空白の英雄4
トオンはゆっくりと自らの過去を紐解いた。
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遠い昔の話だ。
トオンには惚れた女がいた。
だからといって彼女を手に入れようとは思わなかった。彼女はあまりにも高嶺の花だった。トオンでは到底手が届かないくらい高貴で美しい、蘭のような女だった。
幸いにも彼女はトオンのことを好いてくれていた。ただ人として友としては好いてくれていた。トオンにはそれで充分だった。だから彼女を守るために来る日も来る日も街を襲う魔獣を斬った。
最初のうちは数を数えていた。数日経つとどうでもよくなり、1ヶ月経つ頃には見える魔獣は全て切り捨てた。トオンにはその腕があった。
戦場にもトオンの守りたい人はいた。唯一無二の友人だった。彼は良家の次男だった。剣の腕よりも頭と魔法の才があり、知将だった。彼の言うとおりに動けばどんな魔獣も仕留めることができる。そんな男だった。
トオンは2人とも守りたかった。
だがある日、女が魔獣にさらわれた。知恵をもつ魔獣が現れたのだ。すぐさま彼女を助けに何人もの兵が魔獣の元にむかった。もちろんトオンも彼女を助けるためなら何でもする覚悟でいた。それを知っている友人と共に彼女を助けに行った。
友人の立てた作戦通りにトオンは戦って斬り進んだ。斬って斬って、気がつくとトオンだけが女をさらった魔獣の元にたどり着いた。他の者も居たはずだが……最早みな殉じていた。
トオンは迷わず魔獣に斬りかかった。その隙に、女はトオンの築いた屍の道を走り抜けて行った。
――それでいい――
咎めることはできない。この場に彼女がいる必要はない。この魔獣に勝てるかどうかもわからない。彼女を守るために、彼女は正しい判断をしたのだ。
三日三晩、トオンと魔獣は戦った。
なんとかトオンが勝利はしたが、満身創痍には違いなかった。更に3日は動けなかった。
街に着いたのはその2日後だった。
街は祝賀パーティーでお祭り騒ぎだった。トオンを旅の者と勘違いした青年がこの騒ぎの理由を教えてくれた。魔獣から女を救った者と女が婚約したらしい。それを祝して街中が華やいでいると言う。
青年がトオンを引っ張りってどこかを指を指していた。指の先は高台で、綺麗に着飾った蘭の女と、トオンの友人が街に手を振っていた。
彼は街人を落ち着かせると、魔獣と友人の死を告げた。
トオンはその日に街を去った。
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「2人は結婚した」
部屋の中は真っ暗だった。もう日は沈みきり、月も半分しかない。光は本当に少なかった。それでもミーファにはトオンの顔がハッキリ見えた。険しい顔だ。こんな苦しそうな顔を見たことがない。
「俺にはわからない。あいつは俺をはめたのか…偶然なのか…。これで良かったのか――」
トオンは手で顔を覆った。
「俺は何も守れなかった」
「トオンは女の人も街の人も守れたじゃない」
「俺が守ったのは命だ。彼女自身じゃない」
「一緒よ」
「違う。…彼女には他に添い遂げたい男がいたんだ。なのに……」
トオンは頭をかきむしった。伝えることが難しい。彼は自分の気持ちや思いを伝えることがことさら不得手だった。
「例えばお前が町を出た日、俺はお前を助けるために隣まで連れて行った。だがお前の命を守るならそんな旅なんかさせずに酒場に連れて帰るべきだった」
「それは! ……そんなことは……」
ミーファには何も言えはしなかった。
だからといって納得したわけではない。納得できるわけがない。ミーファには酒場に戻る選択肢だけはなかった。トオンのたとえ話はミーファにとっては例えでもなんでもない。意味のない言葉だった。
ミーファはすっかり元気がなくなってしまった。
「悪かった。嫌なことを思い出させた」
トオンは立ち上がると風呂場に行ってしまった。
ミーファはソファーにひとり残された。トオンを怒らせたかどうかはミーファにはわからないし、トオンの気持ちもわからない。よりによってあのたとえ話はミーファには理解できない。
ミーファは重力に任せてソファーに横になった。トオンの座っていた場所は少し温かくて汗の匂いがした。