この手にぬくもりを
九月十八日。板垣が出張に出てから、ちょうど十日になった。
喜久子は縁側で、美津子と鞠を転がして遊んでいた。転がっていく鞠を必死に這い追いかける妹が面白いのか、隣で絵本を広げていた喜代子が、何度か笑い声を上げる。
「おとうさま、今日は帰ってくるよね」
喜代子が日付を指折り数えながら、嬉々として言った。
「どうかな。きっと夜遅いだろうから、明日の朝ね」
喜久子が答えると、喜代子はふくれっ面になった。
庭先で野球の真似事をして遊んでいた男の子三人も、急いで駆け寄って来て、一斉に不満の声をあげる。
「僕、起きて待ってるよ」
四歳になったばかりの征夫がそう言うと、喜久子が窘めるより前に、兄たちの言葉が飛んできた。
「お前が起きていられるもんか」
「ぜったい一番初めに寝るよ」
征夫はしばらく口をとがらせていたが、何を思ったか、手にしていたバット代わりの棒きれを地面に置いて、靴を脱いだ。
「もうやらないの?」
尋ねる母の袖に縋り付き縁側に上がり、
「じゃあもう寝るから、おとうさまが帰ってきたら起こして」
と、喜久子の腕を引っ張った。
「そんなの駄目だよ」
やはり、喜久子より先に、子供達から非難の声が出た。
これ以上宵っ張りを増やされてはたまらないので、申し出は即座に却下したが、それほどまでに子供達が父を慕う姿は微笑ましい。子供達が大きくなるにつれ、自分と同じ気持ちを持つ味方が増えたようで、嬉しかった。
夕食の支度にかかろうとした頃に、司令部からの電話があった。
「板垣大佐殿は、本日は旅順にお戻りにならないそうです」
「そうですか、分かりました。わざわざありがとうございました」
電話口の将校に礼を言い、出来るだけ平静に受話器を置く。よくある電話だった。
そう、ここまでは、いつもと変わらなかったのだ。
板垣が留守だったから、深夜に緊急の電話がかかってくる事もなかったし、夜のうちに司令部ごと奉天へ出動することになったのも知らなかった。
翌朝になって初めて、他の官舎の妻達から昨夜の事を聞かされて喜久子は驚いた。
とはいえ、何が起こったのかはまだよく分からなかった。
「板垣さんが戻られなかったっていうのは、このせいなのでしょうか」
一人が、そう喜久子に尋ねた。そうかもしれない、と言おうとして、何かが引っかかった。
昨夜、奉天で鉄道が爆破されて、それをきっかけに中国軍と戦闘状態になったという。
板垣に用事ができて旅順に戻れなくなったのは、少なくともこの事件が勃発する前だ。関係があるはずがない。
「うちの人は、昨夜は家に戻っても軍服のままでいましたから、何か大事なことでもあるんだとばかり」
大事なこと。
『何があっても信じて』
ふと、先日の板垣に言った言葉が頭に浮かんだ。
考えすぎだ。自分たちが考えるべき事ではない。
ただ、出かける前にいつもと様子が違う感じがしたのが気になっていた。だから事件が起こったとは思わなかったが、予感などというものは、あとから振り返って、それらしく思ってしまうものだ。
「どうなるんでしょうか」
「ここまで弾丸が飛んできたりするのかしら」
心配そうな若い妻達を見ていると、逆に落ち着いてくるから不思議だった。
これは、当分帰って来ないかもしれない。
そうは思ったが、それ以上の深刻さは感じなかった。
さて、子供達になんて言おう。
そんなことで悩みながらいつもの日常をこなしていく。
まさかこれが、後に多くの人に「始まり」だったと認識される出来事になろうとは、夢にも思っていなかった。
「お月見しましょうか」
事変が起こって十日余りたった。今夜が満月なことに気づき、子供達に声をかけた。
近所ではすすきが見つからず、代わりに野菊や秋草を飾り、団子を供えて、月の出を待つ。しかし、部屋の窓から見える高さには、なかなか上がってこない。
子供達は、団子代わりに与えられた葡萄を食べながら、しばらく月を待っていたが、待ちあぐねたのか、次々に眠ってしまった。
本庄司令官がいらっしゃったら、月見会ぐらいはしたかもしれない。ふと、北京時代を思い出して、そんなことを思った。今回の事件が、そう簡単にいかないものだと、喜久子も察せずにはいられなくなってきた。
荷物をまとめて旅順を発った、司令部の将校の家族達。どこぞに出兵して、占領したという新聞の記事。その戦時状態の中にいるであろう板垣のことを思う。
さしあたって、喜久子は旅順を離れるつもりは無かった。というより、夫から何の沙汰もないうちは、喜久子にはどうすることも出来ない。ただ、子供達にまで不安を与えないように、時局が収拾するまでの留守を預かるだけだ。
喜久子は、祈るように月を見上げた。
どうか、無事に帰ってきますように。
夫からの便りが届いたのは、それから数週間後のことだった。忙しい時間を割いて書いたのだろう、筆の運びのせわしなさが伺える手紙を、喜久子は何度も読み返した。
大したことが書いてあるわけではない。急に非常時になったこと、まだ当分、収拾の目処は付かないことなどを告げ、最後は留守を頼む、と締め括られていた。
夫からの手紙に甘美な物を求めるのは、とうに諦めていたが、これだけの手紙で涙が出るほど嬉しくなってしまうとは、相当堪えているようだ。
封筒に入っていたもう一通、仮名書きの父からの手紙を、裕が懸命に弟たちに読み聞かせている。
近頃、食事の度に父の噂を繰り返しているだけに、子供達にも安からぬ思いがあるのだろう、兄の手元に頭を突っ込むようにして聞いている。
本格的に、戦争になってしまったようだった。内地から出征する部隊もあるという。
旅順や大連の病院には負傷兵が次々に運び込まれ、喜久子もその手伝いに行く。
母から送られてきた明治神宮のお守りに、夫の無事を祈って朝夕手を合わせていたら、いつしか子供達も習うようになった。
これが戦争だと、強く思うようになったのは、旅順の駅に霊柩車を出迎えた時だった。旅順駐剳連隊の戦死者三十名が、遺骨となって戻ってきたのである。
車窓からお香の煙を流しながら、列車がホームに滑り込むと、迎えた人々の間から啜り泣きが上がった。喜久子は、深々と頭を下げたまま、じっとしていた。骨箱を一つ一つ捧げた兵卒が、列車を降りてくる。
これは一体、何なのだろうと、喜久子は思った。
何の儀式なのだろう。ホームに用意された、白い布がけの台に、遺骨が次々と並べられていく。それは、昔、戦争があった頃に眺めた風景に似ている。父以外にも、こんな風にして帰ってきた人の、なんと多かったことか。
そして今も、同じようなことが起こっている。
喪服に身を包んだうら若い未亡人に、なんと言えばよいのだろう。
もしかしたら、自分は明日にでも彼女たちと同じになるかもしれない。
その夜、喜久子は一心に机に向かった。不安と、寂しさと、無事を祈る言葉を便箋に書き散らしては破る。板垣の平静な手紙を読み直しては、返事を考えるのを繰り返した。
子供達の可愛らしい手紙と共に封入した文には、結局「美津子がようやく歩くようになりました」としか書けなかった。