愛妻家
畠田先生は何事もなかったかの様な顔で待っていました。
もちろん私はきがきじゃありません。
一体何をやらされたもんかわかりませんでしたから。
畠田さんはいつも通りにニヤニヤしながらその作戦を話し始めました。
畠田さんの遺作、そう、あの『兎』についての構想をです。
先生も『兎』のことは知ってますよね?
畠田登治郎新境地って一時期かなり話題になりましたから。
そう、それです。かなり抽象的な巨大兎の木彫です。
やけにずんぐりむっくりしていて首も異様に長くて兎のくせに耳がどれなのかいまいちわかりずらい。
そして不思議とぬるりとしている。
もちろん感触じゃありません。
でもぬるりとしてるんです。私にはそう見えた。
そしてその技術は遺作にふさわしいまさしく素晴らしいものでした。
本当に畠田登治郎集大成と言えるものです。
なんか今胡散臭い批評家みたいになっちゃいましたね…。
…問題は、それなんです。
あれ実は、兎じゃなかったんですよ。
畠田先生が言う作戦はこうでした。
とにかく畠田先生本人は遺作を完成させる。
そしてそれを『兎』として発表します。
ところが実際は違うんです。
畠田先生は言いました。
…雪山君、君には私が死んでからこう発表してほしいんだ。実はこれ、ぴーまんです。とな。ほらここに私が一筆書いておいた。これを奴らに見せてほしいんだ。この芸術業界において私はかなりの定評と地位がある。奴らは私が作ったってだけで必要以上に誉めたたえるんだな。まぁもちろんそれだけ私の技術も確かなんだが。だが私だって何の意味も持たないどうでもいい滑稽なものが作りたくなるときがある。意味を持たせちゃいけないんだ。そういうものには。だからだな。やつらがもっともらしく兎について語り合ってる時に言ってほしいんだ。実はぴーまんなんですよってな。
…アホらしいでしょう?
あまりにアホらしすぎて心底ホッとしましたよ。
まぁ、でも畠田先生の言わんとしていることはわからないでもなかった。
ここはそういう世界です。
一度有名になれば大抵が一般市民の了解は受け付けません。
でも有名になるだけの力を持ってるからこそ有名になるんですが…。
でもやはり運ってのはあるんですよね。
見つけてもらえるか否かっていう。
そして彼は見つけてもらえた。
でもそれだけじゃ満足出来なかったんだろうなぁ。
…正直悩みました。
そんなくだらない嘘に加担して、今まで築き挙げてきた他の芸術家さんや評論家さんたちの評判を落としたくありませんでしたから。
あぁ、そうです。
結局は了承してしまいました。
面白いですから。
私の性格上しょうがないですよ。
それに畠田登治郎の一個人のファンとしても、最後の頼み、聞きいれたいじゃないですか。
…それをあのやろう。
あ、失礼しました。
でも、私はきっと嬉しかったんです。
そうだ、嬉しかった。
彼に頼まれてすごく嬉しかったんです。