雪のつぶて9
「なんだよ、おまえがやりたいって言ってやった結婚式じゃないか。高いホテルでさ。予算オーバーだって言ってるのに、どうしてもそこでやるって。そう言い切ったのはおまえだろ」
「だってそのときは、こんなことになるなんて思わなかったのよ。忠彦が由美子と浮気するなんて思わなかったんだもの。わかってたら、結婚なんかしなかったわ」
写真を拾い集めては手で千切り、宙へと放っていく。破られた写真の中で、真美の笑顔が歪んでいく。
「浮気なんかしてないって言ってるだろ。何度言えばわかるんだよ。何度言えばわかってくれるんだよ」
「わからない。忠彦の言葉なんか、嘘ばっかり」
「嘘なんかついてないって」
「嘘よ。あの病院には美野里がいるのよ。しかも由美子と同じ寮に住んでいる。あなた、昨日も外来で由美子と話しをしてたって言うじゃないの。二人でどっかに行く約束でもしてたんだわ。そうでしょう。それとも別な女と約束したの? 昨夜は由美子以外の女と会ってたの? その女と飲んで、その女とセックスしてたの? そうなの? そうなのね?」
スーツの襟元を掴み、忠彦を揺さぶっていく。その手を振り払って立ち上がった忠彦は、額に手をあてて首を振った。
「いい加減にしてくれ。こっちまでおかしくなりそうだ」
「そうやって逃げるのね。逃げれば許されると思ってるんだから。もうわたし、実家に帰る」
咽の奥を絞りながら、真美は血色の悪くなった唇を開いた。乾ききった唇には、深い皺がいくつも寄っている。
「止めないよ。好きにしたらいい」
「帰ったらあなたの悪口、たくさん言うわよ。だってこんな状態で帰ったら、みんな心配するもの」
顔を歪ませた真美の奥底で、引き止めてくれ、ともう一人の真美が叫んでいるような気がした。忠彦は取り合わない。
置き去りにされた薬袋の番号が物語る。
この女はうつ病なんだよ、と。
「好きにしたらいいよ。いってくる」
握り締めていた鍵が、手の平の中で弄ばれ、甲高い金属音をたてた。
細かい雪が降っていた。昨夜の激しい降りの後の残り香のような雪。それでも充分に根雪としての役目を果たしてしまう雪。
車の中に体を滑り込ませると、外気と変わらない空気が忠彦を包む。
「そうだ、あいつはうつ病なんだよ」
うつ病なんだから、いつかは治る。病気さえ治れば、真美は以前の真美に戻ってくれる。いつかは治る。今はそのときが来るのを待っているほうが懸命だろう。
アクセルを踏むと軋んだタイヤが奇妙な音をたて、真美から逃げるみたいにして走り出していった。