看護師の不思議な体験談 其の十
『あー、きれいな満月』
そう思いながらバイクを走らせる。
夜勤前にはいつもカレンダーをチェックする。予定をチェックするのは勿論、それよりもチェックしなければならないのは、月の満ち欠け。
カレンダーには満月のマーク。ベランダに出て外を見ると、確かに満月。
気を引き締めて深夜勤務に向かった。
病院に到着するが駐輪場は真っ暗。病棟のあるあたりを見上げると、陣痛室がある部屋に電気がついているのが見える。
「やっぱ、今日は忙しそうだわ」
バイクから降りた途端、足元を何かが通り過ぎた。
「うおっ。」
真っ暗な駐輪場で、真っ黒いものが動いている。
ドキドキしながら目を凝らすと、黒猫。
「びびったぁー。」
本当にビビりなんで。驚かされるのとか、本気で苦手。
暗闇で黄色に光る瞳。最近、うちの病院に住み着いている黒猫だ。
こちらの様子をじっと伺っている。
病院側は衛生上の問題や感染面の問題を考慮し、何度も敷地内から追い出そうとしているのだが、何度追い払ってもいつの間にか戻って来る。入院患者様が、食べ物をあげているのをよく見かける。
病院側の気持ちもよく分かるが、猫との触れ合いが患者様の楽しみになっているようなので、いつもその光景を見なかったことにしていた。
野良猫の割には人間に慣れてて、でも愛想はよくない黒猫。我が物顔でいつも裏口に寝転んでいる。
患者様からエサだけもらったら、いつもさっさといなくなってしまう。
無愛想なのに、なぜか患者様からは可愛がられている。
『ニャー』
か細い泣き声。あんまり泣き声を聞いたことがなかったから珍しかった。
「声、出るんだね。」
『ニャー』
(返事したのかな。)
私はとりあえず裏口から入ろうと扉に手を伸ばすと、黒猫が私の後を追いかけてきた。
扉を爪でガリガリ削っている。
「あんたは入れんのよ」
そう言い、中へ入った。しばらくガリガリと削る音が聞こえた。
作品名:看護師の不思議な体験談 其の十 作家名:柊 恵二