海竜王 霆雷2
「あなたが失礼なことを言うからです。それに、私の結界に勝手に入ったのも、その理由になるでしょう。」
力を漲らせて、そう笑ったら、相手も、へらりと頬を歪めた。
「結界なんかなかった。あんた、ぼへぇーとしていて張るのを忘れたんだろ? そういうの八つ当たりっていうんだけど、知ってるか? コスプレのねーちゃん。」
「その卑下した言い方が、理由にもなります。」
「だって、こんな夜中にさ。そんな格好で砂浜を歩いてたら、そう呼ばれても仕方ないだろ? もしかして、普段は真面目な人生でも生きてて、こっそり、ここで自分を曝け出してたってとこなのか? ・・・まあさあ、現代社会っていうのは、ストレスフルだけどな。でも、見られたから喧嘩売るっていうのは、いただけないだろ。」
青年は、笑っている。私の背後から立ち昇っている気配さえ、涼しい顔で流している。こんなことは、初めてだ。普通は、私が気配を変えただけで、誰もが逃げる。
「では、買ってください。」
かなり思い切りよく、青年に波動を向けた。至近距離にあったはずの青年は、「意味がわかんねぇーよ、それは。」 と、その波動を片手で、払いのけた。だが、攻撃してくるつもりはないのか、そのまんま立っているだけだ。続けざまに、何度か、波動をお見舞いし、さらに、弾き飛ばしてやろうとしたが、それでも、相手は動かない。ただ、楽しそうに笑っているだけだ。
「本気出していいよ、コスプレのねーちゃん。それで、綺麗さっぱり消してくれ。・・ああ、いや、ちょっと待て。三十分だけ時間くれないか? 」
「はあ? 」
「忘れてた。そうそう、俺、やっとかなきゃいけないことがあったんだ。・・悪いが、一時休戦。」
「え? 」
思い出したように、彼は砂浜から、松林へと走り出した。何事か、と、後を付いていくと、一軒の家に入っていった。
「なんだ? 付いて来たのか? まあ、いいや。適当なとこに座っててくれ。」
背後の私に気付いたのに、気にした様子もなく、二階へと駆け上がり、一部屋へと足を進めた。そこは、両壁が作りつけの本棚になった大きな部屋だった。一番奥の机に駆け寄ると、白い箱のボタンを入れた。
「それは、なんですか? 」
「家庭用パソコンだが? なんで、こいつを知らない? 」
「私の住む場所にはありません。」
「・・え?・・・何者? おまえ・・・」
「黄龍です。」
「は? 」
振り向いた彼は、「意味がわからない。」 と、首を傾げて、それから、やっぱり笑った。
「私は龍です。」
「りゅう? りゅうさんって言うのか? 」
「違いますっっ。四海の海を治める竜族の龍です。」
「・・・しかいのうみ? りゅうぞく?・・・ん? それは、ドラゴンっていうことか? 」
「西欧風に申しますと、そうなります。」
「かかかかかかか・・・・おいおい、コスプレヤ―っっ、そんなマイ設定は、喋るな。・・とりあえず、ちょっと待て。」
「まっまいせってい? 」
「とりあえず、手続きしたら、相手してやる。それまで待ってろ。」
彼は、画面に文字が浮かぶと、また、振り向いて白い箱のほうに手を伸ばす。
「手続きというのは、私と戦うのに、何かしらの手続きが必要ということですか? 」
「・・・いや・・そうじゃない。あんた、俺を消せるほどの力があるみたいだから、綺麗に消して貰おうと思ってさ。でも、俺の保護者がな。この世界に、財産を没収されるのだけは勘弁してくれ、って言ってたから、それを、あっちこっちに寄付してしまおうと思うんだ。」
なんとなく意味は解った。慌てて、彼の手を掴んで、動きを止めた。
「待ってください。」
「なんだよ? 」
「それは、私に、あなたを殺せとおっしゃっているのではありませんか? 」
「そうだよ。」
「どうして、見ず知らずのあなたを殺さなければならないのか、理由がわかりません。」
「あんただって、理由もなく八つ当たりしたじゃないか。同じことだ。」
「いえ、そこまでは考えていません。ただ、あなたを、あの砂浜に平伏させてやろうと思っただけです。」
「だからな、そこまで、やると、俺だって死ぬだろうがっっ。」
「いやですっっ。」
「・・え?・・・」
自分の叫んだ意味がわからなかった。そして、なぜだか、涙が零れた。どうして、それが悲しいのかわからない。
「それは、イヤですっっ。ただ、戦ってみたかっただけなのに・・・」
「・・え・・いや・・なんで泣いてんの? 」
「わかったら苦労しませんっっ。あなたが・・・あなたが、私を泣かせたんですっっ。」
「・・はあ?・・今の会話のどこに、そんな流れがあった? また、マイ設定か? 」
白い箱の前から、強引に彼を引き剥がして、階下へ降りた。左の手首を握っている私の手が震える。なぜ、震えるのかわからない。どうして、こんなに感情が滅茶苦茶になってしまったのかもわからなかった。涙が止まらなくて、階下の絨毯の上に座り込んだ。
「なぜ、泣くんだ? 」
「わかりません。」
「俺が死んだら困るか? でも、死体まで綺麗さっぱりと消してしまえば証拠は残らないぞ。それに、最高の八つ当たりをさせてやるから満足できると思う。」
「・・イヤですっっ・・・」
一晩、私は泣き明かした。彼の手首を握ったままで。彼のほうは、適当に、ジュースを飲んだり、お菓子を食べたりしていたが、ただ、一度も、その手を引き剥がそうとはしなかった。それが嬉しいのか、悲しいのか、何もかもぐちやぐちゃで、私はわからなくて泣いた。
夜明けが訪れた時に、ようやく、私は気付いた。無くしてはならない。これが欲しいと心から願ったから、私は泣いたのだ。
・・・これが、そうなの?・・こんな・・・こんな急に起こるもの?・・・
どんな人間なのか、どういう性格なのかすら、何もわからないのに、心が勝手に暴走した。握った手首の先へ顔を向けたら、相手は床に寝転がって穏かに眠っていた。
・・・これが、私のもの?・・・・
別段、どこかが秀でているようには見えない。ただ、私が放った波動を悉く潰した力だけは、かなりのものだと伺えた。たった、それだけだ。
・・・それなのに・・・・
なぜ、無くしてはいけないと思うのだろう。消えたいと願う彼が悲しいと思ったのだろう。暴走した私の心は、今も高鳴る鼓動を刻んでいる。
・・・ゆっくりと話してみたい。いや、やっぱり、戦ってみたい。・・・・
どこまで戦えるのか、存分に私が遣り合える相手だと言うことなのだろうか。わからないことだらけで、私は、ふうと息を吐き出した。