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三毛猫のキン

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 田んぼ道に咲く福寿草は自分たちの存在を今とばかりに、野一面に幅を利かせている。太陽は北に偏るのが飽きたと言わんばかりに、日に日に南に近づいては福寿草との会話を楽しんでいる。そんな日曜日の午後を三毛猫のキンは散歩をしている。利根川水系の下流に位置するこの辺りの地形は、一面を関東平野が覆いのどかな風景が続く。三毛猫のキンはこの田んぼ道を散歩するのが大好きである。自慢の三毛は朝のうちにきれいにした。小さめの顔から横に飛び出す白いヒゲが今日はひときわツヤツヤしい。こんな日には自然と鼻歌が出る。音程は全く合っていない。そんなことはおかまいなしの三毛猫のキンは、自然界に存在する全ての現象と会話をしながら一人歩いている。いつもの散歩コースを抜け、猫ヶ洞の駅にたどり着くとちょうど電車が入線してきたところである。慌てることも無く、三毛猫のキンはホームに響くチャイムの音をすり抜けて地下鉄に乗り込む。ドアが閉まりキンは近くの座席に腰を下ろす。平日は混雑するこの列車も日曜日の早朝は静かである。キンの乗った車両には老夫婦が一組、乗っているばかりである。
 キンは目を閉じて鼻歌の続きを頭の中で追い続けている。太陽の匂いを思い出しながら福寿草との会話を続けている。福寿草が笑っている、太陽が笑っている、利根川を覗き込めば泳いでいるフナも笑っている、三毛猫のキンは水面に映る自分を眺めて、やはり自分の三毛は美しいと思う。そしてフナに視線を戻すと、やはりフナはキンを見て笑っている。フナはピシャリと水面を蹴ってふざけている。勢いよく跳ねた水しぶきは水面を覗き込むキンに襲いかかり、その美しい三毛の一部を形成する白い膝を濡らした。冷たい水がキンの膝をシットリと濡らしていく。
 ハッと口を閉じた三毛猫のキンは、膝まで垂れたヨダレを右手の肉球で押さえつけ周りを見渡した。駅名のアナウンスがボウとしたキンの頭を通過していく。座席は乗客で埋め尽くされている。老夫婦はどこかの駅で降りたようである。制服を着た女学生たちがドアの隅にかたまってクスクス笑っている。三毛猫のキンからはあえて目線を外している。ヨダレの動きを一部始終、観察していたらしい。三毛猫のキンは肉球をごしごし動かしてヨダレを膝に刷り込ませた。正面に座る若い猫娘の視線が自分の右手の肉球に注がれてはいないかと、ちらりとみてやると予想は全くに外れてしきりに携帯電話のボタンをいじくっている。さて右に座る盛りのついた雄猫をちらりとやれば、肉球を電話のスライドガラスに擦り付け、しきりに上下左右なで回している。もしやと左となりに座る子猫を盗み見れば、パカリと画面を開いて何やら忙しそうにこちらも肉球を動かしている。その向こうには、化粧の濃い短い足を組んで座っている猫娘がいる。三毛猫のキンは厚化粧短足猫娘の前に立つ老猫に席を譲り、三つ先の駅で下車した。
 昔のキンであれば怒りがこみ上げていた。憤りを感じていた。猫社会の将来に不安を感じていた。自分が奴らと同じ猫であることを恥じた。しかし、今のキンは違う。キンは独立した猫として他猫と自分に一線を引いていた。自分は高尚で清浄潔白な猫であると、自分を信じることができた。他猫は他猫、自分は自分と考えることができた。幾万といる知識の乏しい凡庸な他猫とは比べ物にならない、高尚な自分を認識することができた。三毛猫のキンは常に独立を心がけ、未来の猫達の文明の礎になろうと本気で考えている猫である。

 細い路地の片側に続く椿並木には、沢山のつぼみが幾重にも渦を巻いて固く、しかしほんのり柔らかい薄いピンクが螺旋をつくって、まだ春になりきらない冷たい風をしのいでいる。三毛猫のキンは自宅の小さな机に向かって筆を執っている。丸い背中をいっそう丸くして何やら難しい顔をしている。買い替えたばかりの黒い万年筆が使い慣れないらしい。
 三毛猫のキンは人間の偉大な教育者を私淑する猫である。昔世話になった主人がよく読んでいた本をキンは良く覚えている。人間界でどれ程までに偉大であるのか詳しくは知らなかったが、何しろお金に印刷されてある位でだから、まぁすごいのだろう、偉大なのだろう程度の興味で読み始めたのがきっかけであった。三毛猫のキンはまた、数多くの文学者を愛する猫でもある。これも以前世話になった主人がよく読んでい小説作品を盗み読んだのがきっかけであった。
 せっかくなので以前三毛猫のキンが世話になっていた主人を紹介しよう。名前は解らない。ニャーと言えば用が足りた。この主人はいつも何やら難しそうな顔をして本を読んでいた。頭が良くないせいだろう、いつも辞書を傍らに置き一頁進むごとにそれを確かめていて、本を読んでいるのか辞書を読んでいるのかわからない様子であった。ある日も辞書をみてうなっていた。
『のわき、、と読むのかぁ』
覗き込むキン、
『我々の大先輩を生み出した先生の作品ではないか、何を今更調べて感心しているんだよ、題目すら知らずに読んでいたのかねぇ、この人は』
『季節は秋なんだなあ、へええ』
『猫だって二百十日と秋刀魚は秋って決まっているぜ』
『しかし何でのわきなんだろう、のわけじゃなくて』
『どっちでも一緒だよ、辞書引いてみりゃわかるだろうに』
辞書を取って調べるご主人、
『おっ、のわけでもいいんじゃん』
『だから言っているんだ、少しは俺のことを認たかい』
自慢げな顔を主人に向け膝上で爪を研ぎ始めると、首筋をぐいと摘まれてポイと投げ飛ばされる。負けじと三毛を繕うフリをして特等席に戻る。
 またある時、主人は何やらパソコンをパチパチといじくっていた。小説作品を投稿しているらしい。またこれがセンスが無い。まじめ腐った人生論である。こんな話は誰も読みたがらない。
『やはり人間は独立して日本国を発展させなければないんだ』
『日本国の前に嫁さん探して家族を作る方が先だぜ、何度失敗しているんだよ』
『流れを知ることが大切さあ、大河は大きくうねって海に注ぐ、しかし大河を形成しているその元素を突き止めれば水素と酸素であって、非常に無数の元素が勝手気ままに、右も左も上も下も解らずに動き回っている、それでも大河はまるで一筋の龍のごとく、一つの意志を持った生命体のごとく、右に左にと自由自在に大地を駆け巡る。人間だって同じさあ、流れを見極めて転機を悟る、これに尽きるのさあ』
なかなか面白い説教である。しかし三毛猫のキンは知っている、
『流れを悟る人間が、戻ってくるはずのない上さんに未練感じて大金なんか送るかよ。見捨てられたことぐらいわからないのかねえ、流れ読みなさいよ』
おかまいなしのご主人様はさらに続ける、三毛猫のキンは呆れている。
作品名:三毛猫のキン 作家名:金之助