空白の英雄~dasoku~
王軍は魔獣の討伐を掲げて東の塔に向かうはずだった。少なくとも国中の市民はそう聞かされていた。
だが実際の王軍は東にむかう途中の山中で停留していた。
騎士達は不思議に思いながらも久々の休暇を喜んでいた。
王は騎士の中心にも近くにもいなかった。
少し離れた洞窟の中に、潜むように滞在していた。
騎士の誰も、王がそこにいることは知らされていない。そんなロウソクが灯る隠れ家で、王は地面に筆を走らせる。
「久しぶりだな」
男は堂々と正面から入ってきた。
正面、といってもこの洞窟には出入り口は1つしかない。彼がそこから来るのは当然と言えば当然だった。
王は地面の描きかけの魔法陣から手を離し、声の主を睨んだ。
ゆっくりと、男は王へと歩いてくる。うっすらとロウソクの炎が男の顔を照らす。その顔が誰なのか…王はすぐにわかった。長い月日を隔てても、2人にはお互いをわかり合うだけの絆があったのだ。
「生きていたのか」
「あぁ」
男の返事は相変わらず短く聞き取りにくいと、王は思う。
「復讐でもしにきたか?」
「いいや」
男は錆びた大剣を地面に刺した。その剣はかつて、友情の証として王が男に送ったものだった。
「聞きたいことがある」
男は魔法陣の端を足で削った。男にはこれが召喚の魔方陣だと見て取れた。
「お前は俺をはめたのか?」
男の言葉を聞いた王は笑い出した。見当違いな意見を聞いたときのような大笑いだ。
「おめでたい奴だ。お前はまだ私を親友とでも思っているのか」
男は眉ひとつ動かさずに王の言葉を聞いていた。
「もうひとつ聞きたい」
「ははは。勇者の亡霊よ、未練が多いようだな」
「オーシスは幸せだったのか?」
時が止まったかのような、重い沈黙だった。
ロウソクの炎が風もないのにゆらめく。ふたりのかすかな動向に呼応するかのように、今は小さく不安に揺れている。
その赤い炎が男の瞳に煌めいて、王の顔も照らしている。
「ははは…幸せ! はは、は」
先に動いたのは王だった。
彼は突然作ったように笑い出すと、自嘲気味につぶやいた。
「私は彼女を愛したことはない。もちろん彼女もそうだろう。だが…ふーむ…幸せか…」
王は懐から何かを取り出した。それは小さな貝のような形をしていた。
王はそれを男に投げた。女性物のロケットのようだ。
「開けてみろ。中には英雄トオンがいるだろうさ。彼女の心にはずっと英雄がいた。今のお前じゃない。英雄トオンだ。オーシスはいつも肌身離さずそれを持っていた。自分を助けた英雄の…城を守った勇者のな」
王の言う通り、ロケットの中は28年前の初々しい勇者がいた。
「幸せだったかと言う問いには答えられん。私はオーシスではない。ただ、あれはお前を愛していた。お前が死んだと聞いて悲しんでいた」
「俺を……愛していた?」
男の眉が少しだけ険しさを増した。
「知らなかったのか。お前らしいな…」
短く感嘆の声を上げた。
彼女が誰と添い遂げたかったのか。彼女がなぜ男に優しかったのか。
彼の中で、全てが繋がった。
「それもすべて16年前までの話だ。毎日お前の冥福を祈っていた」
「そうか」
オーシスは命尽きるまで勇者を忘れなかった。対照的に王は、男を裏切っていた。
真実はそれだけだった。
「聞きたい事はそれだけか?」
「あぁ。……不思議だな」
男はそっと瞳をとじた。視界が遮られ、見えるものは全て過去の記憶と思いばかりだった。
それは一時も忘れたことなどない強い情景。
28年前のできごと。
騎士なったとき。
騎士だったとき。
騎士として殺されたとき。
愛した人たち。
愛してくれた人たち。
本当の思い…。
「俺はそれが知りたかったハズだ……が、今はさほど興味がない」
「そうか」
王は男が消した魔法陣を描きなおした。未完成ではあったが、魔獣を呼び寄せるには充分な完成度だった。
脅しに使う気なのだろう。
「ならばこのままご退場願おう」
王はまっすぐ出口を指した。
「私とて、同じ男を2度も殺したくはない」
「それはできんな」
男は王に背を向けた。大剣に近づくとそれを抜き上げた。
「これ以上魔獣を増やされるのは…傭兵代表として勘弁だ。それに…」
男は言葉に詰まった。
「なんだ」
王はせっかちだった。男の言葉を待てるほどの余裕もなかった。
「やはり復讐か? お前の人生を壊した私が憎いか!」
「俺は今でもお前を友人だと思ってる。俺を勇者と祭ったのはお前だ」
「ならなんだ。なぜ剣を握る?」
喉仏が唸る。
こんなことを親に言っていいのだろうか。
その判断は男にはくだせやしなかった。
「途中、武装奮起する王子たちを見た。この国の旗を破いてな」
王の顔色が変わった。
旗を破る行為ほど、わかりやすい反逆のサインはない。
「はは…流石のお前も予想外か」
なぜ王子が奮起したのか、ふたりにはわからない。
もしかしたら王が魔獣を生み出し続けていることを知ってしまったのかもしれない。
はてまた単に、玉座が欲しかったのかもしれない。
いずれにせよ男には子が親を殺すことも、親が子を殺すこともあってほしくなかった。そんな悲しい罪を見逃せなかった。誰かが王を止めねばならない。ならば彼のすることはひとつだった。
「お前は俺に殺される。……そのほうがいい」
勇者は大剣をまっすぐに構えた。
「玉座は渡さない! 私を引きずり降ろそうとするなら息子とて容赦はしない。ましてや貴様など!」
王は魔法陣を始動させようとした。だがそれはいとも簡単に勇者の刃に打ち消された。
それを読んでいたかのように、王は忍ばせていた短剣を引き抜き、勇者に切りかかった。
勇者は重い剣で短剣を受け止め、力任せに振り払った。王は短剣ごと壁に吹き飛ばされた。
「時間ってやつは恐ろしいな。俺もお前も歳をとった…」
王は慌てて短剣を探した。が、拾う前に大剣を突きつけられた。
「貴様は負けたんだ!」
王は叫ぶ。月日と共にすっかり臆病になった王は叫ぶことで勇者を威嚇していた。
それは男にとっては、今の今まで戦火をくぐり抜けてきた男には全く無意味な威嚇だった。
「23年前に! 貴様は私に負けたのだ!」
王は後退りをしようともがいた。武器を持たぬ王は後ずさることが唯一の抵抗だった。だがこれ以上は下がれない。
「23年も前の話だ」
勇者はゆっくりと王に歩み寄る。
「今やり合えばどちらが勝つかは……はは。結果は出てるな」
一歩一歩、確実に王と男の距離は詰まる。
同時に王の命も刻一刻と縮まっていく。
懸命に打開策を探した。王は死が何よりも怖い。頭の全てを使って生き残る手段を考えた。
王は気がついた。
この目の前の謀叛者が生きる為の唯一の方法を。この男が返り咲くための方法に気がついた。もう一度祭り上げればいい。
「ここで貴様が私を殺せば…貴様を知る者はいなくなる!」
「いいや」
呆気なく、苦渋の言葉が掻き消された。
「何が違う? 23年も過ぎて…貴様が勇者だと知るのは私1人だ!」
「ひとり…ひとりいる」
記憶の中の少女は、ただただ愛らしくほほえんで彼を愛す。
「いる? …話したのか? らしくない」
「やっとわかったんだ」
微動だにせず、男は目を細めて語る。
たった1人の友人に、探し続けた男の心を打ち明けた。
だが実際の王軍は東にむかう途中の山中で停留していた。
騎士達は不思議に思いながらも久々の休暇を喜んでいた。
王は騎士の中心にも近くにもいなかった。
少し離れた洞窟の中に、潜むように滞在していた。
騎士の誰も、王がそこにいることは知らされていない。そんなロウソクが灯る隠れ家で、王は地面に筆を走らせる。
「久しぶりだな」
男は堂々と正面から入ってきた。
正面、といってもこの洞窟には出入り口は1つしかない。彼がそこから来るのは当然と言えば当然だった。
王は地面の描きかけの魔法陣から手を離し、声の主を睨んだ。
ゆっくりと、男は王へと歩いてくる。うっすらとロウソクの炎が男の顔を照らす。その顔が誰なのか…王はすぐにわかった。長い月日を隔てても、2人にはお互いをわかり合うだけの絆があったのだ。
「生きていたのか」
「あぁ」
男の返事は相変わらず短く聞き取りにくいと、王は思う。
「復讐でもしにきたか?」
「いいや」
男は錆びた大剣を地面に刺した。その剣はかつて、友情の証として王が男に送ったものだった。
「聞きたいことがある」
男は魔法陣の端を足で削った。男にはこれが召喚の魔方陣だと見て取れた。
「お前は俺をはめたのか?」
男の言葉を聞いた王は笑い出した。見当違いな意見を聞いたときのような大笑いだ。
「おめでたい奴だ。お前はまだ私を親友とでも思っているのか」
男は眉ひとつ動かさずに王の言葉を聞いていた。
「もうひとつ聞きたい」
「ははは。勇者の亡霊よ、未練が多いようだな」
「オーシスは幸せだったのか?」
時が止まったかのような、重い沈黙だった。
ロウソクの炎が風もないのにゆらめく。ふたりのかすかな動向に呼応するかのように、今は小さく不安に揺れている。
その赤い炎が男の瞳に煌めいて、王の顔も照らしている。
「ははは…幸せ! はは、は」
先に動いたのは王だった。
彼は突然作ったように笑い出すと、自嘲気味につぶやいた。
「私は彼女を愛したことはない。もちろん彼女もそうだろう。だが…ふーむ…幸せか…」
王は懐から何かを取り出した。それは小さな貝のような形をしていた。
王はそれを男に投げた。女性物のロケットのようだ。
「開けてみろ。中には英雄トオンがいるだろうさ。彼女の心にはずっと英雄がいた。今のお前じゃない。英雄トオンだ。オーシスはいつも肌身離さずそれを持っていた。自分を助けた英雄の…城を守った勇者のな」
王の言う通り、ロケットの中は28年前の初々しい勇者がいた。
「幸せだったかと言う問いには答えられん。私はオーシスではない。ただ、あれはお前を愛していた。お前が死んだと聞いて悲しんでいた」
「俺を……愛していた?」
男の眉が少しだけ険しさを増した。
「知らなかったのか。お前らしいな…」
短く感嘆の声を上げた。
彼女が誰と添い遂げたかったのか。彼女がなぜ男に優しかったのか。
彼の中で、全てが繋がった。
「それもすべて16年前までの話だ。毎日お前の冥福を祈っていた」
「そうか」
オーシスは命尽きるまで勇者を忘れなかった。対照的に王は、男を裏切っていた。
真実はそれだけだった。
「聞きたい事はそれだけか?」
「あぁ。……不思議だな」
男はそっと瞳をとじた。視界が遮られ、見えるものは全て過去の記憶と思いばかりだった。
それは一時も忘れたことなどない強い情景。
28年前のできごと。
騎士なったとき。
騎士だったとき。
騎士として殺されたとき。
愛した人たち。
愛してくれた人たち。
本当の思い…。
「俺はそれが知りたかったハズだ……が、今はさほど興味がない」
「そうか」
王は男が消した魔法陣を描きなおした。未完成ではあったが、魔獣を呼び寄せるには充分な完成度だった。
脅しに使う気なのだろう。
「ならばこのままご退場願おう」
王はまっすぐ出口を指した。
「私とて、同じ男を2度も殺したくはない」
「それはできんな」
男は王に背を向けた。大剣に近づくとそれを抜き上げた。
「これ以上魔獣を増やされるのは…傭兵代表として勘弁だ。それに…」
男は言葉に詰まった。
「なんだ」
王はせっかちだった。男の言葉を待てるほどの余裕もなかった。
「やはり復讐か? お前の人生を壊した私が憎いか!」
「俺は今でもお前を友人だと思ってる。俺を勇者と祭ったのはお前だ」
「ならなんだ。なぜ剣を握る?」
喉仏が唸る。
こんなことを親に言っていいのだろうか。
その判断は男にはくだせやしなかった。
「途中、武装奮起する王子たちを見た。この国の旗を破いてな」
王の顔色が変わった。
旗を破る行為ほど、わかりやすい反逆のサインはない。
「はは…流石のお前も予想外か」
なぜ王子が奮起したのか、ふたりにはわからない。
もしかしたら王が魔獣を生み出し続けていることを知ってしまったのかもしれない。
はてまた単に、玉座が欲しかったのかもしれない。
いずれにせよ男には子が親を殺すことも、親が子を殺すこともあってほしくなかった。そんな悲しい罪を見逃せなかった。誰かが王を止めねばならない。ならば彼のすることはひとつだった。
「お前は俺に殺される。……そのほうがいい」
勇者は大剣をまっすぐに構えた。
「玉座は渡さない! 私を引きずり降ろそうとするなら息子とて容赦はしない。ましてや貴様など!」
王は魔法陣を始動させようとした。だがそれはいとも簡単に勇者の刃に打ち消された。
それを読んでいたかのように、王は忍ばせていた短剣を引き抜き、勇者に切りかかった。
勇者は重い剣で短剣を受け止め、力任せに振り払った。王は短剣ごと壁に吹き飛ばされた。
「時間ってやつは恐ろしいな。俺もお前も歳をとった…」
王は慌てて短剣を探した。が、拾う前に大剣を突きつけられた。
「貴様は負けたんだ!」
王は叫ぶ。月日と共にすっかり臆病になった王は叫ぶことで勇者を威嚇していた。
それは男にとっては、今の今まで戦火をくぐり抜けてきた男には全く無意味な威嚇だった。
「23年前に! 貴様は私に負けたのだ!」
王は後退りをしようともがいた。武器を持たぬ王は後ずさることが唯一の抵抗だった。だがこれ以上は下がれない。
「23年も前の話だ」
勇者はゆっくりと王に歩み寄る。
「今やり合えばどちらが勝つかは……はは。結果は出てるな」
一歩一歩、確実に王と男の距離は詰まる。
同時に王の命も刻一刻と縮まっていく。
懸命に打開策を探した。王は死が何よりも怖い。頭の全てを使って生き残る手段を考えた。
王は気がついた。
この目の前の謀叛者が生きる為の唯一の方法を。この男が返り咲くための方法に気がついた。もう一度祭り上げればいい。
「ここで貴様が私を殺せば…貴様を知る者はいなくなる!」
「いいや」
呆気なく、苦渋の言葉が掻き消された。
「何が違う? 23年も過ぎて…貴様が勇者だと知るのは私1人だ!」
「ひとり…ひとりいる」
記憶の中の少女は、ただただ愛らしくほほえんで彼を愛す。
「いる? …話したのか? らしくない」
「やっとわかったんだ」
微動だにせず、男は目を細めて語る。
たった1人の友人に、探し続けた男の心を打ち明けた。
作品名:空白の英雄~dasoku~ 作家名:桜田みりや