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桜が咲いた。でも君は来ない。

出会ったのは十一年前。
その時もちょうど、桜の多く咲く、春のいい天気の日だった。
隣に越してきた、桜、という名前の可愛らしい女性だった。沖縄からはるばる来たのだという。桜さんは、僕と同じ年だそうだ。
僕は、教師をしていた。国民学校の三年生を受け持っていた。
そのことを桜さんに話すと、やんちゃな子ばかりでしょう、従兄弟も三年生なものだから、と笑って答えてくれた。
その日から、結構楽しい日々が続いた。うっかり、戦争の最中であることも忘れてしまいそうになった、が、そういう訳にもいかなかった。
とうとう、うちの町にも空襲警報という、日常とはものすごくかけ離れたものと遭遇した。桜さんも、僕も、たまたま家にいた。なってすぐに、家を飛び出すと、桜さんの手を引いて防空壕へと逃げ込んだ。桜さんは、数少ない同年代の人だったから、不謹慎かもしれないが、彼女には居てもらわないと困ると思ったことは、ちゃんと、覚えている。
一年が経った。それから一年が経った。僕の受け持った二年前の小さな子どもたちは、ほとんどが戦争へと駆り立てられた。僕は、教師という職から、出兵せよとの通告は来なかった。実際、戦争というのがどんなものかまでは知るつもりもなかったし、僕の中での「戦争」というのは、子供たちが竹やりで見えない何かを刺したり、また、アメリカの鬼畜軍艦が空襲によって町を破壊したりすることぐらいだった。
桜さんは、なんだか忙しそうだった。聞くと、軍需工場で働いているらしい。会う時間もめっきり少なくなった。
それでも桜は、きれいに咲いた。
忙しくなったと言っても、同い年ということもあって、毎年桜を一緒に見に行った。
桜さんは、薄い色の桜よりも、濃い色の桜のほうが好きですよ、儚げだけど力強くて、と言って、また微笑んだ。
この町の桜は、濃い色の桜が多い。もしかしたら、桜さんはそのために来たのかもしれないと思った。それは、勘でしかないのだけれど。
戦争も佳境となってきたらしい。僕も、教師の傍ら、工場で働かせられたり、銃の使い方などを生徒に講習したりするようになっていた。残念ながら、この頃、桜さんはほとんど家に居ないようで、空襲警報が鳴っても、外に出てきたりなどしなかった。ただ、朝あった新聞がなくなっているから、きっと、昼には戻ってきているのだろう。彼女も忙しいのだ。僕なんかにかまっている暇などない。
それから、また、一年が経った。桜さんと会ってから四年目のある日、たまたま――そうあれはたまたまなのだ。決してどちらかが待っていたという訳ではない――桜さんと家の前でばったり会った。
お久しぶりですね、お元気そうでよかった、彼女はそういって、少しやつれた顔で笑った。それから、少しの沈黙が流れた。それは本当に長く感じられた。僕が口を開きかけた時、桜さんは、うちで休んでいきませんか、と言った。
桜さんの家には、それまで一回も入ったことがなかった。それは相当不思議なことだったけれど、そんなことは考えられなかった。なんていったって、半年くらいは顔を合わせていないのだから、当然である。
桜さんと僕は、卓袱台を挟んで、座った。いたって普通の家だった。茶菓子も出せなくてすみません、と桜さんは申し訳なさそうに言った。また、暫く沈黙が流れた。どんどん、お茶が冷めていくのが分かった。外は妙に静かだった。
桜さんは、俯いていた。どのくらい経ったのか、桜さんは、口を開いて話し出した。

今まで、お世話になりました。始発の列車に乗って、お手伝いをしに、二つほど県を越えたところに行くことになりました。

多分、そのあとも、桜さんは、話し続けていたのだろうけれど、僕は、それしか覚えていない。まるで、大事なものを失ってしまったかのように、家で言うのなら、中心の大きな柱のようなものが、消えてなくなってしまったかのようだった。また、僕は、桜さんと、僕との間に、決定的な壁――距離だけではないだろう、もっと緊迫としたものだ――ができたことを感じていた。
家に帰ってきたのだろう。もう、辺りは暗くなっていた。月明かりだけに、照らされていた。その日、空襲警報は鳴らなかった。恐ろしく静かだった。

そして、その翌日。起きると、まだ午前二時であった。始発は、三時である。気がつけば、もんぺに着替えていた。
家を飛び出すと、走ってもおよそ小一時間かかると思われる、電停へと向かった。
そこへは、山を越えていかなければならないため、ほとんどの人は、前日に、ゆっくりと行くものである。

桜さんは、今、どの辺りだろうか。
日、未だ明けず。

春になったばかりの山道は、ぬかるんでいて、走りにくいことこの上なかった。前が全く見えない。途中の石につまずいた。目の前がにじんだ。ようやく明るくなって、今まで歩いてきた道が果てしなく続いている。目の前の道も果てしなく続いていたけれど。
僕は相当焦っていた。

日が顔を出す。

目の前に希望が見えた。あれこそ、僕がずっと目指していた。
もう電車が待っていた。あれに、桜さんは乗っているのだろうか。もう、何が何だか分からなかったが、体も心も脳も意識もズタズタだったが、それでも、ただ必死に、桜さんを手でつかもうとしていた。全然届きもしないのに。
僕が電停に着いた瞬間か、それはゆっくりとその場を離れようとしていた。天も地ももはや僕の味方などではなかった。

僕は、叫んでいた。

それは桜さんの名であったか、何か伝えたいことであったか、皆目見当もつかなかったが、一人こちらを見た人がいた。
桜さんだったろうか。いや、今となっては、それは僕の希望だったのかもしれない。
でも確かに、機関車の喧騒の中でもはっきりと聞こえた。

また来ます、桜を見にまた来ます。

君は確かにそういってくれたんだと思う。これも、僕の希望だったのか。
今となっては、それこそよくわからないが。

あの時のことは、すぐに日常の中に封殺されていったように思う。

我が国は、かなり劣勢を敷かれていたようだ。銃なんかは皆軍に持って行かれた。
僕の同僚も戦争に駆り出されるようになった。教員不足や空襲の激化によって、休校も多くなった。誰に教わったのか、鬼畜ハ死ネ!と言う生徒が増えた。僕だけ世界に取り残されていった。老人と子供は次第に邪魔者呼ばわりされるようになっていった。
でも、それでも、僕に赤紙が来ることはなかった。僕には本当に何もできないと思った。
桜さんのことは、日が経つにつれて人々の中から消えていった。僕も、桜さんは今何やっているだろうとかはもう、思わなくなっていた。

そして、また月日は流れていく―――。
国民学校の生徒が少しずつだが疎開し始めた。僕は、駅まで見送るのが仕事であった。子供は、何も言わない。きっと分かっているのだろうと思った。
桜さんは帰って来なかった。
僕だけでなく、誰もがやつれていた時期だった。十分な食事もとれない。ずっと前に国家総動員法とかいうものが発布されてしまったから、配給制となってしまい、贅沢は敵と言われるようになった。戦争が、この国の支えとなっているようであった。僕と同じくらいの年の人はほとんど居なくなっていた。軍部がこの国を支配していた。
作品名: 作家名:雛鳥