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「ナイフ」

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 茶色のストライプシャツとヴィンテージのジーパン。この服を着ると「今から仕事だぞ」という気持ちになる。やっぱり何事も形というものは大事だ。
 いつもの服に身を包んで自宅を出たのが午後十一時。ボードに乗って目的の場所に着いたのはそれの約十五分後。今日の仕事場は家から近い。いつもこうあってほしいものだ。
 夜の帳が下りた町。人気のない細い路地を街灯だけがわずかに照らしている。立ち並ぶ家々に邪魔されて月明かりも届かない。たしかに「いかにも」な場所だ。
 「上」から聞かされた話だと、今回の標的は毎日この時間に必ずここを通って帰宅するらしい。毎日こんな時間まで仕事なのだろうか。それとも今回の標的は男だから、どこかに愛人でも囲っているのかもしれない。まあ、標的のことなんてどうでもいいのだけど。
 かすかに前方から足音が近付いてきた。俺は壁に背中をもたれさせた姿勢のまま、ただじっと待つ。もう少しすれば手前にある街灯の明かりに足音の主の姿が浮かび上がるはずだ。
 来た。上等なスーツに身を包んだ中肉中背の中年男。写真で見た標的の姿と寸分たがわず一致している。
 俺はまたボードに乗る。標的に向かって音のない加速。いぶかしげにこちらを見た男の顔が一瞬だけ目に映って、すぐに消えた。
 すれ違いざまに「ナイフ」を振るう。悲鳴も何もない。虚空に舞い上がる首、断面から噴水のような出血。スプラッタ好きにはたまらない衝撃の映像だ。
 幸いにも俺にそんな趣味はないので、振り返らずにそのままその場をあとにする。今日の仕事はこれでおしまい。少し眠いから、帰ってシャワーを浴びたらすぐに寝るとしよう。





「うわ、また値上げしやがったのかよ」
 いつものパンについた値札を見て俺は思わずため息をついた。値上げはこれで五度目だ。初めてこの店に来た時と比べるともはや倍近い値段になっている。
「うるせえ、ガキ。文句があるなら来んな」
 店主の男が客に向けるには到底ふさわしくないセリフを吐く。まったく、いつもいつも来てやっているというのに。少しぐらいは感謝の気持ちというものがあってもよさそうなものなのだが。
「常連のお客様には特別価格でご提供します、とかそういうのはねえのか?」
「あると思うのか?」
「……いや。言った俺が間違ってた」
 もう一度ため息をついて、いつものパンをレジにもっていく。値上げは痛いけど、結局は買うという選択肢しか俺には用意されていない。おっさんの偉そうな態度もそれを分かった上でのことだろう。
 そもそも俺がいつもこの店に来ているのは単に家から近いからというだけじゃない。何とも信じられないことだが、この偏屈なオヤジが作るパンはけっこううまいのだ。この味に慣れてしまったら、添加物臭いスーパーマーケットのパンなんて食えたモンじゃない。
「ミルクは?」
「ああ、もらう。いつものやつ」
「あいよ。これでも飲んでもっと大きくなりやがれ」
「うっせえ。よけいなお世話だ」
 吐き捨てるように言い残して店を出た。また来る、とは言わない。二度と来るな、と返ってくるから。
 店の外に出ると同時に、街の喧騒が耳に飛び込んでくる。カフェテラスから聞こえる客の話し声、どこかの店から流れてくるBGM。今日も街は騒がしい。
 街の中央に位置する大きな駅からまっすぐに伸びた歩行者専用道路。様々な店が立ち並ぶその通りを駅から二、三分ほど歩いたところにこのパン屋はある。この街の住人や他所から来た者、あらゆる人々がひっきりなしに行き交う場所だから絶好の立地条件だ。ただしあのおっさん曰く「この店は昔からここにあんだよ。最近になって勝手にいろんな店が周りに集まってきやがっただけだ」ということらしい。真偽のほどは定かではないけど、まあ俺にとってはどうでもいいことだ。
 人の往来に身を任せて俺も来た道を戻り始める。この通り沿いにある建物の外壁はほとんどがクリーム色で統一されているが、それぞれの店が張り出している看板やらフラッグやらがそこへにぎやかな色彩を与えている。人々が歩く地面は石畳。この国の典型的な商店街の風景だ。
 俺の住んでいるアパートはここからだとちょうど駅の反対側に位置している。ぐるりと迂回しないといけないのだが、それでもゆっくり歩いて十分ほどで着く距離だ。
 今日は特に用事もないので、寄り道せずまっすぐにアパートへ向かう。立ち並ぶブティックやレストランをことごとく素通り。駅の周りにあるデパートやら何やらの高層ビルにも今日は用事がない。駅前の広場でスケートボードをやっている顔見知りたちに軽く挨拶をしながら駅を通過。街の中央を南北に走っている大通りを渡って踏み切りを越えればアパートへと向かう細い路地がある。あとはここを道なりにまっすぐ歩くだけだ。
 ちょうどアパートの前まで戻ってきたとき、街外れにある教会から鐘の音が響いてきた。午後五時の鐘。この街に住む者にとっては一日の昼が終わって夕暮れ時に切り替わったことを知らせる音だ。もちろんこの俺にとってもこの音は毎度お馴染みとなっている。
 俺がこの街に来てそろそろ四年。来たばかりの頃はまだ十四だった俺も今年で十八歳になった。ようやく一人暮らしをしていてもおかしくない歳になったというのに、未だに家主のおせっかいな婆さんにはあれこれ口うるさく言われる。彼女いわく「あんたは私にとって息子か孫のようなもの」だそうだ。勘弁して欲しい。
 とかそんなことを考えていたら、タイミングが良いのか悪いのかアパートの玄関をくぐろうとしたところで件の彼女、家主の婆さんにしわがれた声で呼び止められた。
「リオ坊、調子はどうだい?」
 リオ坊。俺にはリオネル・マティスというちゃんとした名前があるのに、いつまで経ってもこの婆さんが使う三人称は変わらないままだ。一度「ちゃんと名前で呼んでくれ」と言ってみたら「あんたにそんな名前は立派過ぎる」と返ってきた。なんでも少し前に大統領をやっていた大物の政治家に同じ「リオネル」という名前の人物が居るのだそうだ。何故その人と俺とが比べられるのかはさっぱり分からないが。
「別に。普通かな」
「普通ってのはなんだい。まったくこの子は、きちんとした返事はできなのかい?」
 俺は何も答えずに、ただ黙って頭をかいた。
 しわがれた声が聞こえるのはガラス越し。正面からアパートに入ってすぐ右手にある管理人室は駅の改札横の窓口みたいになっていて、ガラス張りになった窓の向こう側には駅員の代わりにこの家主の婆さんが座っているというわけだ。
 いかにも歳を召しているという感じの婆さん。クモの巣のような総白髪の髪、深く刻まれたシワ。正直いつ死んでもおかしくないような様相なのに、未だに病気すらなくピンピンしているというのだから怪物じみている。
 ぐずぐずしているとまた長ったらしいお説教が始まってしまうので、半ば無視するように玄関を通り過ぎた。背中から「まだ話は終わっていない」というような台詞が聞こえてくるが、それも無視。いちいち聞いていたらこの婆さんの相手をするだけで一日が終わってしまう。
 俺の部屋は二階の角部屋。隅にほこりがたまっている階段を早足で上がって、所々軋んでいる木製の廊下を通って部屋まで歩く。
作品名:「ナイフ」 作家名:terry26