じいじの昔語り「ビー玉とセーター」
これから話すことはね じいじが子供の時実際に経験したことなんだよ。
なに、「じいじも子供だった時があったのか」だって そりゃ当たり前だよ。生まれた時からずーっとじいじのままということはないよ。
赤ちゃんの時もあったし、幼稚園、小学生の時もあったさ。
人は皆生まれてから死ぬまでのあいだ時間とともに年をとって変わっていくんだよ。だから、いやでもお前たちも何時かはじいじ、ばあばになる時がくるんだよ。
さてとそろそろ肝心の話に入るとするかな
あれは確か小学二年の時のことだったな。
当時、日本はアメリカとの戦争に負けて間もない頃で物もお金もない本当に貧しい時代だったんだよ。
じいじの家は六人の子沢山でね 上には二人の兄がいて下には弟と二人の妹がいたんだよ。
父さん、母さんの苦労は子供を養い育てるだけでも並大抵ではなかったと思うね。
だから子供たちの衣服だって粗末なものが当たり前だったし、じいじなんかは何時も兄のお下がりばっかりでツギハギしたものを身に着けているのも決して珍しいことではなかったんだよ。
ところが どういう訳か その時は新調のセーターを着ていたんだ。母さんの手編みで緑の地に黒と茶の縞が織り込んであってね。 ふかふかしてとても暖かかったのを憶えているよ。特に他人に見せびらかすことはなかったけど当時としては目立ったと思うんだ。自分も得意満面だったかもしれないしね。
ちょうど木枯らしが吹き始めるころだったなあ。
その頃子供たちの間ではビー玉遊びが大流行していたんだよ。ビー玉遊びって知っているかい。ビー玉は知っているよね。ガラスで出来た小さな球で単色や多色のもの、中にきれいな模様の入ったものとか、大きい玉、小さい玉といろいろな種類があってね 妖しく光り輝くさまは子供にとっては、まるで宝石のようでね、とても魅力のあるものだったんだよ。これをいろんな種類で沢山持っているのが仲間のあいだでは自慢の種になるものだから皆、躍起になって集めていたもんさ。
「ビー玉遊び」っていうのは簡単に言えば決められたルールに従って自分の玉で相手の玉を弾き飛ばしたりして勝敗を競うゲームのことなんだよ。勝てば相手の玉を奪えるけど負ければ自分の玉を取られてしまうというゲームさ。
この日も道端の陽だまりの中で子供たちはビー玉遊びに夢中になっていたんだ。
じいじはね、その時ゲームには入らないで皆から少し離れた所から仲間の動きを熱心に目で追っていたんだ。そりゃビー玉は人一倍欲しかったしゲームで勝って沢山のビー玉を手にいれたかったけど実はね、じいじは生まれつき右の目が見えなくてね 遠近感がつかめないものだからビー玉遊びは大の苦手だったんだよ。 やっても何時も負けてばかりじゃ どうしても手を出すことは出来なくなってしまうさ。
ためしに片目だけでボール遊びをしてごらん。遠近感がつかめないということがどんなに不自由かってことが良く解ると思うよ。
物欲しげな眼差しでゲームを一心不乱に見つめていたじいじの前にその時突然優しい目つきをした知らないお兄さんが現れてね、親しげに笑顔で声をかけてきたんだよ。年から言うと高校生くらいだけど姿恰好からは高校生には見えないから多分中学を卒業してから働いている人かもしれないな。
その人は二番目の兄の名前を出してきて「君は俊ちゃんの弟だろ」というので頷くと今度は「俊ちゃんって勉強は出来るし喧嘩にも強いしスポーツは万能だし、すごい兄さんだよね」と兄のことをさかんに褒めそやしたのさ。日ごろ自慢に思っていた兄のことをおだてあげられて、いい気分になったじいじは相手をすっかり兄の知り合いだと信じ込んでしまったのさ。
そして、いつの間にか笑みを絶やさない巧みな話術にすっかり乗せられていたんだよ。「なぜゲームをしないの」と尋ねられたので事情を話すと同情のこもった眼差しでじいじの寄り目がちの両眼をじっと見て頻りに頷いて「かわいそうに」とつぶやいたんだ。
その同情のこもった言葉はとっても嬉しかったんだ。
それから話を今度は自分自身のことに移すとビー玉遊びが大好きで得意だから勝負にはめっぽう強く滅多に負けたことがないのでいろいろな種類のきれいなビー玉を沢山持っているんだと、さかんに自慢したんだ。
「いいなあ」とこちらがしきりに羨ましがると「今ここには少ししか手持ちがないけど家にはいっぱいあるから呉れてやってもいいよ」と相変らず笑顔で答えてくれたんだ。
思ってもみなかった言葉だったので一気に嬉しさがこみ上げてきてね、なんてこの人はいい人なんだろうと心底思いこんでしまったんだよ。
「自分の家はちょっと遠いけど一緒に行くかい」と誘ってくれたので、こちらが笑みを満面にたたえて強く頷き返すと先にたって歩き出したんだ。道すがらこちらの興味を引く話で気を引きながら歩を進めていくと十五分ほどで着いた場所は嘗て通っていた幼稚園の近くだったんだ。日が大分傾きかけた時分でね、人気の無い裏通りでその人は「家はすぐそこだけど家族に知られたくないのでここで一寸待ってくれるかい」といってから「なるべく沢山ビー玉を持ってきたいので何かいい入れ物があればいいなあ」といいながらじいじの着ているセーターに目をとめて 「丁度いい入れ物になるなあ」と一人合点しながら脱いで貸してくれるように言い含めてきたんだ。こちらはビー玉が沢山欲しい一心だから無言で、すぐにセーターを脱いで相手に手渡したんだ。
「ちょっと寒いかもしれないけどすぐ戻るから」との言葉を残してその人は足早に去っていったんだよ。
ポツンと一人ぼっちで立ち尽くして待っているうちに時間はどんどん過ぎていってね、もう日は西の空に落ちかけていたんだ。木枯らしが時折吹いて落ち葉が舞っていたなあ。
まだ明るいものの冷気が身にこたえるようになってくると心細い気持ちが急にこみ上げてきたんだ。 相手が去っていった方向に目を凝らしながらじっと待っていたけど一向に姿を現さないんだよ。何かあったのだろうかと小さな頭でいろいろ思いをめぐらせてみたけどどうにもならなくてね。
次第に暗さが忍び寄ってくるにしたがって冷気は一層肌身を刺すようになってきて身体全体が小刻みに震えるほどになると情けなくなって泣きたいような気持ちに襲われてね。
家に帰りたい気持ちが募ってきても無断でその場を去るのは相手の好意を裏切ることになるように思えてね。そこで帰るべきかどうか心の中で葛藤を繰り返していたんだ。
やがて周りがすっかり闇の帳に包まれるともう我慢できなくなってね、ようやく家路に着く決心をしたのさ。それでも帰り途、何度も「もしかして今頃戻ってきているのでは」という思いに駆られながら後ろ髪を引かれるような思いで重い足を運んだんだよ。
真っ暗になってから情けない姿で帰宅したじいじは、どやされることを覚悟しながらそっと家の戸口を跨いだんだ。帰りが遅いので心配して待っていた母さんは薄着の息子の姿を見るなりびっくりして「何があったの」と意気込んで問い質してきたんだ。事情を話すと母さんは呆れ顔で「その人はいい人ではなくて悪い人で、お前は騙されたんだよ。この子ったら本当にお人よしなんだから」と怒りを込めた声で言うのさ。
なに、「じいじも子供だった時があったのか」だって そりゃ当たり前だよ。生まれた時からずーっとじいじのままということはないよ。
赤ちゃんの時もあったし、幼稚園、小学生の時もあったさ。
人は皆生まれてから死ぬまでのあいだ時間とともに年をとって変わっていくんだよ。だから、いやでもお前たちも何時かはじいじ、ばあばになる時がくるんだよ。
さてとそろそろ肝心の話に入るとするかな
あれは確か小学二年の時のことだったな。
当時、日本はアメリカとの戦争に負けて間もない頃で物もお金もない本当に貧しい時代だったんだよ。
じいじの家は六人の子沢山でね 上には二人の兄がいて下には弟と二人の妹がいたんだよ。
父さん、母さんの苦労は子供を養い育てるだけでも並大抵ではなかったと思うね。
だから子供たちの衣服だって粗末なものが当たり前だったし、じいじなんかは何時も兄のお下がりばっかりでツギハギしたものを身に着けているのも決して珍しいことではなかったんだよ。
ところが どういう訳か その時は新調のセーターを着ていたんだ。母さんの手編みで緑の地に黒と茶の縞が織り込んであってね。 ふかふかしてとても暖かかったのを憶えているよ。特に他人に見せびらかすことはなかったけど当時としては目立ったと思うんだ。自分も得意満面だったかもしれないしね。
ちょうど木枯らしが吹き始めるころだったなあ。
その頃子供たちの間ではビー玉遊びが大流行していたんだよ。ビー玉遊びって知っているかい。ビー玉は知っているよね。ガラスで出来た小さな球で単色や多色のもの、中にきれいな模様の入ったものとか、大きい玉、小さい玉といろいろな種類があってね 妖しく光り輝くさまは子供にとっては、まるで宝石のようでね、とても魅力のあるものだったんだよ。これをいろんな種類で沢山持っているのが仲間のあいだでは自慢の種になるものだから皆、躍起になって集めていたもんさ。
「ビー玉遊び」っていうのは簡単に言えば決められたルールに従って自分の玉で相手の玉を弾き飛ばしたりして勝敗を競うゲームのことなんだよ。勝てば相手の玉を奪えるけど負ければ自分の玉を取られてしまうというゲームさ。
この日も道端の陽だまりの中で子供たちはビー玉遊びに夢中になっていたんだ。
じいじはね、その時ゲームには入らないで皆から少し離れた所から仲間の動きを熱心に目で追っていたんだ。そりゃビー玉は人一倍欲しかったしゲームで勝って沢山のビー玉を手にいれたかったけど実はね、じいじは生まれつき右の目が見えなくてね 遠近感がつかめないものだからビー玉遊びは大の苦手だったんだよ。 やっても何時も負けてばかりじゃ どうしても手を出すことは出来なくなってしまうさ。
ためしに片目だけでボール遊びをしてごらん。遠近感がつかめないということがどんなに不自由かってことが良く解ると思うよ。
物欲しげな眼差しでゲームを一心不乱に見つめていたじいじの前にその時突然優しい目つきをした知らないお兄さんが現れてね、親しげに笑顔で声をかけてきたんだよ。年から言うと高校生くらいだけど姿恰好からは高校生には見えないから多分中学を卒業してから働いている人かもしれないな。
その人は二番目の兄の名前を出してきて「君は俊ちゃんの弟だろ」というので頷くと今度は「俊ちゃんって勉強は出来るし喧嘩にも強いしスポーツは万能だし、すごい兄さんだよね」と兄のことをさかんに褒めそやしたのさ。日ごろ自慢に思っていた兄のことをおだてあげられて、いい気分になったじいじは相手をすっかり兄の知り合いだと信じ込んでしまったのさ。
そして、いつの間にか笑みを絶やさない巧みな話術にすっかり乗せられていたんだよ。「なぜゲームをしないの」と尋ねられたので事情を話すと同情のこもった眼差しでじいじの寄り目がちの両眼をじっと見て頻りに頷いて「かわいそうに」とつぶやいたんだ。
その同情のこもった言葉はとっても嬉しかったんだ。
それから話を今度は自分自身のことに移すとビー玉遊びが大好きで得意だから勝負にはめっぽう強く滅多に負けたことがないのでいろいろな種類のきれいなビー玉を沢山持っているんだと、さかんに自慢したんだ。
「いいなあ」とこちらがしきりに羨ましがると「今ここには少ししか手持ちがないけど家にはいっぱいあるから呉れてやってもいいよ」と相変らず笑顔で答えてくれたんだ。
思ってもみなかった言葉だったので一気に嬉しさがこみ上げてきてね、なんてこの人はいい人なんだろうと心底思いこんでしまったんだよ。
「自分の家はちょっと遠いけど一緒に行くかい」と誘ってくれたので、こちらが笑みを満面にたたえて強く頷き返すと先にたって歩き出したんだ。道すがらこちらの興味を引く話で気を引きながら歩を進めていくと十五分ほどで着いた場所は嘗て通っていた幼稚園の近くだったんだ。日が大分傾きかけた時分でね、人気の無い裏通りでその人は「家はすぐそこだけど家族に知られたくないのでここで一寸待ってくれるかい」といってから「なるべく沢山ビー玉を持ってきたいので何かいい入れ物があればいいなあ」といいながらじいじの着ているセーターに目をとめて 「丁度いい入れ物になるなあ」と一人合点しながら脱いで貸してくれるように言い含めてきたんだ。こちらはビー玉が沢山欲しい一心だから無言で、すぐにセーターを脱いで相手に手渡したんだ。
「ちょっと寒いかもしれないけどすぐ戻るから」との言葉を残してその人は足早に去っていったんだよ。
ポツンと一人ぼっちで立ち尽くして待っているうちに時間はどんどん過ぎていってね、もう日は西の空に落ちかけていたんだ。木枯らしが時折吹いて落ち葉が舞っていたなあ。
まだ明るいものの冷気が身にこたえるようになってくると心細い気持ちが急にこみ上げてきたんだ。 相手が去っていった方向に目を凝らしながらじっと待っていたけど一向に姿を現さないんだよ。何かあったのだろうかと小さな頭でいろいろ思いをめぐらせてみたけどどうにもならなくてね。
次第に暗さが忍び寄ってくるにしたがって冷気は一層肌身を刺すようになってきて身体全体が小刻みに震えるほどになると情けなくなって泣きたいような気持ちに襲われてね。
家に帰りたい気持ちが募ってきても無断でその場を去るのは相手の好意を裏切ることになるように思えてね。そこで帰るべきかどうか心の中で葛藤を繰り返していたんだ。
やがて周りがすっかり闇の帳に包まれるともう我慢できなくなってね、ようやく家路に着く決心をしたのさ。それでも帰り途、何度も「もしかして今頃戻ってきているのでは」という思いに駆られながら後ろ髪を引かれるような思いで重い足を運んだんだよ。
真っ暗になってから情けない姿で帰宅したじいじは、どやされることを覚悟しながらそっと家の戸口を跨いだんだ。帰りが遅いので心配して待っていた母さんは薄着の息子の姿を見るなりびっくりして「何があったの」と意気込んで問い質してきたんだ。事情を話すと母さんは呆れ顔で「その人はいい人ではなくて悪い人で、お前は騙されたんだよ。この子ったら本当にお人よしなんだから」と怒りを込めた声で言うのさ。
作品名:じいじの昔語り「ビー玉とセーター」 作家名:kankan