魔導装甲アレン-黄砂に舞う羽根-
逃げるライザをトッシュとアレンが素早く追う。しかし、ライザの勝ちだ。
白銀の箱を出たライザは後ろを振り返り妖しく微笑んだ。
「では、御機嫌よう」
ライザの身体とともに?少女?の身体が霞んだ。
「セレン捕まえろ!」
それはアレンの叫びだった。
アレンの視線の先にはトッシュが居り、その先には出入り口付近で突っ立っているセレンがいた。この距離ならセレンが一番近いとアレンは判断したのだ。
突然のことにセレンはびっくりしながらも、すぐに自分のするべきことに気づき、?少女?に手を伸ばした。
――そして、消えた。
ライザと?少女?が空間に解けるように消え。?少女?の腕を掴んだセレンもまた、空間に呑み込まれるようにして姿を消してしまったのだ。
三人もの人間が消えてしまうという不可解な現象を前にして、トッシュは口を半開きにしながらアレンとリリスに顔を向けた。
「なんだありゃ、人が消えたぞ?」
それはトッシュにとってはじめて見る光景だった。魔導というものが、この世に存在していることを理解しながらも、人が消えるなどという現象は信じがたいことだったのだ。
床に胡坐をかき頭を抱えるトッシュのもとにリリスが歩み寄った。
「あれは空間転送じゃな」
「空間転送ってなんだ?」
「人を瞬間的に移動させる手段じゃよ。とは言っても、決まった場所にしかいけないうえに一方通行じゃ。街の外に飛空挺が停まって居ったことを考えると、あの中に移動したのかのお?」
手に顎を乗せて考え込みはじめたトッシュの前にアレンが座った。
「仕事どーすんだよ。あの?少女?を奪還しに行くのかよ?」
「行かない」
「はぁ!?」
それはアレンにとっても予想だにしなかった返事だった。
「行かないと言ったんだ。ミッションは失敗、おまえへの支払いは半額の五〇〇〇イェンだな」
「はぁ? ちゃんと全額支払えよ」
「仕事に失敗したんだから、半額だけでも払ってもらえるだけ感謝しろ」
「もういらねぇーよ。あんたから一銭ももらわねえ。だから今後一切俺にかかわるなよ糞オヤジがっ!!」
顔を真っ赤にしたアレンが、のっしのっしと大股開きで出口に向かって行く。そんな怒りを露にするアレンの背中に、飄々とした声でリリスが声をかける。
「どこに行くのじゃ?」
リリスの呼び止めに、アレンは顔を蛸みたいな真っ赤にして振り返り、大声で怒鳴った。
「あんたも今後一切俺と関わるなよ! あんたらと組むとロクなことがないっつーことに気づいた。……糞っ!」
アレンは独り坑道の奥へと消えていった。
待遇としては牢屋に入れられなかっただけマシだろう。それが自分を慰めるセレンの考えだった。
部屋は一人でいるには広く、床には金糸と銀糸の刺繍がされた赤絨毯が敷かれ、テーブルや椅子といった家具にはこみいった曲線模様の細工がされ、部屋は華やかな色彩を放つロココ様式にまとめられていた。
豪華絢爛なこの部屋にもてなされるのは、普段であれば一流の貴族に違いないが、今この部屋にいるのは、汚れた僧服を着た十五歳の小娘だ。釣り合いが取れていないのが目に見えて明らかだ。
こんな部屋に入れられている以上は、立派な客人として迎えられていると思いきや、どうやら違うらしい。ドアは鍵が掛けられておらず開きっぱなしになっているが、その先には見張り役の男が立っており、窓はもとから開かぬように嵌め殺しの窓になっている。これでは逃げようがない。
セレンは部屋中を意味もなく歩き回った。やることがないのだ。
窓の外に広がる光景は、朱色に染まったクーロンの街だ。朱色に染まった空へ街から吐き出される黒い煙が伸び、街はすでに地震から立ち直り、二十四時間眠らぬ街にふさわしい活気を取り戻している。
セレンはクーロン地下坑道からここ――〈キュクロプス〉艦内への空間転送に巻き込まれてしまった。そして、すぐにこの部屋で軟禁状態にされ、?少女?がどこに連れて行かれたか知らない。
部屋は今セレンがいる場所の他に寝室とシャワールームがある。なに不自由ない部屋だが、それは囲いの中の自由だ。こんなところにいられない――というのが、セレンの気持ちだった。
どこでどう運命を見誤ってしまったのか。アレンと出会わなければ、もっと平凡なシスターとして一生を終えていただろう。いや、アレンと出会う前の時点で、裏路地に入ってさえいなければ、あの時間にあの道を、買い物を――運命の鎖を辿れば尽きることない。
部屋を歩き回っていたセレンはシャワールームに足を運んだ。シャワーを浴びるためではない。逃げ道を探すためだ。
天井を見上げた視線の先に、通気孔の入り口が見えた。蓋が閉まっているが、簡単に外せそうで、小柄なセレンならば中に入れるくらいの大きさだ。
天井までの高さはそれほど高くないが、セレンが両手をめいいっぱい上げてジャンプしても届きそうもない。
部屋の外の見張りに悟られぬように、セレンはそっと椅子を一つ運んで来ると、通気孔の真下に置いた。
椅子に乗ったセレンが両手を上に伸ばすと、楽々と天井に手がついた。これで上に登れる。
通気孔の蓋を開けたセレンは、暗闇の中に恐る恐る手を入れ、縁に手を掛け、肘を掛け、踵が少し浮いた。
ぐっと細い腕に力が入り、踵がゆっくりと椅子の上に降りた。
「登れない」
肘を掛けたところで足が浮いてしまい、それ以上動けない。筋力のないセレンには、とても通気孔までよじ登ることができないようだ。
小さな口元から、ゆっくりと息を吐いたセレンは、心の中で数を数えた。
三、二、一――。
椅子を踏み台にしてセレンが勢いよく飛び上がった。
片足が椅子の背もたれに引っかかり、椅子が大きな音を立てて床に倒れた。
通気孔の中に両肘を掛けられたのはいいが、足場を失い、力も入らず、セレンは足をバタつかせながら、その場から動けなくなってしまった。
やがて部屋の外から物音を聞いて駆けつけて来た見張り役の兵士に、ライフルの銃口を向けられてしまった。
「そこでなにをしている? 早く降りて来い!」
セレンからは下にいる兵士の顔が見えなかった。顔を通気孔の中に突っ込んでいる。
声に命じられるままにセレンは降りようとしたが、下が見えないために床までの距離が掴めず、
「すみません、降りるの手伝ってくださいませんか?」
と暗い通気孔の中に声を響かせた。
どこからかため息を吐くような声が聞こえ、セレンの両足が抱きかかえられるように掴まれた。
「ゆっくりと手を放して降りて来い」
「ありがとうございますぅ」
床の降ろされたセレンは、そのまま腕を掴まえれ、リビングまで歩かされると、銃口を向けられ椅子に座らされた。
「じっと座っていろ」
「はい」
力ない声でセレンは返事をした。
状況は完全に悪化した。
手足を縛られることはなかったが、椅子から一歩も動けず、常に自分に銃口を向ける兵士が凛とした態度で立っている。セレンは目を伏せ、重いため息を吐いた。――逃げ出そうなんて考えなければよかった。
作品名:魔導装甲アレン-黄砂に舞う羽根- 作家名:秋月あきら(秋月瑛)