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ねぎしおじさん
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novelistID. 17760
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サナトリウムの魚

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 尻から絶え間ない痛みを感じるようになったのは、それから十度ほど看護師が部屋にやってきた頃だ。一日に一度、もしくは二度ほど看護師はやってきたが、食事はあまり取る気になれなくなっていた。ずっと血が流れている。ずっとだ。山田の座るベッドのシーツは、山田の黒い血でぐっしょりと湿り、嫌な臭いを放っていた。看護師はそれに気がつくと、むっと眉間にしわを寄せ、マスク越しのくぐもった声でぼそぼそと文句を垂れた。
「いけすかない男ね、本当。尻から血を流すなんて、なんて奇妙なの。もういやだわ。生臭いのも、もうこりごりよ。先生もなにを考えているのかしら。くだらないわ、ああ、くだらない。この男、顔がこんなによくなけりゃ、変な薬でも含ませて今すぐ消してやるところよ……」
 ベッドに座ってうとうととしていた彼には、看護師の愚痴も箒が床を削る音も、なにも聞こえていなかった。ただ、彼は頭痛の嵐の合間に、ざー、ざーという海鳴りの音を聞きながら、こっくりこっくりと船を漕いでいた。このころにはもう、何処が痛くてもどんな場所でも、眠れるようになっていた。
 山田は新しい暇つぶしを見つけた。あの水槽だ。優雅に泳ぐ魚を眺めるのは非常につまらないが、彼らが餌に飛びつく様を見るのは実に愉快だった。だから、彼は朝と晩の二回だけの餌やりを楽しみに、時計の針とにらめっこをして過ごすようになった。そんな様子を看護師は医師に報告したらしい。最近、頻繁に医師は山田を診るようになった。医師は異様に血走った眼差しで山田を見る。その瞳を、山田は嘲った。こいつぁ、堕ちた人肉だ。肉塊だ。あの水槽のあの醜い蝦蛄よりも、低能で、愚鈍で、腐っている。山田は愉快でしょうがなかった。医師のことは嫌いではなかったが、殊更好きでもなかった。最近は、特にどうでもよかった。
「君は実に不愉快な魚人だ、山田くん。池原くんの肉も大概気味悪かったが、君のその尻臀は本当に本当に不愉快だ。すり潰して食ってしまいたい。喰いちぎって、腹の足しにしてしまいたい……」
 医師は指先の堅くなった皮膚を山田の腕に食いこませながら、涎を垂らさんばかりの形相でそう言った。山田はこの男が、はやく土に埋められ、骨の一本も残さぬまでに溶けてしまえばいい、と思った。尻からはとめどなく、血が流れていた。少し離れた病室から、誰かの呻きに似た断末魔が聞こえてくるようだった。

 山田の心臓が止まりそうになった時、聞いた音はこうだった。意味はほとんど分からなかった。誰かの声のようだった。
「奥さんが死んだよ、山田くん。これで君は、ずっとひとりぼっちになる。それが望みだったろう? 僕が叶えてやった。どうだ、嬉しかろう」
 それが誰の声だったのか、眠くてしょうがなかった山田には判断出来なかった。しかし、愉快だなぁと思った。口角が人知れず上がるのを感じながら、山田は深い眠りについた。
 肉を叩き割る音が、遠く聞こえた。


end.