Cross emotion
この男を兄とは認めたくない。けれどどんなに拒んでも、それは現実なのだ。昔は優しかった、けれどいつしか狂ってしまった、一番歳の近い私の兄。もし今ここで私が死んで、彼が新しい王になったならば、この国はどうなってしまうのだろう。大切な人たちを殺されてしまった今では、それさえもどうでもいいことのように思えた。
「王は君だ。皆それを望んでいる」
美しく、けれど心が歪んでいるこの男は、残酷なことを平気で口にする。私だけに、この悲しい現実を進み続けることを押しつけるなんて。
けれど私の心は、もう決まっていた。私の決意を表すかのように、鐘の音が高らかに鳴り響いた。やっと鳴ってくれた、けれど遅すぎた音。途切れることなくゆっくりと響き続けるあの鐘が一二回目を刻む時、それが、最後の瞬間。
私はゆっくりと、ドレスの腰に手を伸ばし、そこに隠していたナイフを握りしめた。とても丁寧に研がれた鋭く無骨なナイフは、ディア兄様の宝物。昨日の夜、これを渡してくださったディア兄様には、こうなることがわかっていたのだろうか。新しい王となるユーリ兄様を認めようとしないこの男が、私たち兄弟だけで集まろうと提案したあの時から。この男の目的も、自分が死ぬことも、たった今私が下した決断も、全部。今となっては、それは答えのない疑問だった。
「さよなら、可愛い僕のエリシア」
「さようなら、いとしい私のキースお兄様」
精一杯の皮肉を込めた呼び方も、きっと気づいてはもらえないだろう。男は自らの持つ剣を、その首へと押しあてた。
終わりを告げる鐘が、九回目の音を響かせる。その音の余韻が消えた時。私は隠し持っていたナイフを、男の胸へと突き立てた。よく手入れされたナイフはあっさりと肌を斬り裂き、根元まで沈み込む。
男の驚く顔が、どんどん白く染まっていく。代わりに、胸から下は赤く、赤く。私は私の大嫌いな兄に、最後の笑顔を向けた。
仮に私がここで自ら死を選んでも、きっとこの男は、それほど苦しまないだろう。結局、彼が愛しているのは己だけなのだから。なら、私にできるのは……最後の最後に、彼を絶望の底へと突き落とすことだけ。
案の定、男は信じられないというような表情で目を見開き、自分の胸に刺さったナイフを見つめていた。震える手が私へと伸びるが、その手が私に触れるよりも前に、私は男を突き飛ばした。ナイフが抜け、絶命した男がゆっくりと倒れる。男が地に伏せた時。一二回目の鐘が、それを知らせるように高らかに鳴り響いた。
「ぁ……」
意味のない溜息のような音が、口をついて零れ出た。手に持った血まみれのナイフを、床に落とす。手も、ドレスも、おびただしい赤に彩られていた。
誰もいなくなってしまった。周りに散らばるのは、赤い液体を溢れさせるただの物ばかり。これは何?コレハナニ?
これからどうすればいいのだろうか。どうして私だけ残ってしまったのだろうか。頼りのお兄様たちはもういない。私はどうすればいい?ドウスレバ……?
廊下を歩く足音が、小さく響いてくる。私は大広間と廊下を繋ぐ扉に顔を向け、ゆっくりと笑顔を作った。
これからどうするかは、あとでゆっくり考えよう。私は、たった一人の王となってしまったのだ。考える時間は、いくらでも……そう、嫌というほどに、残されている。
Fin
作品名:Cross emotion 作家名:鈴狼