bluesky free
ぴんぽん。
呼び鈴がなる。なつみは掴み掛けたひき肉から左手を離そうとするが、逆の手は既に油に塗れていた。そのまま扉へ向かえば、通った道から扉まで汚れてしまうだろう。元はと言えば、自分の所望した夕飯ではないのだ。当然の権利だと、なつみは目の前でアイスをかじる空に声を掛けた。
「ソラくん、出てよ。」
「はぁ?」
否定の言葉は、まあ出てくるだろうと予想していた。
「ソラくんがハンバーグにしてって言ったんでしょ。」
「分かったよ…。」
理由やいい訳をせずとも、空はお願いすれば結構動いてくれるものだ。
それはアーシェから充分に教わった。
面倒くさそうに立ち上がり、口にスプーンを咥えたまま、玄関へ向かった。
ぴんぽん。
もう一度呼び鈴が鳴る。
癪に障る音階を奏で、その音色は空を更に逆上させた。
「新聞ならいりませんよ、」
不機嫌な声音でそう告げ、扉を思いっきり開ける。当たれば驚き、尻尾を巻いて逃げていく。すみません、と、一言謝ればいいのだ。そう思った。
しかし目の前に立っていたのは、新聞屋とは全く違った風貌だった。背は高く空の身長をゆうに30cmは越え、目つきは鋭く、呼び鈴にかかっていた指は太く長かった。
そして空は、その顔に見覚えがあった。
「空?」
「名雲っ、」
どうしてここに?という問いは、すぐに脳内から消えた。自分がここにいる理由を思い出せば、自ずと理解できた。なつみは、強力な霊視体質。祓う事は出来ず、被害を被るばかり。だからこそ自分たちがいるのだ。
「アーシェに、何か用?」
「やはりあの人形もいるのだな。」
加えて、目の前の名雲という男は除霊師。そう、善悪関係なく霊と呼ばれるものを駆逐する事を生業としている。
名雲が、何かしらの用があるというなら、アーシェ以外にないであろう。もしくは、なつみの護衛。そのどちらも、アーシェに対して善意を覚える事はない。
「ずっと言ってるだろ。アーシェは別に、人間に危害を加えたりなんか、」
「その可能性がゼロにならない限り、俺はあの人形を赦してはいけない。」
昔からそうだった。初めて顔を合わせた時、おそらく五年前。『人形に誑かされた可哀相な少年』として、空は被害届を出されていた。その後、喧騒と説得により誤解は解けたものの、未だ名雲は空が嘯かれていると思っているようだ。
大きなお世話だ、お節介焼き。それが空が名雲に持つ感情。放っておいて欲しい。それが、空が名雲に頼む願い。
「だから、加えないって言ってんじゃん。俺の話聞いた?」
「ならば何故転生しない。あの形代に乗り移ったままだと、人間共には悪影響を及ぼす。悪意がないとは到底思えない。」
「それは……だから、人間たちを救えるようにと、」
「ならば何故お前を縛り付けたままにする。魂だけのあれの側にいて、お前の身体に今もなお呪いを掛け続けているのに。」
「…俺の事は関係ない!俺が、好きで、アーシェの所にいるんだ、」
「尚更側には置いて行けない。」
言い、名雲は軽々と空の身体を担ぎあげる。
「なっ、は、離せっ、」
「おい、家人。人形。いるのだろう、」
扉を乱暴に開き、空を担ぎあげたまま、名雲は大声を張り上げながら部屋へ至る廊下を進む。
突然の事に驚いたなつみは、洗ったばかりの手を拭く事も忘れ、乱入してきた男を凝視した。
男の姿を黙認したアーシェは、さして驚く様子もなく、名雲に話しかける。
「お久し振りね、名雲。」
名雲は、苦虫を噛んだような眼をし、それをアーシェに向け、肩に担いでいた空を解放した。
「名前を呼ぶな。呪いはごめんだ。」
「あら御挨拶。」
くすくすと含み笑いを隠さず、手招きでなつみを呼ぶ。
「なつみ、熱いお茶をご用意して。二杯でいいわ。貴女と、この、」
掌を空中で翻し、指の先を名雲へ向ける。
「招かれざる客人に。」
空は一つ、ため息をついた。
作品名:bluesky free 作家名:桐重