Hexennacht
道也は窓の外に光を見て、保健室裏口から外へ出た。
そこに接する小さな駐車場に車を停める達村。だが狙いは定まらず、縁石に少し乗り上げては横の茂みに車の尻を突っ込み、バキバキと枝を折った。
「おっといかんいかん」
窓から顔を出して笑っては車の位置をましなように直すが、いくら周囲はほの暗いとはいえ、向きは斜めで駐車枠から大分右にはみ出ている。壊滅的な腕に道也は呆気にとられながら、エンジンを切って車から出てくる達村を見た。
「なんとか、事故を起こさず行けました」
と、確かに重要ではあるが結果的に至極どうでもいい報告をした。
「そんな事を笑顔で言わないで下さい。患者をのせてるんですから、安全運転は当たり前でしょう」
「申しわけない。いや、免許はあるんですが、どうにも下手くそでして」
「……で、彼の様子は?」
「やっぱり肋骨の骨折のようですよ。二本。母親らしき人が迎えに来たので、そのまま帰しました」
鞄からファイル付きで診断書を渡す。みたところ傷害はその骨折のみらしく、道也の最悪の予想は裏切られたようだ。もう保健室は施錠しなければならないから、書類は明日の朝に書こう。
「お疲れ様です。ご協力ありがとうございます」
「センセ、この後仕事は?」
と達村が何か含みを持たせて聞き、言葉を継げた。
「無ければ彼の回復祈って、少し飲みにいきませんか?」
本来なら断る誘いだが、道也を釣ったのは、その後の「ちょっと話もあることですし」との達村の小さな呟きだった。
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「まや…く?」
「柏原と、車ン中とかでちょーっと話したんです」
呑み屋の狭い個室内で声を潜める達村。手始めにビール、日本酒を跨ぎ三杯目の今はジンライムのロックを手にしている。顔はほんのり赤いがもともとザルらしく、その語り口や素振りに変わった様相を見せない。
明日は土曜日とはいえ平気なのだろうか。確か達村はニ時間目から授業があったはずだ。日本人は基本酒に弱い遺伝子を持つし、こういう飲んで見た目何も変わらない人間が、実は飲みすぎのリスクが一番高かったりするものだ。
「先輩三人に薬の売買を持ちかけられて、断ったら蹴られたそうですよ」
「その先輩三人、とは……」
「聞き出せませんでした」
達村は複雑な表情をした。信じたくない、という感情を奥歯で噛んでいる。
「一発蹴り入れられた時俺がちょうどそこに来て、それ以上の被害はなかったそうですがね……俺が顔確認する前に三人とも逃げましたし。いやぁ若いもんは足が速くて困りますよ」
ジンライムのグラスを傾ける。対面で下戸の道也は、冷めた空揚げをやる気なく食みつつ達村と同じ思いを抱く。
「――しかし麻薬は聞き捨てできませんよね」
「本当ですよ。よりによって……」
随分と厄介なものが登場してくれたものだ。
二人が勤務している学校はそこそこの規模があり、生徒数も多いとなれば一応は生活指導を行き渡らせてはいるものの、やはり合コンやら夜遊びやとをする輩どもは毎月釣れる。教師の目をかいくぐり細かい部分では野放しになっているのが現状である。
悪いことを覚えないでほしいという想いの裏返しに、仮にも進学校の名を冠しているからにはこの学校の生徒として恥ずかしくないのかと、教師も無い威光を空振り気味に振りかざすハメになる。
それをよそに道也も学生時代は親や教師に隠れて酒や煙草を味わおうと試み、合コンで女の子の品定めなんかもした。恐らくほとんどの教師もそういったものの経験者に違いない。
いつの時代も、子供はそういった大人への秘密をアクティビティにし、こっそり大人の階段を上る優越感を味わいたいのだろう。そこには大人が楽しんでいるものを子供が楽しんで何故悪い、という心理も大きく働いてる。
しかし、だ。麻薬となれば大人さえも手に負えない。法に触れるどころか、使用した生徒自身の人生全体まで狂いかねない。
「大事になる前に、本当に麻薬を持ってるなら、そいつらから取上げないと……」
独り言のようにぽろとこぼす達村。生徒の薬物所持が事実なら、まず生徒指導の教師とも話合わなければならないだろう。少し大事になることを覚悟いたほうがいい。
「……保健室からも注意喚起をしましょう。丁度薬物使用防止の配布物も来たことですし」
「是非お願いします。だが――困ったもんだ」
ああ畜生と嘆き、グラスを空にしては達村は追加注文を出した。今度はウイスキーだそうだ。次空にしたら流石にストップをかけようと、道也は枝豆を細々とつまみながら心構えた。
作品名:Hexennacht 作家名:村井新一郎