じいじの昔語り「ビー玉とセーター」
でもじいじは母さんの言葉を素直に受け入れることができなくてね、「あんなにいい人が騙すなんてあるもんか」と納得できなかったんだ。それより却って無断で帰ってきてしまった自分を責める気持ちが強くてね、その思いをずっと引きずっていたんだよ。
夕食の時、二番目の兄からは「そんな知り合いはいない」とつっけんどんにいわれるし「お人好しにも程がある」とか「馬鹿なやつだ」とか 「欲を張るからそんな目にあうんだ」とか家族にはさんざんコケにされたけどじいじ自身はなかなか心の整理がつかなくてね。
それから数日たったある日のことさ 学校の体育館で昼休み時間に遊んでいると偶然、新調のあのセーターとそっくりのものを身に着けた子に行き会ったんだよ。一瞬自分の目を疑ったけど、どう見てもそのセーターは紛れもなく自分のものに違いないんだ。でもその子は見ず知らずの子だったのでどうしても言葉をかけることが出来なかったんだ。
学校が退けるやいなや急いで下校したじいじは家に着くとすぐ事の顛末を母さんに話したんだ。話を聞くとすぐさま母さんはじいじの手を引いて急ぎ足で学校に向かったんだ。家から学校までは五分足らずの距離だったけど着くと母さんは校門近くの道端に陣取って下校してくる子供たちの姿を真剣な眼差しで追い始めたんだよ。
セーターを騙し取られて一番悔しい思いをしたのは夜なべしながら苦労して編んでくれた母さんに違いなかったと思うんだ。 セーターを取り戻したいという一念は恐らく執念に近いものだったに違いないね。
一方のじいじはといえば「自分の勘違いだったらどうしよう」とか「相手はもう下校してしまったんじゃないかな」などの想いが頭を過ぎって半ば不安な気持ちで母さんの傍らに立ち尽していたんだ。
どのくらい時間が経過したかはよく分からないけれど、やがてあのセーターを着た子が数人の仲間とふざけ合いながら下校してくる姿が目に入ったんだ。目敏い母さんはすぐにその子のもとに駆け寄ると努めてやさしい声でそのセーターを何処で買ったのか訊ねたんだ。するとその子は「昨日、おじいちゃんが知り合いのお兄さんから買ってくれたんだ」と答えたんだよ。母さんはその子の名前と住所を聞き出してから、いきなり声をかけて、いろいろ問い質したことを詫びてから、その子の後姿をずーっと見送っていたなあ。
やっぱりセーターは騙し取られたものに間違いなかったんだ。ここに至ってやっと自分が騙されたことを理解したんだよ。でも「あんなにやさしそうで親切に見えた人が何故」という疑問はどうしても解き明かすことができなかったんだよ。
お前たちがこんな目にあったらならどう思うかな?
「人は外見では分からない」とか「人をむやみに信用してはいけない」とか「騙されるのは心に隙があるからだ」とか後からいろいろ言い聞かされたけど生活の教訓としては理解できたけど、そもそも人間同士が騙したり騙されたりするのは何故なんだろうと考えると解らないことだらけでね。到底子供の手に負えるような問題ではないということだけは何となく解ったけどね。
最近話題になっている「振り込め詐欺」とかのニュースを見聞きするにつけても人間同士が騙したり騙されたりする現実はどうしようもないんだなあというのが実感だね。悲しいことだけどね。
その後、母さんは警察に相談して最終的にはセーターは戻ってくることになったんだけど後味が悪くてね、その後はどうしてもそのセーターには愛着が持てなかった記憶が残っているよ。
警察の人の話によるとあのお兄さんは能力のある人で中学校の成績も優秀だったそうだけれど家庭の事情で高校へ進学できず就職したんだって でもうまく行かなくて仕事をやめてしまい生活に困るようになり、その挙句の犯行だったそうだ。騙したことをとても後悔しているし強く反省もしているとのことだったんだよ。
それを聞いて少しは心の重しが軽くなったような気がしたけどね。
初めて人に騙された苦い経験はとてもショックだったし一時的には人間不信に陥ることにもなったけどその後の生い立ちを見てみるとお人よしの性格は生まれつきなのかあまり変わっていないように思うけどね。
ハハハ・・・
これで今日のお話はおしまいだよ。
作品名:じいじの昔語り「ビー玉とセーター」 作家名:kankan