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空蝉に青空

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淡い新緑の季節はとうに過ぎ、毎年のように更新される猛暑のなかを、セーラー服の少女は歩いていた。校庭から少し離れた場所にある大きなプールに辿り着くまでにそう時間はかからないはずだが、この暑さの中では立っているだけでも汗が吹き出てきて容赦なく体力を奪っていく。鞄の中に飲みかけのお茶は入っているけれど、熱を吸収してさぞかしぬるいお茶と成り果てているのが容易に想像できて飲む気はしない。
(あーもう、セーラー服ってやだなぁ)
 ブレザーのように調節できないせいで夏は暑く、冬は寒い。セーラー服を着たことがない人は憧れるとよく言うが、少女にとってはブレザーのほうがよほど羨ましい。

 ───ぱしゃん

 耳に心地いい水の音が聞こえてきた。その音で、少女は探している相手がまたプールの中にいることを知る。いくぶん足早になってプールの高さ分地面より高くなっているその脇を歩く。その丁度突き当たりにあるコンクリートの階段を上れば、フェンスに囲まれた青いプールが見えてくる。
「ミーナートー」
 眩しすぎる太陽の光がきらきらと水面を照らす。気持ち良さそうにそこに浮かんでいる少年を、フェンスの外から呼ぶ。
「いつまで泳いでんのー?」
「んー……」
 くすくすと笑いながら、ミナトと呼ばれた少年は曖昧に返事をする。
「もー水都ってば! 帰ろうよぅ」
 聞いてほしいことがあるのに、と口の中だけで呟いてぎゅっとフェンスを握った。
「水華(ミズカ)もこっちに来ればいいだろ」
 ほら、とたくましく鍛え上げられた両腕を広げる。けれど水華は少しだけ哀しそうな顔をして首を振る。
「あたしは入っちゃだめなの。知ってるでしょ」
「知ってるけど。でもさ、お前は入りたいんだろ?」
 ぱしゃん、と落とした腕でわざと水飛沫を立てる。つんと鼻につく塩素の匂いが、フェンスの外の水華にまで届く。
 きらきらと輝くプールは魅力的だ。水華だって爆弾を抱えてなければ飛び込んで泳いでいたことだろう。けれどだめなのだ。水華にとってプールを隔てているフェンスが、まるで堅固な要塞のように立ちはだかっているように見える。
 黙って固まってしまった水華に、水都は苦笑して言った。
「しょうがねぇなぁー。ほら、とりあえずこっちまで来いよ。プールに入れなんて言わねぇからさ。そこまでだったら誰も怒んねぇって」
 ほら水華、と水都はにかっと人好きのする笑顔で呼び寄せる。それに逆らえなくて、けれど自分への戒めとしてローファーのままプールサイドに足を踏み入れる。
「あっ、こら水華! 靴は脱げって」
 めざとく見つけた水都に怒られるが水華は聞かずにふいっと横を向いて視線をずらした。
「やだ。だって脱いだら入りたくなっちゃうもん」
「俺が怒られるだろー」
 ざばっと水しぶきをあげて水都がプールサイドに手をつく。そのままひょいっと上がった水都は、水華をプールサイドにある椅子へ座らせ学校指定の黒いローファーと紺色のハイソックスを強制的に脱がした。
「ちょっと水都ってば!」
「……ほら、気持ちいいだろ?」
 足に当てられた水都の手はプールの水によってひんやりと冷たくなり、火照った足に心地いい。何も言えずにこくんと頷くと、水都は満足げに笑い、濡れたままの手でぽんぽんと頭を軽く叩いた。
「もう少しだけ泳いだら帰るから、それまで待ってろ」
「……水都なんて置いて帰っちゃうもん」
「そう言っていつも待っててくれるだろ? 俺のカッコイイ泳ぎ見せてやっからさ、一緒に帰ろうぜ」
 そう言って頬に軽く唇を寄せる。水で湿った唇もひんやり冷たくて気持ちがいい。
「……ばぁか」
 立ち上がりかけていた腰をまた下ろし、拗ねたように言った水華に水都は嬉しそうに笑う。その『ばぁか』の響きは優しくて、逆の意味を示していると分かっているからだ。
 水都は飛び込み台の上に立つと、ゴーグルをはめる。そのまま水に吸い寄せられるようにして青いプールの中に飛び込んだ。さすがに水泳部のエースと言われるだけあってフォームは綺麗だ。うねる水面と合わせて水都の身体がゆらんと水の中で動く。
(……気持ち良さそう……)
 海に泳ぐ魚のように速く、水と一体化しているように泳ぐ姿は水華をドキドキさせる。無意識に左の胸に手を当てて、じっとそれを治めようとするけれど、なかなか治まってはくれない。
「いいなぁ……」
 あんな風に泳げる水都が羨ましい。爆弾さえなければ、水華だって水の中に入れるのに、それは叶わない。少しだけ落ち込んで、けれど水都から目を離せずにぎゅっと膝の上に乗せた手を握る。ともすれば走り出してプールの中に飛び込みたい気持ちを抑えるためだった。
「佐々木?」
 そんな水華のうしろから訝しげな声が聞こえた。少しだけ驚いて振り返ればそこには学校名の入ったパーカーを羽織ったまだ若い体育教師が立っていた。
「金城(きんじょう)先生」
 去年、他学校から赴任してきた教師歴三年の金城は体育教師で、親しみやすい人柄から男女問わず生徒に人気がある。学生時代はかなり期待された水泳選手でもあったと言うことで、現在は水泳部の顧問でもあった。だが、テストが終わったばかりで明日から夏休みと言う今日は部活がない日のはずだ。そう言えば水都が部活のない日は個人でレッスンしてもらうとか何とか言っていた気がする。水華は考え、もう一度体育教師の顔を見る。
「東條(とうじょう)が連れてきたのか?」
 責めるような問いかけではなかったが、暗に入るなと言われたようでしゅんと俯きながら首を横に振った。
「そばで見るくらいならいいと思って……水都の泳ぐ姿を焼き付けておきたかったから」
「……そうか。まぁ、聞き飽きてるだろうけど、負担かけないようにな。心臓(そこ)に」
「………はい」
 ぎゅっと心臓に手を当てて答えた水華に、ぽんっと軽く手を乗せると苦笑する。
「ま、プールサイドに上がるくらいなら、な」
 爽やかな笑顔で言う。そして、椅子の端においてあったメガホンを取ると泳ぎ続けている水都に声をかけた。
「東條! フォームが崩れてるぞ。ちゃんと意識して泳げー」
 そこでようやく顧問の姿を映したのか、一瞬だけ顔を上げて金城を確認するとまた泳ぎだした。指摘されたところを直そうとしたのか、少しだけ泳ぎ方が変わる。
 きらきらと太陽の光に反射して輝くプールは耐え難い誘惑だ。けれど心臓に負担をかけることは自分の命をも縮めることだと分かってから、水に触れることはできなくなった。
(発作が起きたのはいつだったっけ……?)
作品名:空蝉に青空 作家名:深月