愛ある限り
『愛ある限り』
ある日、夫の和夫が妻の名前を忘れた。和夫がいつものように新聞を読みながら食事をしているときである。
「あなた、どうしたの?」と妻が言う。
「お前の名前は何だ?」と真顔で言った。
「何を言っているの?」
なおも真顔で言い続ける。
「名前は何だ」と少しいらだっている。
「馬鹿なことは言わないでよ、京子よ。忘れたの?」と少し戸惑ったように京子は言った。すると、和夫は、「忘れた」と子供のように素直に答えた。
まさかと思っていたことが現実となったのである。和夫は痴呆症になったのである。その予兆はあった。しかし、それが現実になるとは、京子は夢にも思わなかった。それもかなりひどい。妻の名前を忘れるなんて。京子にしてみれば、大切に夫に寄り添うようにともに生きてきた。この世で、二人といない大切な人。そんな関係であるはずなのに、その妻の名を忘れた。そのショックで京子は数日間寝込んでしまった。寝ている最中、名前を忘れたことを思う度に涙が無性に流れてきた。自分の人生は何だったのかと。
あまり気の進まない夫を無理やりつれて検査に行った。
夫よりも数倍老いている医師から、ことなげに「かなり痴呆が進んでいますね。治療するのは、難しいです」と言われた。
京子は目の前が真っ暗になった。
「進行を遅くすることはできても、止めることはできない。なるべく本人の望む生活をさしてあげなさい」と淡々と言われた。
「病気か?」と検査結果を聞いた京子に夫は聞いた。
京子が黙っていると、
「いいえ隠さんでもいい」
京子はなおも沈黙した。
「ひどい物忘れだそうよ」
「自分でも、この頃、もの忘れがひどいと感じていた」と夫は淡々と語った。
夜、京子はなかなか眠れなかった。もうじき独りぼっちになるという恐怖に囚われたらである。痴呆症にかかった夫はもう老い先がそんなに長くはない。夫が死んだ後どうやって独りで生きていけばいいのか。せめて生きている間でも、夫を愛し続けることができたら、その思い出を心の支えにして、夫の死後も生きていけると思った。けれど、今は自分の名前を忘れかけている夫を愛し続ける自信がなかった。
新婚の頃を思い出した。料理に失敗しても、おいしいと言って食べてくれた。自分のせいで子供ができないということを一度も責めたこともなかった。あれは遠い日のことなのか。
ある日、医者が言った。
「いろんなことが起こります。けれど病気です。そのことを忘れないでください。とても難しいかもしれませんが、気をしっかりと持ってください」と医者が神妙な顔で言った。
「いいですか、心して聞いてください。最後は本人も気づかぬうちに、おのれ自身を忘れてしまう」と医者と重々しい口調で付け加えた。
医者が言ったことをどう整理していいのか。夫にどう告げたらいいのか。京子の頭の中は混乱した。
「先生、一つ聞いていいですか?」と京子は言った。
独りぼっちになったらどうしたらいいのか、医者に聞いてみようかとも思ったが、さすがに恥ずかしくて言葉にできなかった。
「いえ、何でもないんです」と愛想笑いをした。
独りぼっちになる。そんなことは夢にも思ったことがなかった。しかし、目の前に迫っている。何をすればいいのか。気持ちの整理につかないのに。
和夫がある日、スペインの写真を観て、
「サグラダファミリア聖堂の写真だ」と言ったのには、京子もびっくりした。
スペインに行ったのは一度だけ、それも三十年も前の新婚旅行のことである。素通りのように通り過ぎたのに、今もなお彼の記憶には残っている。三十年間も連れ添った妻の名前を忘れているのに。もっとも名前で呼ばれたのは、新婚の頃だけで、新婚過ぎてからは、ずっと、“お前”と呼ばれてきた。子供もいない、二人だけの生活を三十年続けてきたのである。口にこそしないが、彼女はずっと愛されていると思ってきた。だが、過去を振り返るとそうでもないではないかと思うことがあった。たとえば、新婚の部下が来た時に、「妻なんかは空気みたいな存在だよ」と言われた。一瞬、腹が立ったが、それも夫の照れ隠しと思い、微笑んで、「空気のような京子です」と部下に愛想のいい顔をした。しかし、今思えば、確かに夫にとって自分は確かに空気みたいな存在で名前を覚えるに値しない存在に過ぎないのではなかったか。そう思うと悔しくて、夫にわけもなく辛く当たった。夫は狐につままれたかのようにきょとんとした目で妻を見ただけである。
ある日の深夜、夫が隣で鼾をかいて寝ていていた。京子は鼾の音がうるさいと思った。同時に憎いと。段々と殺してやりたいと思った。次の瞬間、ぎょっとした。殺意を持った自分に。しかし、それも悪いのは自分ではない。夫なのだと言い聞かせた。
痴呆症が段々とひどくなり、会社でも目立つようになった。むろん、そんなひどい状況とは、京子は知る由もなかったが。
夫が風邪で寝込んだ時、夫の上司から京子に電話がかかってきた。会社を辞めるように説得して欲しいという電話だった。京子は腹が立った。夫は仕事一筋で生きてきた不器用な人間である。会社のために滅私奉公で働いたのに、用がないと分かると、ぽいとゴミみたいに捨ててしまう。しかし、こうも考えた。醜態を晒すよりは、余暇を家でのんびりと過ごすのもいいかもしれないと。
横になっている夫に正直に言った。
「会社から電話がかかってきたの」
「何て言ってきた?」
「会社を辞めて、のんびりとしたらと言うの」
しばらく何も答えなかった。
横になっている夫の頬に一筋の涙が流れてきた。それを拭おうともせず、ずっと妻の方を見て、
「本当に辞めて欲しいと言ったのか?」
「ええ」と京子はうなずいた。
しばらくして、「そうか、そう言ったのか」
何か思い当たる節があったのであろう。これと反論もせずに、頭から布団を被った。
翌日、夫は妻に、「会社を辞める」と呟くように言った。
その寂しそうな顔に思わず、京子は涙が流れてきた。
長い冬が終わった。
「今年も花見に行こう」と言い出したのは夫である。
「前に、『金沢の花見に行きたい』と言っていたな、金沢へ行こう」
京子は夫の顔をまじまじと見た。よくそんなことを覚えていたなと。京子にも覚えがあった。何気なく言ったことを。金沢は夫が独身の時、転勤したことのある場所でもある。 結婚後、何度か連れていってやると言ったが、まだ連れていってもらったことがなかった。病院に行く前のことだろう、旅行会社のパンフレットを一緒に見ているとき、
「来年こそ、金沢に連れていってください」と冗談半分に言った。
春になった。約束したとおり、金沢を旅した。
「ここが一番好きなんだ」と夫が案内したのは兼六園に面する坂道だった。その坂道はゆっくりと曲線を描いていて、古い石畳が敷き詰められている。
坂の両側には桜の古木があり、ときおり桜の花びらがひらひろと降ってくる。見上げると、道の両側の桜の古木から伸びた枝が円を作り環になっていて、春の日差しを遮っている。
「観てごらん」と夫が指を指した。
あたかも花に飾られた天蓋のようである。そこから花びらがあたかも時を知らせるかのように一枚、一枚と落ちてくる。
ある日、夫の和夫が妻の名前を忘れた。和夫がいつものように新聞を読みながら食事をしているときである。
「あなた、どうしたの?」と妻が言う。
「お前の名前は何だ?」と真顔で言った。
「何を言っているの?」
なおも真顔で言い続ける。
「名前は何だ」と少しいらだっている。
「馬鹿なことは言わないでよ、京子よ。忘れたの?」と少し戸惑ったように京子は言った。すると、和夫は、「忘れた」と子供のように素直に答えた。
まさかと思っていたことが現実となったのである。和夫は痴呆症になったのである。その予兆はあった。しかし、それが現実になるとは、京子は夢にも思わなかった。それもかなりひどい。妻の名前を忘れるなんて。京子にしてみれば、大切に夫に寄り添うようにともに生きてきた。この世で、二人といない大切な人。そんな関係であるはずなのに、その妻の名を忘れた。そのショックで京子は数日間寝込んでしまった。寝ている最中、名前を忘れたことを思う度に涙が無性に流れてきた。自分の人生は何だったのかと。
あまり気の進まない夫を無理やりつれて検査に行った。
夫よりも数倍老いている医師から、ことなげに「かなり痴呆が進んでいますね。治療するのは、難しいです」と言われた。
京子は目の前が真っ暗になった。
「進行を遅くすることはできても、止めることはできない。なるべく本人の望む生活をさしてあげなさい」と淡々と言われた。
「病気か?」と検査結果を聞いた京子に夫は聞いた。
京子が黙っていると、
「いいえ隠さんでもいい」
京子はなおも沈黙した。
「ひどい物忘れだそうよ」
「自分でも、この頃、もの忘れがひどいと感じていた」と夫は淡々と語った。
夜、京子はなかなか眠れなかった。もうじき独りぼっちになるという恐怖に囚われたらである。痴呆症にかかった夫はもう老い先がそんなに長くはない。夫が死んだ後どうやって独りで生きていけばいいのか。せめて生きている間でも、夫を愛し続けることができたら、その思い出を心の支えにして、夫の死後も生きていけると思った。けれど、今は自分の名前を忘れかけている夫を愛し続ける自信がなかった。
新婚の頃を思い出した。料理に失敗しても、おいしいと言って食べてくれた。自分のせいで子供ができないということを一度も責めたこともなかった。あれは遠い日のことなのか。
ある日、医者が言った。
「いろんなことが起こります。けれど病気です。そのことを忘れないでください。とても難しいかもしれませんが、気をしっかりと持ってください」と医者が神妙な顔で言った。
「いいですか、心して聞いてください。最後は本人も気づかぬうちに、おのれ自身を忘れてしまう」と医者と重々しい口調で付け加えた。
医者が言ったことをどう整理していいのか。夫にどう告げたらいいのか。京子の頭の中は混乱した。
「先生、一つ聞いていいですか?」と京子は言った。
独りぼっちになったらどうしたらいいのか、医者に聞いてみようかとも思ったが、さすがに恥ずかしくて言葉にできなかった。
「いえ、何でもないんです」と愛想笑いをした。
独りぼっちになる。そんなことは夢にも思ったことがなかった。しかし、目の前に迫っている。何をすればいいのか。気持ちの整理につかないのに。
和夫がある日、スペインの写真を観て、
「サグラダファミリア聖堂の写真だ」と言ったのには、京子もびっくりした。
スペインに行ったのは一度だけ、それも三十年も前の新婚旅行のことである。素通りのように通り過ぎたのに、今もなお彼の記憶には残っている。三十年間も連れ添った妻の名前を忘れているのに。もっとも名前で呼ばれたのは、新婚の頃だけで、新婚過ぎてからは、ずっと、“お前”と呼ばれてきた。子供もいない、二人だけの生活を三十年続けてきたのである。口にこそしないが、彼女はずっと愛されていると思ってきた。だが、過去を振り返るとそうでもないではないかと思うことがあった。たとえば、新婚の部下が来た時に、「妻なんかは空気みたいな存在だよ」と言われた。一瞬、腹が立ったが、それも夫の照れ隠しと思い、微笑んで、「空気のような京子です」と部下に愛想のいい顔をした。しかし、今思えば、確かに夫にとって自分は確かに空気みたいな存在で名前を覚えるに値しない存在に過ぎないのではなかったか。そう思うと悔しくて、夫にわけもなく辛く当たった。夫は狐につままれたかのようにきょとんとした目で妻を見ただけである。
ある日の深夜、夫が隣で鼾をかいて寝ていていた。京子は鼾の音がうるさいと思った。同時に憎いと。段々と殺してやりたいと思った。次の瞬間、ぎょっとした。殺意を持った自分に。しかし、それも悪いのは自分ではない。夫なのだと言い聞かせた。
痴呆症が段々とひどくなり、会社でも目立つようになった。むろん、そんなひどい状況とは、京子は知る由もなかったが。
夫が風邪で寝込んだ時、夫の上司から京子に電話がかかってきた。会社を辞めるように説得して欲しいという電話だった。京子は腹が立った。夫は仕事一筋で生きてきた不器用な人間である。会社のために滅私奉公で働いたのに、用がないと分かると、ぽいとゴミみたいに捨ててしまう。しかし、こうも考えた。醜態を晒すよりは、余暇を家でのんびりと過ごすのもいいかもしれないと。
横になっている夫に正直に言った。
「会社から電話がかかってきたの」
「何て言ってきた?」
「会社を辞めて、のんびりとしたらと言うの」
しばらく何も答えなかった。
横になっている夫の頬に一筋の涙が流れてきた。それを拭おうともせず、ずっと妻の方を見て、
「本当に辞めて欲しいと言ったのか?」
「ええ」と京子はうなずいた。
しばらくして、「そうか、そう言ったのか」
何か思い当たる節があったのであろう。これと反論もせずに、頭から布団を被った。
翌日、夫は妻に、「会社を辞める」と呟くように言った。
その寂しそうな顔に思わず、京子は涙が流れてきた。
長い冬が終わった。
「今年も花見に行こう」と言い出したのは夫である。
「前に、『金沢の花見に行きたい』と言っていたな、金沢へ行こう」
京子は夫の顔をまじまじと見た。よくそんなことを覚えていたなと。京子にも覚えがあった。何気なく言ったことを。金沢は夫が独身の時、転勤したことのある場所でもある。 結婚後、何度か連れていってやると言ったが、まだ連れていってもらったことがなかった。病院に行く前のことだろう、旅行会社のパンフレットを一緒に見ているとき、
「来年こそ、金沢に連れていってください」と冗談半分に言った。
春になった。約束したとおり、金沢を旅した。
「ここが一番好きなんだ」と夫が案内したのは兼六園に面する坂道だった。その坂道はゆっくりと曲線を描いていて、古い石畳が敷き詰められている。
坂の両側には桜の古木があり、ときおり桜の花びらがひらひろと降ってくる。見上げると、道の両側の桜の古木から伸びた枝が円を作り環になっていて、春の日差しを遮っている。
「観てごらん」と夫が指を指した。
あたかも花に飾られた天蓋のようである。そこから花びらがあたかも時を知らせるかのように一枚、一枚と落ちてくる。