海竜王 霆雷10
「初めまして、月灘彰哉様。美愛の父です。今日は、ゆっくりとしてください。お話は、明日にでも改めてお聞きいたします。」
「三百歳なの? 美愛のお父さんは? 」
握手して、彰哉は不思議そうに、その姿を上から下に眺める。元人間だと教えて貰っていたが、それなら、三百年前の人間ということになる。
「いえ、七百を少し越えた位です。」
「ななひゃくぅぅぅ? 」
「はい、竜は二千年以上の寿命がありますから、私は、まだ若い部類に入ると思いますよ。」
七百年前? と、彰哉が、自分が習っていた歴史を思い浮かべた。まだ、アジア圏が、バラバラの国だった頃のことだ。
「え? それで、そんななの? 」
「はい? 」
「だって、あんた、どう見たって、俺より十と離れてないよ。」
「ええ、こんなものです。」
温和な青年としか思えないが、相手は人間から竜になったものだ。もっと、自分の義父くらいの年齢を想像していたから拍子抜けした。この人が、人間の家族を捨てて竜となった。誰もが持てるわけではない家族というものを捨ててまで、竜になったとしたら、この人は冷酷なんだろうか、いや、恋しくて泣いていたというのだから、そうではない。では、なぜ、竜になることを選んだのか、よくわからない。
「俺、美愛から、あんたが元人間だって聞いたんだ。そのことで、いろいろと聞きたいと思って、ここまで来た。その話をしたい。」
「もちろん、お伺いいたしますが、お疲れではないですか? 」
「いいや、今すぐがいい。」
結構、大きな声で、そう叫んだら、相手は、ちょっとびっくりして、それから頷いた。ゆっくりと手を離して、娘のほうへ目を遣る。
「わかりました。・・・・美愛、月灘様と、少しお話させていただくことにしよう。おまえは、水晶宮のお歴々たちに挨拶してきなさい。あなた様、よろしいですか? 」
「はい、では、私くしも席を外しております。」
「父上、私は・・・・」
しかし、美愛のほうは引き下がらない。
「申し訳ないが、あまり、あなたには聞かせたくない。私は情けない父親ではあるけどね、出来れば、その評価を下げる真似はしたくないのだよ? 美愛。」
「情けなくなど、ありませんっっ。私もお聞きしたいっっ。」
「・・・そのうち、月灘様から伺ってくれ。」
彰哉の腕を取ると、外の回廊へと、深雪は歩き出す。そこから、ゆっくりと、空へと上昇する。密談するには、そこが一番だと思ったからだ。娘は、自分と同じ能力がある。だから、部屋から追い出しても聞くことができる。それなら、水晶宮の上空で、周囲に漏らさぬように結界を張ったほうがいい。美愛に聞かせられないのではない。美愛の背の君になる彰哉の愚痴めいたものや嘆きを、誰に気兼ねなく吐き出せるようにしたかったからだ。
娘のほうは、たぶん、妻が押し留めてくれるだろう。同じ能力を持っているらしく、月灘彰哉の心は流れてこない。ただ、緊張しているように見受けられるくらいのことだ。
水晶宮の上空は、藍色の空が広がっている。地球の成層圏近い場所であるから、真っ青な空ではない。下に作られている空より高い場所にある。
「俺、飛べるから。」
掴んでいた腕をふりほどいて彰哉は、そこに浮かんだ。ああ、小憎らしいな、と、過去の自分を鑑みて苦笑する。溢れる生気が健康であることを示している。あの生気があれば、あんな真似をしなくて済んだ。
「では、伺いましょうか? 月灘様。」
「俺、偉くないから、彰哉でいいよ。親父さん。」
「わかりました。では、私のことも、深雪と呼んでください。私も、偉くない。」
「偉いんだろ? 美愛が竜で二番目に偉いって言ってたぞ。」
「それは、妻のほうで、私ではありません。」
きっと、自分も、こんなだったのだろうと思うと、苦笑するしかない。身体は弱かったが、それでも言いたいことは吐き出していた。あの時は、誰もが優しいとだけ思っていたが、たぶん、この態度が可愛かったに違いない。
「まあ、そこいらへんは、後でゆっくり聞くよ。それより聞きたいことっていうのは、竜になる時のことなんだ。あんた、家族が人間界にも居たんだろ? 美愛と同じ名前の娘が居たって。」
そして、彰哉は、現在の家族制度とか生産調整で生み出される自分のような人間について説明した。七百年前には、その制度がなかったからだ。だから、誰もが平等に家族を持っていた。それは、彰哉にとっては、羨むものだ。最初から手に入れられる愛情が、彰哉にはなかった。自分にはなかったものを、持っていて、さらに、恋しいと思うほどに泣いたというのなら、離れなければよかったのに、とも思う。
「あんたは家族を捨てた。そうしなければならなかった理由って、なんだ? 家族があっても、それと分かり合えないからか? 血の繋がった家族ですらも引き留める力にはならなかったのか?」
真剣に、そう尋ねた。個人の勝手だ、と、怒鳴られるかもしれないと覚悟していた。今の人間界では個人情報は、個人のもので、別に質問されたからといって返答する必要はない。無理に暴くようなことをすれば、犯罪になることだってある。だが、相手は、懐かしそうに口元を歪めただけだ。
「・・・そうか・・・今の人間界は、すごいことになっている。・・・彰哉、私が家族を捨てて竜になったのは、人間としての寿命が足りなかったからだ。これから話すことは、妻以外は知らない。娘にも話したくないので、内密にして欲しい。いいだろうか? 」
「わかった。」
言葉の重さは理解できた。普通ではないのだろう。だからこそ、わざわざ、こんな場所へ移動したのだと、彰哉も気付いた。
「私は、あなたとは違う意味で、あなたと同じように生み出された子供だった。私は、臓器を採取するために作られた人間だったんだ。だから、人間だった頃、臓器が足りないままに生きていた。・・・あまりに小さかったので、その記憶はないのだが、保護者が拾ってくれた時には、腎臓がひとつしかなくて、肝臓も半分しかなかったそうだ。」
「え? 」
「どういう経緯で、そうなったのかは知らないが、私は物心ついた頃には、研究所のモルモットになっていた。あなたも持っている超常力を調べる研究所だ。そこで、私は殺される予定を知って逃げた。・・・逃げて、私は、同じような能力者に拾われて生かされた。」
だから、私にも血の繋がった保護者は居ないのだと、寂しそうに、美愛の父親は微笑む。保護してくれた相手は、大切に育ててくれたが、身体が、その研究によって痛めつけられていて弱っていた上に大病を患った。迷惑ばかりかけていたよ、と、父親は続ける。