諦め気味の視線を、目の前の姉の背中から庭の風景へと転じたときのことだ。
いつからそこに居たものか、青年はレヴィの左斜め後ろ、内緒話が聞こえない程度の距離を置いて、静かに佇んでいた。
年の頃は二十歳そこそこの、白い絹のシャツの上に浅葱の袖なしの上着を羽織った、学者然とした知的な風貌の若者である。領主様が呼んだ、己が主の新しい教育係だろうか。とにかく館で見た事のない顔だ、と見つめるレヴィの目の前で、その青年は酷く呆気に取られた顔で、まぶしい陽光を避けるかの如く右手を庇代わりに目の上に当てながら、じっと樹上を見上げている。
青年が見上げる樹上では、己らの主である領主のお姫様が、召使と舌戦の真っ最中であった。「余り怒ると皺が増えるぞ」「生憎まだ皺が出る年じゃないんだよッ!」「嘘付け、その眉間によってるものはなんだ」「誰が寄せさせてるんだっつーのッ!!」と、更に激しさをます言葉のやり取りは、他人から見れば見事の一言だろう。主の一種爽快とも言うべきからかい言葉は、先ほどから止まる気配ですら微塵もない。
よりによってこんな、とんでもないところを見物されたものだ、とレヴィが肩を落とすと、その青年はちらちらと自分の様子を伺っているらしいレヴィに気付いたか、にこりと微笑みながらレヴィに向かって、軽く宮廷風の会釈をした。レヴィが怪訝ながらその挨拶に返して辞儀をすれば、樹上の光景をちらちらと気にしながらも、ゆっくりとレヴィに歩み寄って気さくに声をかけてくる。
「やぁ、こんにちは。凄いね。あの子、自分であんな上まで登ったのかい?」
隣に並んで挨拶がてら、と言った雑談を持ちかけられて、レヴィは再び溜息をついた。
「ええ、そうなんです。ほんとお嬢様ッたら、どうしてこんなお転婆な……」
「……お嬢様って、もしかしてあの子が御領主の?」
うわー、と、驚きとも感嘆ともつかない声とともに言われて、レヴィは内心頭を抱えたのだが、今更訂正するわけにも行かない。お恥ずかしながらそうなんです、と肩を落としつつ白状すれば、青年はふーん、と酷く面白そうな顔で頷きながら、再び樹上に視線を置いた。
「へぇ……なんともまぁ。人を堂々と「馬の骨」呼ばわりするお嬢様なんて、初めてだよ。面白い子だね」
「ほんとに、きちんと御育て申し上げてるはずなのに、なんでこんな、よりによって一つ島の若様を「馬の骨」だなんて……あ、今のことはどうぞご内密に!領主のお姫様といえど、貴族の若様を「馬の骨」だなんて、ルーグさまのお耳に入ったら御気を悪くされるわ」
随分最初の方から聞かれていたものだ、と思いながらも、こんなことが領主の耳に入れば、主も己らもただでは済まぬ。レヴィが必死で相手に口止めを頼むと、青年はきょとんとレヴィを見下ろした後で、ふと柔らかく笑った。
その手がするりと上がって青年自身を指差すのと、レヴィが青年の上着の襟口に目立たぬよう刺繍された、領内随一の名家である「ソラリス島の一族」の紋章を見取って顔を青ざめさせたのが、ほぼ同時だ。
「ああ、いや、構わないよ。確かに領主のお姫様からしてみれば、僕はただの馬の骨だからね」
「……え、あの、その、もしかしなくてもルーグさま……?」
「この世にソラリス島のルーグが二人も三人もいるのでなければ、そうだね。いきなりお邪魔して悪いとは思ったんだけど、支度が出来るまで庭の散策でもと言われたものだから……しかしあれがハルディア嬢か。成る程、聞きしに勝るお転婆だね。よくあんなところまで登ったものだ。怖くないのかなぁ……で、君たちはお嬢様の側仕えかい?その割には随分と物言いが激しいようだが」
ヒィ!と恐れおののきながら姉の袖を引っ張って、主との舌戦を中断させようとしたレヴィの目の前で、にこにこと笑いながら青年……ルーグは言った。妹の袖引きに振り返り、何が起こったかを理解したアディがレヴィを促して大慌てでルーグの前に膝を着けば、樹上の少女も地上の異変を察したらしい。
枝の合間から怪訝に顔をのぞかせて見下ろす景色の中に、見知らぬ男の姿が見えれば、少女は軽く目を細めた。
地上の男は、樹上の少女が僅か剣呑に眼を細めるを見て、ほんの少し笑う。
と。
「ルーグさま、此方においででしたか。お待たせして申し訳ありません、少々立て込んでおりまして……」
「兄上!」
「兄様!」
「やあ、グラシャル。いや、謝罪には及ばないよ。丁度面白いものを見つけたところだ」