絵描きになる夢を捨てた理由 ~夏の少女~
雪も溶け始める三月。一つの事件が起きた。ケンイチが死んでしまったのである。冬の海に飛び込んで死んだ。それは自殺であったか、他殺であったか、はっきりしなかった。警察は最初にアキコとそのヤクザの弟を疑った。次にケイコを疑った。が、決定的な事実が出ないまま、あわや迷宮入りするのではないかと思われたとき、生前に書いたと思わる一通の手紙が、私のもとに届いた。そこには、僕は人生に疲れたから旅に出ると書かれていた。警察はそのことから、最終的に自殺と断定した。
ケンイチの葬儀には、ケイコもアキコも顔を出さなかった。葬儀のとき、ケンイチの母は悲しみのあまり生気のない顔していた。私は終始、視線を合わせるのを避けた。たった一つの希望を失った者の眼を見るのが怖かったのである。
ずっとアルブレヒト・デューラーの画家に憧れていた。彼の眼は現実をありのまま見つめ鋭く分析する目があった。悲劇も喜劇もあらゆるものを冷徹に見る眼である。その冷徹な目をそのとき持っていないことに気づき、画家になる夢を捨てた。
作品名:絵描きになる夢を捨てた理由 ~夏の少女~ 作家名:楡井英夫