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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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夢の館

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 これからどうするべきか、今日はおとなしく部屋に戻るべきか、それとも開き直って大胆な探索をするべきか。まだ深夜の遅い時間だ、今すぐマダム・ヴィーに報告されると決まったわけではない。こちら側が迂闊な行動に出て、相手の行動をわざわざ早める必要もない。だからと言って、おとなしく部屋に戻って運命を待つというのも、死刑執行日が決まった囚人のようだ。
 もしもマダム・ヴィーへの報告が明日だった場合、それまでの時間は有効に使えるのではないか。だが、それにはこれまで以上に注意が必要になる。なぜなら、マダム・ヴィーには報告されなくても、あの大男はAを警戒している筈だ。
 しかし、警戒している筈ならば、なぜこの場で何もしなかったのか。そのような権限、ないしは自由すら奴隷たちにはないのだろうか。それとも別になにかあるのだろうか。
 考えれば考えるほどに先が見えなくなる。
 そしてAは行動を選んだ。
 足早に勝手口まで戻り、扉の取っ手を回す。鍵は掛かっていなかった。すぐに中へ入り、鍵を閉めた。
 辺りに気配はない。
 慎重に歩きはじめるA。ここで大男とは別の者に出くわせば、また新たな問題の火種となるだろう。もう誰にも見つかってはいけないのだ。
 同じ場所に長くいることは危険だが、Aはこの場所である物を探そうとしていた。
 引き出しを片っ端から開けては落胆して閉める。そして、いくつかの引き出しを開け、ついに捜し物を見つけたのだった。Aが手に取ったのはマッチだった。
 向かう場所はもう決まっている。もちろん地下への扉だ。台所を抜け、食卓を抜け、廊下を歩き続ける。今のところ気配は感じられない。
 さらに歩き続け大階段までやって来た。大階段の裏手は死角であり、Aは覗き込んでその場所を確かめた。誰もいない。
 そして、ついに地下への扉までやって来たのだ。
 ひとまずここでAは手の汗を拭い、それからあの謎の鍵を懐から取り出した。
 再び手の汗を拭った。
 手とは逆に唇が乾燥し、口の中はねっとりと粘つく。
 鍵を握り締め、恐る恐る鍵穴に差し込む。呑まれるように鍵が鍵穴に埋まっていく。そのまま鍵は根本まで刺さった。
 しばらくAは動けなかった。開くかも知れないという期待と驚きが入り交じり、極度の緊張が全身を襲ったのだ。
 いったい地下に何があるというのか?
 鍵がゆっくりと回される。
 そして、カチッという音が静かに鳴り響いた。
「……開いた」魂が抜けるように囁いた。
 扉に付いた頑丈な取っ手を引くと、重たい扉がゆっくり動きはじめ、その少し開いた隙間から冷たい風が流れ込んでくる。
 人が来る前にAは扉の中へ入り、すぐさま出入り口を閉ざした。一瞬にして辺りは闇に呑まれる。すぐに先ほど手に入れたマッチに火を付ける。弱く心許ない灯火だが、すぐ近くなら見ることができる。
 Aは扉を入念深く見て、そこにあった内鍵を閉めた。
 そして、ついに先の見えない地下への階段を下りはじめた。
 この先に進めば、鍵を渡された理由もわかり、さらにその人物も特定できるかもしれない。
 一歩一歩階段を下り、周りの空気が変わっていくことを肌で感じた。湿度が高く、かび臭い。それに加えて、生臭さも漂ってくるような気がする。
 階段はほどなくして終わった。それほど深い階段ではなかったが、来た道を振り返ると先は闇に呑まれている。本当にあの先に出口があるのか疑いたくなるほどだ。
 廊下の幅は二メートルほど。壁や床は切り石を敷き詰められ、しっかりとした造りになっている。やはり先は見えない。
 慎重に廊下を進むと、やがてT字路に差し掛かった。そこで慌ててマッチの火を消したA。片方の道から明かりが見えるのだ。
 Aは片足を引いた。
 引き返すべきか進むべきか迷うところだ。
 まだなにも掴めていない。ここで引き返して、次の機会はあるのか。だが、先に何が待ち受けているとも知れない。
「ヒャァァァッ!」
 甲高い悲鳴が鳴り響いた。
 Aは心臓を鷲掴みされた気分だった。
 悲鳴は明かりの方から聞こえた。男とも女ともわからない。ただあの先で怖ろしいことが起きていることだけはわかった。
 Aは進んだ。重い躰を引きずるように歩き、慎重に明かりの下へ近づく。その明かりは扉から漏れた物だった。少しだけ開いたままになっている扉。まるで覗き見ることを誘っているようだ。
 そっと扉の隙間に顔を近づけるA。好奇心が勝ったと言うより、見ないことの方が不安を掻き立てたのだ。
 覗き見る眼の瞳孔が開いた。
 部屋の中で全裸の少年が蹲っていた。まるで怯えるように、枷の嵌められた手で頭を抱えている。よく見ると足にも枷が嵌められている。
 そして、その少年の背中を踏みつける紅いハイヒール。
 薔薇の刺繍がされたタイツに隠された形の良い美脚。だがもう片方の脚はなく、代わりとなっていたのは松葉杖。そこにはマダム・ヴィーが立っていた。
 部屋にはこのほかにも数人の女奴隷たちがマダム・ヴィーに従えていた。ここでもやはり奴隷たちはフェイスマスクで顔を隠している。その不気味さは、この状況下においていつもよりも増している。
 マダム・ヴィーの艶やかな声が響く。「この子は駄目ね。仕込んでも売り物になりそうもないわ今のままでは」
 奴隷たちが動きはじめる。主人の言葉の先をすでに理解しているのだ。奴隷たちによって少年は仰向けに寝かされ、身動き一つ出来ないように床に押さえつけられた。
 奴隷の一人が部屋の奥に吊り下げられていた鋸を持って少年の元へ近づいてきた。
 まさかとAは息を呑んだ。
 少年は恐怖のあまり白目を剥きながら失禁した。
 それを見て嬉しそうに嗤う濡れたルージュ。
「どこを隠したら美しく、想像を掻き立てられるかしら」
 あまりにおぞましい発想だが、ある種のフェティシズムには通じている。
 それは腕のないミロのヴィーナスや、腕はおろか首すらもないサモトラケのニケのように、無いことによって完成された珠玉の芸術。
 人を隠された物を想像し、時に思いを馳せる。
 マダム・ヴィーは顔を動かしながら足の先から丹念に少年を見ているようだった。
「足……太もも、この太ももの付け根は素晴らしいわ。ちょうどこの付け根に黒子があるのね」
 皮膚はそれ自身の色が消え失せた時からフェティッシュとなる。という言葉がある。
 ただ真っ白なキャンバスよりも、そこに汚れや傷があったほうが、フェティシズムの対象になりやすい。白いキャンバスに落とした一滴の黒インクは、キャンバスの白さを引き立てながら、さらにそれ自身も目を惹き魅力的である。
「両腕を切断しましょう。そうね、肩から十五センチくらいのところがいいわ」
 マダム・ヴィーの言葉を聞いてなんの躊躇いもなく、奴隷が鋸を少年の上に押し当てた。
 そして――。
 Aはそれ以上見ていることができなかった。
 その場から足早に逃げるAの背中に、地獄の絶叫が針のよう降り注いだ。
 暗闇の中を壁を手で探りながら小走りで進んでいたAは、途中で思い出したようにマッチに火を点けた。壁を擦っていた手のひらは皮が剥け血が滲んでいた。そのことにすら今気づいた。
作品名:夢の館 作家名:秋月あきら(秋月瑛)