海竜王 霆雷1
「はははは・・・華梨も、随分かかったと言ってたから、気長にしていればいいさ。神仙界で見つからなければ、人界もあるし、他の人外の領域もある。・・・文里叔父上の知り合いが、日本の人外神域にいらっしゃるから、そちらに紹介状でも書いてもらえばどうかな? 」
「いえ、それには及びません。私が勝手に赴くほうがよろしいかと思います。大叔父上の知り合いなら、きっと変わり者に違いありませんから、厄介です。」
先代の竜族長は、変わり者として名高い。私の父の教育係をしていたから、私もよく知っている人物だが、やはり変わり者であると思う。その知り合いも、確実に変わり者だろうから、あまり顔合わせなんてしたくない。
「・・変わり者だけど、いい人だったよ。」
「お会いになったのですか? 」
「ああ、一度、こちらに立ち寄られたことがある。上仙の地位にあるお方で、そのご友人方も楽しい方ばかりだった。」
随分、以前になるが、文里を訪ねて、その当人と、そのご一行がやってきた。別に、変わり者であろうと、ちゃんと礼節を弁えた人物ばかりで、楽しかったと言い、それを思い出したのか、父は微笑んだ。私と父は、三百年しか年が離れていない。だから、気分的には、友人に近い感覚の方だ。その方が、ぼんやりと目を閉じていると、とても不安になる。
「・・父上・・・お願いですから、無理はなさらないでください。」
「あなたまで心配性にならなくていいよ、美愛。」
「いいえ、私は、あなた様と、いつまでも幸せに暮らしていたいと願っています。だから、あなた様が無理をなさるなら、私がお手伝いをさせていただきたいと思うのです。」
「私には華梨がいる。あなたが幸せに暮らす相手は、私ではないのだよ。おわかりだね? 」
私の理想の伴侶は、私の父だ。こんな方と共に在りたいと思う。だが、現実に、その方は私の父であって、私の伴侶と為り得ない。私が、婿選びに出向く時にも、父にそう言われた。今も、静かに、そう窘められている。私が選ぶ相手は、愛情ではなく恋情を傾けられる相手だと言う。
「わかっております。ですが、なかなか、父上以上の方が見つかりません。」
「美愛、華梨が初めて、私と出遭った時、どうしても、攫ってでも欲しいと、心の底から思ったそうだ。実際、あなたの母上は、そうされた。それが、どんなに酷いことであろうと、その罰を自分自身に被ることになろうと、それでも構わないと真剣に思ったのだそうだよ。・・・それほどの熱情が溢れるなんて、一生に一度だけだと、私は思う。だから、焦らなくてもいい。ゆっくりと世界を廻れば、いつか、その想いが溢れる相手と巡り合えるのではないかな? 」
実際、あなたの母上に、私は手酷い仕返しをしてしまったけどね、と、父は、クスクスと笑って目を閉じた。完全に回復しているわけではないのだろう。眠ってしまわれたのを目にして、私は、お傍を離れた。こんな時は、ゆっくりと休ませてさしあげるのが一番だ。
次の間に、母は待っていた。私の帰郷の報告を受けたので、公務を放り出して、顔を出してくれたらしい。
「大したことではなかったのですよ、美愛。」
「でも、お知らせいただけなくて、大変残念です。母上、父上は、何をやらかしたのですか? 」
私の言葉に、母も大笑いした。緊迫した事態ではなかったのだと、それだけでわかる。
「おまえの世話をしてくれた牛がおりましたでしょ? 」
「彰ですね。」
「あの牛が、ようやく、玉座に座りました。その手伝いを、あなたの父上は、こっそりとなさったようなのです。・・・これは、誰にも秘密だから、誰にも告げてはいけません。」
父は、何事があっても、母にだけ説明はする。「牛を助けた。」 と、だけ、父は言ったそうだ。だが、公に、それを発表できるわけではないので、体調不良の名目で休んでいるのだという。竜族の高位のものが、敵対する一族の簒奪に手を貸したとは、さすがに、広められない。そんなことが判明したら、竜族の内でも不満の声が上がるだろう。父は、とても遠い場所にいる彰に向けられる刃や矢から、その身を護っていたらしい。大したことではないのだが、距離がありすぎて、力を、かなり使ったのだ。
「・・・相変わらず、他人のためなのですね。」
そういうことなら、逆に大々的に、援護する軍を用意してやればよかったのに・・・と、私は溜息をついた。そのほうが、誰にもわかりやすいだろうし、竜族として友人の彰に助力するとしたほうが、公にもわかりやすいはずだ。しかし、母は、また笑って、「おまえは、まだまだですね。」 と、私の額を、人差し指で弾いた。
「もし、竜族の助勢軍が彰に加担したら、彰は、竜族の力によって、玉座に就いたと謗りを受けます。それに、その簒奪の仕方だと、彰は、私の背の君の風下に立つことになってしまう。共に並び立つと、ふたりは約束をしたのです。・・・だから、そういう方法では、彰の自尊心に傷がつく。おまえの父上で、私の背の君は、思いやりの深いお方です。牛との約束を護った形で、牛を助けるには、そういう方法が良かったのです。」
喩え、ご自身の能力を無茶に引き出す結果になったとしてもね、と、母は説明してくれた。誰もが、何かを感じてはいるが、それについて、何かを問い質すようなことはしない。父が倒れたということで、何かあったことはわかっていても、当人が語らない限り、それは黙されるようになっている。昔から、父はそうしていた。不言実行なので、水晶宮の幕僚たちは、たまに慌てていることもあるが、それで問題になったことはない。そういう人柄だと、水晶宮のものが理解しているからだ。
ふと、先程の父の言葉を思い出した。母が、父を攫った結果、手酷い仕返しを受けたということだ。あの父が、どんな仕返しをしたのか、気になった。
「母上、先程、父上から伺ったのですけど・・・・」
私が、先程の会話を尋ねたら、母は、少し頬を赤らめて、苦笑した。
「まあ、古いことを・・・・背の君は意地悪だわ。」
「一体、父上は、どんな仕返しを? まさか、喧嘩? 暴行? ・・・有り得ないことですが・・・母上に暴力とか? 」
「ほほほほほ・・・・美愛。そんなもので、私は泣きません。むしろ、喜んだことでしょうよ。」
「はあ? 」
「だって、背の君が、私に怒りをぶつけてくださるということは、私のことを心に住まわせてくださるつもりがあるということです。・・・・確かに、あれは、手酷い仕返しでした。黄龍の私を泣かせてしまったんだから。この世の全てを憎みそうになりました。」
少し遠い目をして母は、また思い出したように微笑んだ。それから、私に向かって、「私の背の君は、私を拒絶なさいました。」 と、話し始めた。
「私が、ご自分以外の、もっと優秀で相応しいものを選べるように、と、ご自分の生命を投げ出してくださったのです。・・・私に襲いかかるフリをして、今の長に喉笛を噛み千切られてしまわれた。」
「はあ? 母上? 」