魔導装甲アレン-黄砂に舞う羽根-
「妾はなにも…… 汝の本能が恐怖したのじゃろうて」
美に恐怖する。リリスの持つ美は、魔性のモノだったのだ。
「!?」
水鬼の眼が限界まで見開かれた。そして――。
「世界に還して進ぜよう!」
膨張した水鬼が一瞬にして弾け飛んだ。まさにそれは刹那の出来事であった。水風船が爆発したような現象だった。
血まみれの肉片が辺りに散乱する中、目の前にいたはずのリリスの顔はおろか、衣服すらいっさいの汚れを付けていなかった。もしかしたら、壮絶なる美を前に、穢れが恐れおののき、自然の法則を破ってしまったかもしれない。
地面に落ちる眼球を指先で拾い上げたリリスは、それを迷うことなく口の中に放り込んだ。
喉元が艶かしく動き、眼球をひと呑みにする音がした。
ジープを走らすトッシュは納得のいかない顔をしていた。自分が寝ている間に、なにがあったのかさっぱりわからない。わかることは、大魔導師リリスが助手席に乗っているということだけだ。
「まったく砂漠ってやつは埃っぽくて嫌いだよ」
などと妖婆は愚痴をこぼしている。
ジープの荷台では相変わらず誰かさんがいびきを掻いて寝ているし、いつの間にかその誰かさんに膝を枕にされてしまっているセレンは、そろそろ足が痺れてきて嫌な顔をしはじめている。けれど、結局なにも言えないところがセレンらしい。
自分の太ももの上で豪快ないびきを掻く少女の寝顔を見つめながら、セレンは『いつもこんな可愛い顔しててくれればいいのに』なんて思っていた。
トッシュは前方を見ながら、横でさっきからブツブツ文句を垂れているリリスに話しかけた。
「ところでリリス殿、封印されている入り口の封印を解いてくれる気におなりか?」
「さあてね、まだ決めかねてる途中じゃよ」
相手にばれないようにトッシュは静かにため息を漏らした。ジープに乗ってくれているだけマシと言うところだろうか。
ジープの荷台から奇怪な声が聞こえてきた。
「肉、肉、もも肉喰いてえ!」
もちろんアレンの寝言だ。
セレンは自分の太ももの上で『もも肉喰いてえ』と言われると、少し腹立たしくなる感じがして、あからさまに嫌な顔をした。
「わたしの太ももが必要以上に太いとでも言いたいんですか!?」
「太もも太もも……うひゃひゃ」
「もぉ、わたしのこと莫迦にしてるんですか!」
寝言に話しかけて怒るセレンもセレンだが、いったいアレンはどんな夢を見ているのだろうか。口元から涎が垂れていることから、食べ物夢が濃厚だが……?
太ももとべっとりとした涎で汚され、セレンは少し怒った顔をするが、それでもアレンを起さずに、自分のポケットからそっとハンカチを出した。
「もぉ、涎なんて垂らして……!?」
セレンは自分の太ももに付いた涎を拭き取り、アレンの口元にも付いた涎を拭こうとしたときだった――消えた。
目を丸くするセレンが素っ頓狂な声をあげて叫んだ。
「消えちゃいましたーっ!」
声に驚いたトッシュがすぐにブレーキを踏んで、荷台に向かって振り返った。そして、彼もまた目を丸くした。
「あの小僧はどこ行った?」
「わたしに聞かないでくださいよぉ〜」
困った顔をするセレンの膝元には誰もいなかった。そこにはたしかにアレンがいたはずなのに、先ほどまではいたはずなのに、そこには誰もいなかったのだ。
急ブレーキのせいで首を痛めたか、リリスは首の裏を手で擦りながら後ろを振り向いた。
「ありゃま、本当にいなくなちまったね」
と言葉では驚いているが、リリスの表情はいたって平常だった。
三人の中で一番驚いているのはセレンだ。アレンは彼女の膝の上から突如消えてしまったのだから、驚くのも無理もない。
「わたしの膝の上でいびき掻いてたんですよ。それがいきなりパッと消えちゃったんです」
訝しげな表情をしていたトッシュが、お手上げして宙を仰いだ。
「ったく、普通は人が消えるわけないだろう」
「だって消えちゃったんですってば!」
セレンは今にも泣きそうな顔をしていた。自分のせいじゃないのに、自分のせいのような気がしたからだ。
遥か遠くの景色を眺めるような眼差しをしているリリスが呟いた。
「〈蜃の夢〉じゃな」
天を仰いでいたトッシュも顔を首を下げて、リリスの視線の先を見た。そして、涙目になっていたセレンもまた――。
そこには、そこにあるはずのない映像が映し出されていた。蜃気楼――それすなわち蜃の見る夢の幻影。砂漠の真ん中で〈蜃の夢〉を見た。
そして、妖婆がその容姿に相応し声音で言った。
「あ奴、〈蜃の夢〉に囚われ堕ちたか……」
「世話の焼けるガキだ」
鼻で息を吐いたトッシュは、頭に手を乗せながら目をゆっくりと閉じた。
オアシスの幻影を前にして、セレンの頭は混乱していた。
「リリスさん、アレンが囚われ堕ちたってどういうことですか!?」
「あの坊やは〈蜃の夢〉の住人になちまったってことじゃよ」
「どうしたら、戻ってくるんですか!?」
「さて、あの坊や次第じゃよ。どうするトッシュ、あの坊やを待つかい?」
トッシュは目を閉じながら返事をした。
「一時間くらいなら待つか。それ以上は待てないな」
「アレンを置いて行く気ですか!」
そんなことセレンにはできない。だが、トッシュの言葉がセレンの胸を突いた。
「戻って来る確証のない者を待つつもりか?」
「でも……それでもわたしは……」
戻って来る確証がないなんて言われたら、身も蓋もなくなってしまう。けれど、セレンは言葉を続けた。
「それでもわたし待ちます。人を置き去りにしたり、人を犠牲にしたり、そんなことわたしにはできません。ちっぽけなわたしにできることって少ないですけど、それでも目の前にいる人は放って置けませんから、できる限りのことはしたいと思うんです」
帰って来ないかもしれない者を待つというのか。
なにを思ったのか、リリスは荷台に転がっていた双眼鏡を指差してセレンに命じた。
「そこに落ちてる双眼鏡であのオアシスを見てごらん」
「双眼鏡ですか?」
不思議に思いながらも、セレンは言われるままに双眼鏡でオアシスを眺めた。すると、そこにはアレンの姿が!?
湖の畔でアレンが昼寝しているのを、セレンは双眼鏡を通して目撃した。
「どういうことですか!?」
「それが〈蜃の夢〉の住人になったってことじゃ」
帽子の上から頭を掻きながら、大あくびをしたアレンは、湖の畔で目を覚ました。
上半身を起したアレンはすぐに辺りを見回す。
「どこだよここ?」
水底の砂まで見える透き通った湖の周りに、ナツメヤシなどの草木が生い茂り、その先に広がる砂漠を見て、ここはオアシスなんだと、アレンは頷きながら納得した。
でも、どうして自分がこんなところにいるのか、皆目見当が付かない。
寝ている間に置き去りにされたのかもとアレンは考えたが、その理由はピンと来ないような気がした。
辺りには人の気配もなく、湖の水面は波風一つ立っていない。
アレンは頭を悩ますばかりで、これが〈蜃の夢〉だということに、まったく気づいていなかった。
しばらく考え込んでいたアレンであったが、考えるのは彼女の性に合わないらしく、地面の上に寝転んで蒼空を眺めはじめた。
作品名:魔導装甲アレン-黄砂に舞う羽根- 作家名:秋月あきら(秋月瑛)