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コンプレックスの檻

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 半年振りに学校に行く為には、いくらかの下準備が必要だった。僕は姉さんの着古しのワンピースを身に纏い、姉さんと同じように髪を一つに纏めあげた(幸い六ヶ月の間に髪は十分に伸びていた)。鏡の前に立って齟齬がないか確認する。似合うかな。僕がそう呟くと、似合うわよと鏡の中で姉さんは微笑んだ。それで幾分か勇気付けられて、僕はトイレ以外の理由で久々に部屋の外に出ることができた。階段を降りることも覚束ないくらい僕の足は弱っていた。音を聞きつけたのか母さんが居間から飛び出してきて何事か叫んでいたが、僕は取り合わずに外にでた。

 駅前のデパートで姉さんとお揃いのものを買い集めた。髪留めやシャンプー、口紅やファンデーションなどをだ。一度父さんの家に行った時の記憶が頼りだった。なんとか一通り集め終わると、僕は姉さんの行きつけだったという喫茶店に向かった。初めてくる店だったが、木目を基調とした落ち着いた雰囲気の店で、好感が持てた。ケーキと紅茶も美味しく、姉さんがこっちへ来るたび通っていたというのも頷けた。
 家に帰り、僕は居間で夕食をとった。何せ半年振りのことだから母さんも驚いた様子で、山のように質問を浴びせかけてきたが、うんざりして口を閉ざし取り合わないでいると直に言葉もなくなった。
 明日の準備を終えて明かりを消し床につくと、恐怖とか緊張とかが待っていたと言わんばかりに襲い掛かってきた。当然授業では取り残されているだろう。初めは心配して連絡をくれた友人達も、今ではめっきり音沙汰がない。僕は布団の中に潜りこみ、姉さんにすがった。
 大丈夫、と姉さんは僕をさとした。私がいるじゃない。
 姉さんは優しかった。いつもこうやって、僕を優しく導いてくれる。
 そうして翌朝遅刻した。寝すぎたわけじゃない。姉さんのメイクの再現に予想以上に時間がかかったせいだ。学校に着いた頃にはホームルームが始まっており、おかげで僕は教室中の視線を浴びることになった。床の木目を数えることに集中する。教室が喧騒に包まれる。教師が何事かを叫んだ。僕は適当に相槌をうちながら自分の席(廊下側二列目の、後ろから三番目だ)に腰を下ろした。スカートからはみ出た膝をくっつける。クラスメートの声は僕の耳に入ってこない。姉さん。僕は呟いた。
 しばらくの間僕の周りには人だかりが出来ていたが、僕が何も喋らないとわかると次々に数が減っていき、昼休みになる頃には誰も近寄らなくなっていた。僕は一人で弁当をつつきながら姉さんに語りかける。
 なんとかなりそうだよ。
「ねえ」
 肩を叩かれて僕は飛びあがった。身を引きながら振り返ると、女子(確か相原とかいった)が僕を見下ろしていた。
「それ、楽しいの?」
 僕は眉をひそめた。それを聞きたいのはこっちの方だった。相原は肩に美少女フィギュアを乗せていたからだ。それが理由で彼女はクラスに溶け込んでいなかったことを思い出した。
「そんなの見ればわかるだろ」
「わからないから聞いてるんじゃない」
 相原は人形の頭を撫でた。教室は何時の間にか静かになっていて、皆が聞き耳を立てているみたいだった。
「見ててわからないなら、聞いたってわからないよ。お前のそれだって」僕は相原の肩の人形を指差した。「僕には楽しいのかなんてさっぱりわからない」
「そう?」
 相原は肩の人形に目をやってからしばし黙考し、再び僕に目を向けた。
「私達、似たもの同士なのね」
 なんでそうなる。相原は満足げに頷いたかと思うと、やがて僕の席から離れていった。僕は溜息をついた。
 午後の授業も無事に終わった。当初抱いていた恐れも何時の間にか消え去っていた。姉さんのお陰だ。これなら今後もなんとかやっていけそうだった。
 そう思っていた矢先のことだった。
 帰宅するや、僕は玄関で姉さんに遭遇した。
「おかえり晃――」
 そのまま姉さんは硬直した。僕も硬直した。六ヶ月ぶりに見る姉さんは髪が短くなっていた。口紅やマスカラも趣向が変わっていた。
 そして、お腹が膨れていた。
「姉さん、」
 僕がそのことに言及する前に姉さんは顔をしかめ、
「ちょっと、気持ち悪いよあんた」
 吐き捨てるようにそう言った。
 姉さんはそんなことは言わない。月に一度、姉さんは遊びにきて、僕の頭を撫でてくれるのだ。夜は添い寝してくれる。僕が眠るまでいつまでも起きていて僕に優しい目を向けてくれる。
 姉さんは、そんな存在でなければならない。
「どうした?」
 居間から聞こえた男の声で僕は自分を取り戻した。ふらつく足を叱咤しながら振り返り(奴に出くわすわけにはいかなかった)、家を飛び出した。
 そうしてすぐにへばった。ろくに運動をしていなかったツケがここに回ってきたのだ。家からおよそ百メートル先の公園で僕は休憩を取ることにした。
「灯台下暗し」
 自分が情けなかった。
 砂場の側に設置されているベンチに腰を下ろす。夜風が髪を揺らした。スカートは異常に寒かった。
 僕は必死に過去の姉さんを思い起こそうとした。髪が長く、お腹が膨らんでいない、僕にやさしい姉さんをだ。
 けれど何度やっても僕が思い描いた姉さんは戻ってこなかった。――気持ち悪い。嫌悪感を顔中一杯に浮かべた姉さんの姿が思い浮かぶ。僕は強く頭を振り、そのイメージを追い出さんとした。
「お困りのようね」
 僕ははっと顔を上げた。薄暗闇の中からそいつは現れた。
「シスコンからマザコンまで、貴方の悩みをどかんと解決」
 へこんだ三角帽を被り、黒い法衣を身に纏った相原は抑揚をつけずにそう言った。ハートが先端についたステッキを持っていて、肩には相変わらずフィギュアが乗せてある。
「間に合ってます」
「その様子では、どうやら『女装してお姉ちゃんといちゃいちゃごっこ』を実のお姉さんにばれた挙句こっぴどく否定されたみたいね」
 全てを見透かされていた。ぐうの音も出ない。歯軋りが僕に張れる最後の虚勢だった。
「そんな貴方におあつらえ向きの商品をご用意しましたー」
 そういって相原はステッキを三回回し、勢いのままに放り投げた。そのまま振り返ると、暗闇の中から大きな袋を灯りの元に晒して、口を縛っていた紐を解いた。
「はい、どーん」
 出てきたのは等身大の人形だった。髪の長い人形で、膝を抱えて丸まっている。
「なんだこれ?」
「あなたの思いのままの、理想の姿を作り出すことが出来る魔法の人形よ」
 僕は鼻で笑った。魔法の、と来たもんだ。
「それで姉さんの代わりを作れって言うのか?」
「そう」と相原は胸を張って見せた。「貴方のように、想像するのも手段としてはありよ。でも妄想に触れることはできないでしょ」
 僕は思わず立ち上がった。
「人形とは会話できない。いくら見た目が姉さんそのものでも、何も言わないんじゃ意味がないじゃないか」
「会話できるといったって、それも妄想でしかないじゃない。人形は会話は出来なくても、触れることが出来るわ。その姿はいつまでも美しく、変わることがないの」
 そうよねお母さん。相原は肩に乗せていた人形に語りかけた。
 僕は姉さんの姿を、変わり果てたお腹を思い出した。
「ほら、貴方には必要でしょう? 私にはわかるわ。だって似たもの同士だもの」
作品名:コンプレックスの檻 作家名:がど