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 単純なことだ、と爽太は思う。
 こんなのはひどく有り触れていて、同じような気持ちを抱えている人はこの世界にごまんと存在しているに違いない。
 普通はどこかで諦めるか、そのうちに何か違うことに意識が行ってしまったりして忘れていくのだろう。
 だけど、自分達の場合、そうやって忘れていくにはお互いの距離が近すぎて。いつまで経っても方向を変えることができないまま、気付けば引き返せないところまで来てしまっていた。
 多分そういうことなのだ。





 卒業式を間近に控えたその日も、寮はいつも通りの朝を迎えた。
 今日も今日とて、日課として一階の洗面所で朝一番の歯磨きをする爽太。
「高校の寮」というもののご多聞に漏れず、爽太たちが住んでいるこの寮もなかなか年季の入った建物だ。やたらと風通しのいい廊下は夏こそ涼しくて快適なものの、寒い季節は底冷えがする。背中を丸めながら爽太が歯磨きに勤しんでいたところで、背後から声がかかる。
「おっす」
 わざわざ振り向かなくてもわかる。和真だ。爽太としては「また今日もこいつか」と内心では少しげんなりとしてしまう。
「もっふ」
 ハブラシをくわえたままだったので妙な返事になったが、気にしないことにする。
 生活のリズムが合うのかなんだか知らないが、この寮に入居してからというもの、爽太はほぼ毎日こうしてこの和真と洗面所で顔を合わせている。それをもう三年もずっと続けてきたのだから挨拶なんておざなりになって当たり前。反応しようという意志が一応あるだけでもありがたいと思ってほしい。
 和真は爽太の隣に立ってまず顔を洗い、それから爽太と同じように歯を磨き始める。
 しばし、二人して無言。寝起きの男が二人並んでシャコシャコと。傍から見ればさぞかしシュールな光景だろう。
 歯磨きを終えて口をすすぎ終わったところで、爽太はふと思い出して言ってみる。
「そういえばさ」
 まだ歯磨き中だった和真は視線だけをこちらに向けた。
「お前の訴え、最後まで認められなかったな」
 どうやら何のことか分からなかったらしい。ハブラシをくわえたまま和真は「ん?」と不思議そうな顔をする。
「あれだよ、あれ。朝メシの前に歯磨きしても意味ないだろってやつ」
 言いつつ、洗面台の横にある歯磨きチェック表に○をつける。「神崎爽太」の欄と、ついでに「鈴木和真」の欄も。
「しょうがねえさ。寮長さんには単に歯磨きするのがめんどくさいだけだって思われてるからな」
 どうやら和真も歯磨きを終えたようで、はっきりとした返事が返ってくる。それから、何を思ったか和真は大きくため息をついた。
「にしても、もうすぐ俺のハーレムともお別れかぁ。寂しいねえ」
「何がハーレムだ。俺の存在を勝手に消去すんな」
 とっさにそう言ってしまったが、もちろん爽太だけではない。ここには後輩の男子だってちゃんと居る。確かに比率では7:3ぐらいで女子のほうが多いが、ここに住んでいる男子がこの和真だけというわけでは断じてないのだ。
「何度も言わせんな。男女混合の寮って時点で俺の目には最初から女の子しか映ってねえんだよ」
「さよけ」
 和真の軽口はいつものことだ。いちいち目くじらを立てるようなものではない。それは分かっているのだが、ちくりと胸の奥が痛むような感覚に、爽太は思わず口を開く。
「お前は――」
 言いかけて、途中で言葉を途切らせる。
 思い留まったわけではなくて、なんと言っていいのか分からなかったから。
「なんだよ? 何かあるのか?」
「……いや。そろそろ戻らないと朝メシに間に合わなくなるぞ」
 明らかに会話の流れとしておかしかったはずだが、和真は何も言わなかった。





 同じ頃、同じ寮の三階にて。
 女子専用になっているその階の一室で、上原奈央は鏡の前に立っていた。
 白のブラウス、チェック柄のキュロットスカート。紺色のハイソックスをはいて、胸元に赤いリボンを結ぶ。ブレザーを羽織って、自慢のロングヘアの片方をヘアバンドでくくれば制服に身を包んだいつもの自分が完成。
 その場でくるりと回ってみる。うん、完璧。目の前の鏡に映るその姿はどこからどう見たってとびきりの美少女だ。これでどんな男でもイチコロ――でもないのだけど。
 残念ながら例外が一人居る。しかもその例外こそが奈央にとって他の誰よりも一番振り向いてほしい人だったりするので、どうにも悲しくなってしまう。
 おっと。朝っぱらからこんな気の滅入るようなことを考えていてはダメだ。
 ――私は今日もかわいい。私は今日も元気だ。
 ぱちんと両手で頬を叩いて気持ちを入れ替え、朝食に向かうべく部屋のドアを開ける。
「おはよー、奈央ちゃん」
 食堂へと向かう途中、かわいらしい声と共に駆け寄ってきたのは奈央と同じく三年生の御堂愛華だ。なんだか金持ちのお嬢様みたいな名前だが、本人の談によればごく普通の家庭の娘さんなのだとか。
 まあ、普通に考えればこんなところ――築二十年以上の、しかも階が分かれているだけで実質男女混合であるこの寮に金持ちのお嬢様が来るはずはないのだけど。
「おはよ」とおざなりに挨拶を返しながら、奈央は自分の隣に並んでおしゃべりを始めた愛華の姿に改めて視線を向けてみる。
 窓から射し込む朝日にさらさらと透けるショートカットの髪。ふっくらとした二重まぶた、やや目じりの下がった柔和そうな瞳。その下にある鼻と唇は自己主張が強すぎないよう、小さくまとまっている。
 ふっくらと柔らかそうな頬といい、笑うときにいちいち口元に手をもっていくその仕草といい、この愛華を構成するすべてが奈央とは正反対で、いわゆる「女の子」というものを感じさせる。
 そして何より――
「うーむ……」
 問題は胸元、というかぶっちゃけ胸だ。背は奈央のほうが五センチ以上高いのに、どういうわけかその部分だけは……いや、具体的な数値はあまり思い出したくないけど、とにかく結構な差をつけられて愛華のほうが上だ。
 当然ながらその差は見た目にもはっきりと表れているわけで。ブレザーを羽織るとほぼ平坦になってしまう奈央のそれとは違って、愛華の胸元は制服の上からでもその形の良さが分かるくらいにはっきりと丸みを帯びている。
 もし自分にもこの愛華みたいな「女の子らしさ」が備わっていたのなら。あの人も少しはこちらを見てくれたのだろうか。
 なんだか腹が立ってきた。理不尽だとは分かっていても、何か仕返しをしてやらなければ気がすまない。
 とりとめのない会話に適当な相づちをうちながら、気付かれないように愛華の背後へと回り込む。そしておもむろに脇の下から手を差し込んで、両手で愛華の胸をわしづかみにした。
「うきゃあ!」
 不意をつかれた愛華のすっとんきょうな悲鳴。手にあまるくらいのボリュームがある柔らかな感触が奈央の手のひらを覆う。
「ちょ、ちょっと奈央ちゃん、いきなりなにする……わ、ちょっと、やめてってば!」
 じたばたと暴れながら愛華は必死に抗議するが、奈央の全神経は手のひらに集中してしまっているのでその声が耳に届くことはない。
 奈央は思う。
 ――何なのだろう、これは。
作品名:ベクトル 作家名:terry26