嘘と上書きと宇宙人
学校からの帰り道をたどるおれたちの頭上からは、すでに太陽は退散し、夕焼けの名残だけが空の青さを留めていた。1等星はもう光り始めている。
「おまえ、どこの星から来たんだ?」
おれの質問に、如月は深く考えるわけでもなく、あの星だよと指さした。
「地球には、仕事で来たんだ」
「仕事?」
「そう。地球の様子を報告すること。言ってみれば、スパイってやつ」
「スパイがこんな普通の町に?国会議事堂とか軍事基地とか、もっとそれっぽいところに行かないと仕事にならないだろ」
「わかってないなぁ、渡辺くん。こういうフツーの町で生活してみることでその星の雰囲気を掴むんだよ。現に、観光客だって国会を見に行くわけじゃない。普通の人たちが生活している場所に行って、その国の風土を肌で感じる。そうでしょ?」
「おまえの情報収集って、観光と同レベルかよ」
「地に足の着いた、堅実な仕事だと言ってほしいね」
突拍子もないことを言いだすわりに、如月の価値観は庶民的だ。そんなギャップが妙に微笑ましくて、おれは自然に笑顔になっていた。
だから、如月の次の言葉に、すぐには反応できなかった。
「でも、もうお別れなんだ」
如月の横顔を見た。ただ前だけを向いていた。おれと目を合わせないようにしているように見えた。
「・・・お別れ?」
「ここでの仕事は、もう終わったんだ。これからまた別の場所に行く。ここにはもう、戻ってこない」
如月の口ぶりは教科書の音読のように淡々としていて、事実を伝えることだけに専念しているように見えた。
これは冗談だ。そうだろ。
だっておまえはおれと同じ地球人で、同じ高校通って、お互いのことだってそこそこ知ってる。
おまえは真面目な顔でふざけたことを言うやつだし、ときどき本気か冗談なのかよくわからない言い方をする。今みたいにな。
なんで、こっちを見ようとしない。言うことあるだろ。
やだなぁ、嘘。冗談だってば。
如月のそんな言葉を待っていながら、おれは確信していた。
いくら待とうと、そんな言葉が返ってこないことを。
如月は前を見つめたまま、「これから言うことは別に信じなくてもいい」と前置きしてから話しだした。
「仕事の都合でね、いろんな場所を転々としていると、よく思うんだ。みんな、自分の日常から離れていくものを、長くは覚えていられないって。
お別れのときに寄せ書きをもらうこともあったけど、みんな示し合わせたみたいに同じことばっかり書いてるんだ。如月くんのこと忘れないとか、ずっと友だちだよ、とか。でも、それを今でも実行できてる人っていないんだ。笑っちゃうよね」
あはは、と如月は声をあげてみせた。何かが崩れてしまうのを、なんとか保とうとしているように、おれには映った。
「笑って、そのあと放り投げたくなる。嘘つきってなじりたくなる。みんな、自分が書いたこと忘れてる。もらった僕だけが覚えてるんだ。いやなんだ、そういうの。いつまでも縛られてるみたいで、虚しいんだよ」
そんなことない。おれは、その一言を言うことができなかった。
今ではどこで何をしてるのかわからない「友だち」がたくさんいることも、そいつらのことを思い出さないことをとくに不思議に思わないおれがいることも、全部本当のことだからだ。
「上書きされちゃうんだ。新しい友だちとか、出会いとかにね。そして僕と過ごした時間はもう更新されない。仕方ないよね。離れちゃうって、そういうことだもんね。わかってる。わかってるんだ」
でも、どうしても慣れられない。如月はそう言って、また笑った。
「言ってること、おかしいでしょ。どうして笑わないの?」
「なんでおまえは笑うんだよ」
如月は嘘つきだ。楽しいわけじゃないのに笑うし、つらいと思ってるくせに平気そうなふりをしてみせる。
「渡辺くん。君って、やっぱり変なやつだな」
如月はおれの表情を覗き込むと、さびしそうに笑った。
「変で、不器用で、すごくいいやつだ」
「おまえにだけは言われたくない」
おれの言葉に、如月は笑った。
笑ってばっかりのやつだけど、この笑顔だけは本物のような気が、たしかにした。
「さて、最後に渡辺くんに魔法をかけないとね」
「魔法?宇宙人じゃなかったのか」
「科学だけで広い宇宙を渡っていけるなんて考え、古いよ。魔法の方がお手軽だし、夢がある」
如月はよくわからないことを言うと、おれの額に人差し指を一本当てた。
「君は、僕のことを忘れる。話したことも、過ごした時間も、全部忘れる。もう、思い出すことはない」
如月は言い聞かせているようだった。おれに、ではない。たぶん、如月自身に。
「こんなことをするのは、おまえが宇宙人だからか」
「そう。宇宙人は、関わりのある地球人から自分に関する記憶を消すのさ」
「おれが忘れたとき、おまえが納得するための予防線なんじゃないのか」
如月の目が大きく見開かれた。
「なめんな!」
おれは渾身の力を中指に籠め、如月の額に開放する。早い話、おもいっきりデコピンしてやった。
痛みに悶絶している如月に、おれは言ってやった。
「おれはたしかに頭悪い。ああ認める。よく赤点取ってはおまえに勉強教えてくれって泣きついてたもんな。でもな、なんでも忘れると思ったら大間違いだぞ」
痛みに涙目になっている如月は、それでもおれを見ていた。
「突拍子もないこと言いだすわりにすごく庶民的なやつのことも、冗談がわかりづらいやつのことも、作り笑いでおれを騙せた気になってるやつのことも、どうしようもなく嘘がへたくそなやつのことも、おれはこの先もずっと覚えてる」
忘れない。おれのこの言葉と、如月の目から涙がつたったのは同時だった。
「・・・どうしようもない知り合いがいるんだね、渡辺くん」
如月はしばらくしてから、ぽつりと言った。
「ああ。本当に、どうしようもないやつだよ」
「そんなやつのこと、どうして忘れないって言えるの」
如月の問いかけに、今度はおれが笑った。
「友だちだから、なんだろうな」
おれはたしかに頭が悪い。気の利いたことは言えないし、みんなが笑える冗談も言えない。
でも、おれが言ったことに嘘はない。それだけは、自信を持って言える。
それは如月のかけた「魔法」にも、時間とともに上書きされていくたくさんのことにも負けない。
如月は、長いこと黙っていた。うつむいた横顔からは、表情を読み取れない。
そして、ふいに顔を上げると、挑戦的に言い放った。
「それじゃあ、対決だ」
「対決?」
「そう。宇宙人と地球人、どっちの言ったことが正しいか」
「嘘つきはどっちかを決めるってことだな」
「自信ない?」
「あるよ。おれは負けない」
きっぱりと言えた。おれのすることがわかった気がした。
おれは、如月を嘘つきのままにしなきゃならない。如月のかけた魔法、絶対に実現させたりしない。嘘っぱちのままでいいんだ。
いつの間にか曲がり角まで来ていた。ここで如月と別れ、違う道を一人で行くことになる。
「じゃあね、渡辺くん。健闘を祈るよ」
如月は明るく言うと、おれに背をむけて歩き出した。
「なぁ、如月!」
おれは遠ざかっていく如月の背中に向けて、叫んでいた。
「おまえ、おれに勝ってほしいか?」