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ラジオでは、日本有利と伝えていた。今となっては、国民にさえ虚勢を張らなくてはならないほど、不利だったということだ。

それは夏のことだった。桜はもうたくさんの葉をつけている。ヒロシマで原子爆弾というものが落とされたらしい。隣の県である。そう、桜さんが行ってしまった、あの県である。

それに気づいた時には、もう、戦争は我が国の惨敗に終わっていた―――。

日本はアメリカの持ち物となり、僕の町にも米軍の兵士たちがやってきた。
僕らは唖然とした。アメリカ人は大きくて、そして何より、笑いながら話しかけてくるのだった。こんな奴らと戦っていたのかと思った。大体、今まで戦争していた国の人たちとこんなに容易く親睦を深められるとは、全く考えられなかった。

秋が次第に深まっていき、雪が降り、そしてまた、春がやってくる。
僕はほとんど、桜さんのことを忘れてしまっていたように思う。言い訳をさせてもらえるのなら、この時、疎開先からたくさんの子供が帰ってきたのである。その中にはちらほらいない子もたくさんいた。親のいない子もいたし、見知らぬ子供も混じっていた。
彼女はそれでも帰って来なかった。

僕は勝手に彼女が今でも被災地の手伝いなんかをせっせせっせとやっているもんだと思っていた。彼女は世話好きだったからだ。思い込んだ。日常はそれを思い出す暇さえ与えてはくれなかったのだと今は思っている。

―――日本が敗れてから一年八カ月ほど経った。春だった。
なぜか、ふと桜さんのことを思いだした。まあまあ落ち着いてきたころである。隣は別の人が住んでいるわけでもなく、ひっそり閑としていた。手紙も溜まっていた。もしかしたら、桜さんはこの家を売り払っていないのかもしれない。僕は、ちょっと期待した。桜さんは帰ってくると。
なぜ今になって桜さんのことなんかを思い出しているのかはよく分からなかった。

近所のおばさんがこの家に引っ越したい人がいると言って、桜さんが今でも住んでいるのかと聞かれた。勝手ながら桜さん宅―――と僕は信じている。売り払ってはいない―――の手紙を拝借した。もう十年も来ていないのだと言い聞かせた。そのくせ、少し興味があったという事実は否定できない。

家に帰って、その一つ一つの消印を見ると、それは十年も前にさかのぼった。あの日からだ。それは桜さんと同じ名字の方―――たぶん母親だろう。達筆である―――からのものや、女のものであるだろう手紙、差出人が分らない手紙・・・とその数50通は超えていた。
そして一番新しい消印は葉書のものだった。弟と名乗るものだった。そこには、連絡が途絶えているが、今どこにいる・・・というものだった。母も心配してると。でもここには桜さんはいない。彼には赤紙は来なかったのだろう。桜さんはこのことを知っているのだろうか。

結局、桜さん宅はそのまま桜さん宅のままであった。

そして、現在に至る。
桜さんは、もう来なかった。あの時の約束は、果たされない。もう桜さんのことを覚えている人はほとんどいないだろう。僕は今更になって、桜さんのことを考えるようになった。彼女は僕のなんだったのだろうか。ただ近所で、年が近くて、引っ越してきただけの彼女を今さらだが、鮮明に思い出せるようになっていた。僕は性懲りもなく今でもずっとあの家に住んでいる。僕はもう結婚してないほうがおかしい年になった。だけれど、結婚するつもりはない。する気が起らない。
辺りはもう薄暗くなっていた。

家に戻ると、何やら手紙が来ていた。知らないところからだった。開くと、新しそうな紙とところどころ焼け落ちた紙―――文字もかろうじで読めるくらいのものだった―――あとは、白い粉末状のものだった。
僕は、もう分かっていた。

桜さんはもう戻って来ないことぐらいもう分かっていた。

それでも期待してたのは、僕の希望だったってことも分かっていた。

僕はどうしようもなく、外に出てみた。
桜は盛りだった。その桜は僕の頬を撫でて、夜の空に消えていった―――。
作品名: 作家名:雛鳥