穴
A-1
私には何も御座いません。
何も、何も御座いません。
もう随分と長い事、何も持たずに生きてまいりました。
家も職も家族も友人も何も持ち合わせてはおりません。
私の所有物といえば、もうずっと着たきりの襤褸のみで御座います。
見ず知らずの少年が私に向って石を投げつけております。
何も持ち合わせてはいない私ではありますが、痛覚は生きております。
人並に、痛い。
私はじっと耐えています。
投石が止む気配は御座いません。
……これで良いのです。
私は今まさしくこの瞬間、自分の選択が正しかったのだと確信致しました。
人が人を救う事は容易い事ではありません。
人が人の為になる事は時に非情で御座います。
身近な人間の一人や二人を笑顔にする事は出来ても、名も知らぬ行き過ぎの人間に微笑みを与える事は困難です。
どんなに金銭をばらまいたとしても、それは一瞬の夢でしかありません。
ですが今の私はどうでしょうか。
私を見る人々の目は「ああはなりたくない」と語っています。
私を映すその双眸は「自分はまだマシだ」と安堵の色を浮かべています。
私に向って石を投げている少年は笑顔を浮かべています。
これは私の望んだ、まさに希望なのでありましょう。
私は宗教というものを、ただの演出としか捉えられない愚か者です。
目に見えない何かを信じさせるのに、宗教というものは躍起になってその演出に力を入れるので御座います。
私の襤褸は私の精一杯の演出です。
私は私の中にひっそりと潜む小さな小さな光だけを頼りに生きてまいりました。
少年は石をぶつける度に、とても愉快そうに笑うのです。
そして彼の投げる石が痛みを伴って体に当たる瞬間、私の中の光は小さく脈打ちます。
もしも神がいるのなら、それはきっと――――