クロスロード
更新を放置してしまっていたブログに、一ヵ月ぶりに書き込みをする。今日は、本当にいい日だった。飽き性でどうしようもな自分でも、続けられていることがある。本能的に、走ってしまう。今日はそのおかげで、不思議な光景を目にすることができた。携帯電話のライトを使ってまで絵を描いている少女。彼女もまた、自分と同じ部類なのではないだろうか。本能。こればかりは、どうしようもないこと。どんな環境におかれていたって、続けてしまう。辞められない。……今日まで生きてきて良かった。
それから、再びネットサーフィン始める。あるブログが目にとまった。本能……。そうか、それだ。携帯電話のライトを使って絵を描いている少女、とはもしかしたらこれは自分のことではないか。本来なら気持ち悪いと思うべきかもしれないが、何故だか嬉しくなった。本能。身体の芯が熱くなった。ストーブを点けてもあまり暖かくない家の寒さも気にならないほどに。キーボードの上を、指が踊った。ほとんど反射的に、コメントを残してしまった。
自分の書き込んだ記事に、初めてコメントが残されている。あの少女なのか。彼女のブログのアドレスが記載されていたので、そのアドレスに飛んでみた。ああ……。ため息が零れる。そこには、確かに、あの路地の光景が広がっていたのだ。ダンボールに包まって寝ている老人の姿もある。そして、走っている自分の姿も。一瞬しか姿をあらわしていない自分の姿でも、少女は認識してくれていたというのか。そのことが嬉しくて嬉しくてどうしようもなくて、彼女のブログにもコメントを残した。
浮いていても、どこかで掬い上げてくれる人が現れるのかもしれない。
自分は世間から浮いている。いつ頃からそんな認識が生まれたのかはわからないが、常にそう感じていた。狭い四畳半のアパートの部屋で、『浦澤馨』と自分の名前が記された真新しいスケッチブックに手を伸ばす。ページを捲っても、まだ、何も記されていない。これから、沢山の景色がここに刻まれるのだ。この習慣を始めて今日から二カ月めに突入する。始めのページに、またあの人が現れるといい。あの人を絵に収めたい。彼の作り出す空気を感じたい。そう思いながら家を出た。
自分は世間から浮いている。いつ頃からそんな認識が生まれたのかはわからないが、常にそう感じていた。シューズボックスから、学生時代より使っているランニングシューズを取り出す。靴の底にはっきりと『小野康次』と自分の名前が記されている。また、この習慣を辞めることなく、今日を過ごしている。昨日と同じ道を走ろう。また、彼女に会えるかもしれない。いや、会いたい。今日こそは声をかけよう。彼女の絵を、間近に感じよう。玄関扉を勢いよく開いた。
駅前を通り過ぎ、寂れた路地に入る。今日は、あの老人はいなかった。電車の通り過ぎる音が切ない。
大通りを避け、あの路地に入る。彼女はいつも同じ場所で絵を描いているという。初めからそこに向かおうと思っていた。
いつものように小さな椅子を地面に置き、そこに腰掛け、鉛筆を握る。誰もいないせいか、いつもよりいっそう寂しい場所に思えた。男性が現れることを、とても期待している自分がいた。
だいたい時刻も間違っていない。彼女はどこにいるのだろう。走りながら、周囲を見渡す。普段より若干走る速度が落ちているが、彼女を見落とすよりは、全然いい。
規則正しいリズムが耳に届いた。たったったったっ……来た。動かしていた手を止め、顔を上げる。
スケッチブックに懸命に絵を描いている少女の姿が目に入る。速度を緩め、歩いて近づく。
「コウジさん」
「カオルさん」
同時に名前を呼びあう。
同時にゆっくりと手を差し出し、握手を交わした。
互いの手首から覗く白い傷跡が、二人の出会いを祝福していた。