灰色の心臓
そんな事よりと、物思いに耽り過ぎていた俺は、何度か首を横に振った。
人影のない砂浜を見つめ、そっとジャケットのポケットに手を入れた。俺は今日、数え切れないほどのデートの終着点として指輪を渡すという、彼女にプロポーズをする決意を固めていた。
この臨終間近のカローラ。走行メーター十五万キロの殆んどは、彼女を助手席に乗せて走った距離だろう。
俺は指輪の入った箱を握り締め、そっと助手席に座る彼女へと視線を移す。
すると、灰色の空から、狂乱する海へ、そして俺へと風景を移した彼女の視線とが合わさった。
「結……ッ」
「別れましょう」
言い掛けた言葉を彼女のか細くゆっくりとした、ただ一言によってかき消された。
力の入っていた肩がだらりと下がり、指輪の入った箱を持つ指がじわりと解かれていく。
喉から出掛かる、何故という言葉を呑み込み、ただただ彼女の真意を確かめる為に表情を窺う。
其の内彼女は、子供のように表情を崩し、泣き出し始めた。自身初めて見る彼女の泣き顔と静かな嗚咽に戸惑い混乱した。
彼女は普段から多くを語らない。真意を問おうにも、きっと狂乱する海から灰色の空へ――そして俺へと視線を移すまでの時間、自分の心と多くの会話をしての結果なんだろう。
俺は余計な言葉を呑み込み、帰ろうかという言葉も呑み込み、助手席で初めての涙を見せる彼女を見つめた。
今日という日は、人生で最低最悪な日なんだろうけど、彼女の冷静さを欠く、つよがりを捨てた本音に、取り返しのつかない過ちを悔やんだ。
怪しげな雲からついには雨が降り出し波音をかき消した。ボンネットを静かに雨雫がうちつけている。
俺には薄暗い車の中と同化する彼女の、大きな瞳から流れる涙が灰色に映っていた。
俺は大きな溜息をする事さへ呑み込み、雨なんて降らなければいいのに、とだけ灰色の空を見上げて呟いた。