小鳥と少女
「おぉう……? 白鷺ですか?」
もうすっかり白い腹の綺麗な緑を背負った姿に戻った小鳥は細まった目でぼうっと呟いた。
「そうだよ小鳥さん」
ほっとしながら白鷺が頷く。
すると、小鳥はそうですかぁ、とぽけらっとした声音で翼を広げた。
「おや、もしかして、また?」
「そうだよ、小鳥さん、無茶なことしない方がいいよ。ただでさえ小さくて運が悪くて狙われやすいのに。魔女は怖いって言ってたのに」
「はははまぁまぁ。というか失礼ですねぇ。……あぁ、でも、貴女にまた魔法を使わせてしまってすみません。駄目だと言われていましたのに」
「それは、私が勝手に使ったんだから、別にいいよ」
「そうですかぁ? ですが、また助けていただいちゃいましたねぇ。ふふ、本当にありがとうございます。こう言うと貴女は複雑かもしれませんが、やはり私は貴女の魔法に感謝します」
くっと白鷺は唇を逆三日月にした。上弦の月のように。
つぅ、とあのときと同じように、悪くないものが入ってくる。何なんだろう、これ。
「さて。まぁ何やら状況を鑑みるに」
「うん?」
「魔女を倒したようですねぇ。王子様顔負けな感じのお姫様ですね」
「なにそれ?」
「むむ、通じませんか。古いのでしょうか」
「?」
何か衝撃を受けたように小鳥が呟く。それから、翼を器用に使って、げふん、と咳払いした。
「ま、まぁ兎に角。どうやら私の当初の目的は達成したようですし」
「当初の目的?」
「魔女を倒して貴女をこの塔から出そうと思ったのですよ」
呼吸が一瞬だけ止まった。
吃驚して、小鳥を見る。
小鳥は照れたように緑の頭部らしき場所を翼で掻いた。器用な。
「ただのエゴですが。白鷺、私と一緒に旅をしませんか」
「たび……」
呆然と呟くと小鳥は慌てたように眉……らしきものを下げた。
「いえ、ここでの生活の方が楽といえば楽かもしれませんが。もしこちらの方が好きならば……」
「いや、ここは無理」
白鷺は断言した。
「旅は、したことがないから、どういうものか解らないし、性に合うかも解らないけど、取り敢えずここは無理」
「ああ、なら良かった。では先ずはこの塔から降りましょうか」
「うん。……あのね、もうあんまり関係ないことだけど、鏡壊しただけじゃ、魔女は倒せなかったと思うけど」
「ぐっ。ま、まあ良いではないですか。終わり良ければ全て良しです」
……そうかなぁ。
怪訝な顔をしていると、小鳥が、赤く染まり始めた窓の向こうにふわりと飛んだ。えっ、と窓の外を覗くと、珍しく直ぐ横に留まっていた。
「ほら、白鷺も早く降りましょう」
「…………えっ、ここから?!」
無理だ。
すると小鳥は朗らかに笑って。
「大丈夫です。白鷺は名前に鳥が入ってますからね、きっと飛べます」
「きっとじゃ駄目と思う!」
「いけますよ、ほら」
爽やかに促され、白鷺はごくんと唾を呑んだ。覚悟はさっぱり出来ていないが、何だか飛び降りないといけないような雰囲気だった。
ぎゅっと目を瞑る。
そのまま、窓の桟を踏んでくぐり抜け、窓枠に手をつけながら、塔の外壁をぐっと踏みしめる。斜めっているので、一応乗ることは出来る。
白鷺は、ぐっと唇を噛み締めて。
ぶるぶると震える手を離して。
飛び降りた。
「————っぎょあー!」
叫びながら、白鷺は、耳の横を打つような勢いで奔っていく風につい目を開けた。
蒼い森が、夕焼けが、橙と柔らかい赤紫が混じり合った雲が、視界をもの凄い速さで過ぎ去っていく。
急落下。
「——っ、どわ!」
ばさっ、と樹の枝に引っ掛かるようにして落ちる。青々しい葉が頬をくすぐった。
「ね? ほら、出来たでしょう」
「いやもう無理」
即答する。
ぐったりした目で見ると、小鳥はのほほんと枝先にとまっていた。いいな鳥は。
小鳥の緑色の羽毛が葉の緑に混じる。どちらもふわりと吹いた微風に揺れ、白鷺には柔らかな森の匂いが届いた。
塔の中のじめじめした黴臭い匂いではない。
これが。
これが、外の匂い。
「そういえば」
ぐぅっと匂いに浸り続けていると、不意に小鳥が嘴をぱかりと開いた。
「まだ名前を教えていませんでしたね」
「あ!」
白鷺はばっと振り向いた。がさがさとつられるように枝木がざわめく。
小鳥はにこりと微笑んだ。
「それでは名乗りましょう、我が友人。私の生まれたときに授かりし名は、」
ざぁ、と葉が鳴る。白鷺の上で。白鷺の下で。
「緑の氷。と、申すのですよ」
緑氷。
白鷺は黄昏の下、晴れの日の青空みたいに微笑った。
「いいね、綺麗な名前だ」
楽しみにしていた甲斐があったよ、と言うと、緑氷は嬉しそうに「光栄ですねぇ」と満更でもなさそうに言った。
「さあ! 西はフランのカベルリアまで! 南はアーリブのビベーチェスまで! さぁさぁ何処まででもゆきましょう! 道は長く旅も長い! 地平線の果てすら越えて! ゆきましょう我が友よ!」
「おおー!」
緑氷の言う地名の半分も分からなかったけれど、白鷺は何だか酷く幸福で、熱に浮かされたように、拳を突き上げた。その課程で葉のぎざぎざした部分が一々刺さったけれど、気にしなかった。
鶯の瞳を持った、真っ白けの魔女になれなかった魔女は、小さな小さな友人と共に、当て所もない旅路を駆け出したのだった。
*
「……まぁ先ずは靴を買わないといけませんね。それから旅費」
「くつ? って、村の魔女たちみんなが履いてるやつ?」
「人間も履いていますよ」
道のりは遠く長い。