小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

桜の光景

INDEX|4ページ/4ページ|

前のページ
 


 結局別々のクラスになった二人は、それぞれの教室で、それぞれの友人と、それぞれの時間を、それぞれ楽しく過ごしていた。登校時に一緒になることはたびたびあったけれどただそれだけ。春休みのときに吉野が自分とクラスが離れることを惜しんでいるように感じたのはやはり勘違いだったのだと若葉は少し落胆した。けれどそれを寂しいと感じる暇もなく、慌しい日々を過ごしているうちに、いや、寂しいと感じないように慌しく過ごしているうちに、高校最後の一年は若葉が思っていたよりもずっと早く過ぎ去っていった。

 若葉が吉野を何週間ぶりかで見かけたのは、卒業式を間近に控えた日だった。互いに「久しぶり」と声を掛け、どちらも進学を希望していることを承知していた二人がそこから戦況報告に移るのも自然の流れだった。若葉が取り敢えず自分の報告を済ませた後に聞いたのは吉野の予想外の報告だった。

 その報告に二年の冬頃に吉野と進学についてたった一度だけ話したことが頭をよぎる。

「ねえ、大学どうするか考えてる?」

 駅までの薄暗い道を歩きながら、吉野にそう尋ねられ、様々な理由を挙げて地元の大学に限られそうだということを若葉が告げると、「ふうん」と気のない返事をした後にそのときの吉野はこう言ったのだ。

「じゃあ、私も地元にするかな」
「『じゃあ』ってなんだよ。ちゃんと自分で考えろ」

 自分の考えに追随してくる吉野がなんだかこそばゆくて若葉はそっけなくそう言った。

「そっか。じゃあ、そうする」
「だから『じゃあ』ってなんだよ」

 若葉が繰り返すと吉野はふふと笑った後、はあっと大きく息を吐いた。口元に白いもやが大きく広がった。

「高校、卒業したくないなあ。まだ一年あるけど」
「留年は勘弁」
「そういうことじゃなくってさ」

 共感を避けようとする若葉の言葉に楽しそうに笑った吉野の声が頭で鳴り響いた。あの時は確かにそう言っていたのだ。それなのにこの報告はなんだ。別れを惜しんでいるように感じたのは自意識過剰だっただけなのか。あの時のことなど目の前のこいつは覚えていないのか。そう思うと、若葉ははっきりと覚えている自分が、なんだか、酷く、惨めな気がした。

 だから表面上は何とも思っていないように振舞って、吉野の合格報告にも「良かったね」なんて笑って祝ってやったりした。少しでも自分の惨めさを誤魔化そうとした。

 一人遠くへ進学する吉野を見送ろうと言い出したのは誰だったのか。何人かの友人と共に若葉も駅に吉野を見送りに行った。ぽつぽつと花を付け初めた桜が辺りを彩っていた。見送りのことを誰かから聞かされていたのか、吉野は早めに姿を現した。その場にいた友人達に笑顔で礼を言うその姿に、若葉は笑ってなどいられなかった。吉野が笑えば笑うほど若葉は苛立って仕方がなかった。

──なんでそんなに嬉しそうなんだ。
──なんで私はこんなに腹が立つんだ。

 馬鹿みたいだと思った。笑って悠然と旅立とうとする吉野に対して、自分は惨めたらしく別れを惜しんでいるというのか。吉野は最初から最後まで特別でもなんでもない友人の中の一人のはずではないか。何が悲しくてこんなにいい加減な奴との別れを惜しまなくてはならないのか。本当に、馬鹿みたいだと若葉はこっそり近くの柱を蹴った。爪先が酷く痛んだ。

 そんな若葉の前に吉野はやってきて礼を言う。あんまりきらきらした目で礼を言うから、若葉は一言「頑張って」と言ったきり、吉野から目を逸らし、桜の花の数を数えていた。その視線を追って吉野も桜を眺めながらこう言った。

「今年は花見に行けなかったねぇ。またいつか、二人で花見に行こう」

 二人だけの思い出を誰あろう吉野が覚えていたことに若葉は驚いた。けれど、態度や言葉に表すことはしなかった。

「いつかっていつさ」
「わかんないけど、いつかだよ」

 代わりにそんな約束ともいえない戯言を交し合った。その後に吉野がどんな顔で改札を潜ったのかは今の若葉は覚えていないけれど、まばらな桜の花と、爪先のじんじんとした痛みと、喉の奥の詰まったような違和感だけは記憶に残った。そしてそれからその「いつか」は今もって訪れないでいる。

 吉野の性格を考えれば、そんな発言を覚えているはずはない。そう思っているのに、桜を見るたびに思い出してしまうことが滑稽に思えた。たった二度の花見のことをいつまでも克明に覚えていることも滑稽だ。そして何より「いつか」が訪れることを未だに期待しては落胆してしまうことが酷く滑稽だ。全部、全てが滑稽で、惨めで、馬鹿馬鹿しいと吐き捨てたくなる。だから若葉は毎年桜を見ては苛立つのだ。

 不意に見つけてしまった蕾のせいで、若葉はまたそのことを思い出してしまった。苛立ちに任せて足早になっていたことに気付き、辺りを見回す。先程まで赤みが残っていた空は藍色に変わっていた。建物に薄い影を作っているのはしぶとく残っている日なのか、明るさを主張し始めた街灯なのかよくわからない。その景色は夕方から夜に変わりつつあることを示しているけれど、約束の時間にはまだ少し早いようだ。しかも待ち合わせの相手はあの吉野。うっかり早めに出てきてしまった事を後悔しながら、若葉は歩を緩める。時間通りならまだしも、早く着いてしまうなんてまるで久しぶりの再会にうかれているみたいじゃないか。そう思いながらゆっくり、ゆっくりと駅までの道を歩いた。

 と、ジーンズのポケットに突っ込んだ携帯が着信を知らせる。取り出して確認すると吉野からのメールが届いていた。見ると、もう待ち合わせ場所に着いたとのこと。そして咲いているのを見つけたと添付された桜の花の画像。

──なんで、なんでこいつは、こうなんだ。
──待ち合わせに遅れてくるのが吉野だろう?
──「花より団子」なのが吉野だろう?
──どうして、そうやって、人が忘れようとしていることを突きつけるようなことをするんだ。


──自分はとっくに忘れているくせに。


 パタンと閉じた携帯をポケットに突っ込むと若葉は歩くペースを上げる。動悸が少し早いのも、顔が少し熱いのも、そのせいだと自分に言い聞かせながら。そして、脳裏に浮かぶ桜の光景から逃げる。けれど、どんなに若葉がペースをあげても、走り出しても、逃げても逃げても、その光景は追いかけてくるから、若葉はそれに吐き捨てた。

──だから、桜は嫌いなんだ。

作品名:桜の光景 作家名:新参者