もし君に、詩が必要なら
「変わらないものはあるのでしょうか、だってよ。笑っちまうぜ」
と言って、テスは読んでいた手紙を封筒に戻すと、ばれない様に綺麗に封をしなおした。横で一部始終を見て見ぬ振りしていた茶羽根は、何て恐ろしいことをするんだ、と飽きれている。
配達途中で封を開けて手紙を読んでいたことがばれたら、町の追放は間違いないのだ。
「なに、びくびくしてんだよぉ」と、テスは雪が目に入らないように不恰好なくらい大きなゴーグルをかけると、茶羽根の足を軽く蹴った。
「信じられないね、あんた本当に一流の届け屋かよ!」と茶羽根は言う。雪の中を突っ切る、命を賭けた長い旅の出発の直前だと言うのに、少しも動じていないテスが羨ましかった。
「そうさ、おれはプロの届け屋だよ」
と言ってテスはガレージの扉を開けた。その瞬間、勢いよく入り込んできた吹雪が光を増幅して、テスの美しい銀の髪と、ゴーグルの奥から覗く、ツバメのように自由な輝きの瞳の色を一気に撹乱して、ガレージ全体が銀色に染まった。
茶羽根は一瞬、なんて綺麗なんだ、と、これからの長い旅を雪の香りの中に感じて、息を呑む。
もう、戻れないのだ。
☆
七色の雪が降り始めると、町と町を結ぶ交通機関はすべて機能を停止してしまう。というか、誰も一歩も家の外には出られない。
この世界に降る雪は、吸い込んだ光をプリズムのように拡散してしまうから、遠近感や色彩、質感がまるっきりのでたらめになってしまうのだ。雪の降る日に外にでてしまったら、自分のつま先だって、まともに見つけられない。自分の伸ばした指先が200メートル先にあるように見えたり、真っ黄色に染まっていたりして見えてしまう。その見え方だって、数秒もすればまた移り変わってしまう。雪の中では、視界が全く当てにならないのだ。
三原色が滅茶苦茶に暴れまくって、世界はまるで虹の津波に飲み込まれたみたいに色鮮やかに、けれど、とても静かになる。
人々は寒くなるまでに、家の中に乾物や穀物や燃料を溜め込まなくてはならない。この世界に住む人々は暖かい季節のほとんどを、その作業に費やす。寒い季節、町の住人の何割かは冬眠に入る。時代の移り変わりで体質が変わり、半数以上の人間はそれができなくなっている。暖かい間、人々の間で争いやいがみ合いは、ほとんど起きない。そんなことしている暇が、無いせいもある。暖かい季節は短く、しておくべき作業は山ほどある。難しいことは雪が降って、することが無くなってから、ゆっくり考えればいい。
そして、もう一つ理由がある。この世界は雪の季節に備えて、全ての家が別の家と、屋根と壁のある通路で繋がっているのだ。
家と家は網の目のようにその廊下を挟んでできている。つまり、この町の全ての人々は、同じ屋根の下に住んでいることになる。雪の季節、人と人の連絡を途絶えさせない為の文化なのだ。だから隣人と喧嘩しようものなら、すぐに誰かが聞きつけて、わらわら人が集まってくる。この世界では、争いも恋も大勢を巻き込んで行われ、ひどくにぎやかなのだ。逆に言えば、何かを秘密にしておくのが、とても難しい。
町は上空から見下ろすと、まるで雪の結晶みたいに人々の営みを共有して外へ外へと広がっていて、町の中心には巨大な教会が、力強く町を結び付けている。そこは公園でもあり、ショッピングモールでもあり、暖かい町の核になっている。
その町では、人々は繋がりあい、暖めあい、共有しあう。そうしないことには生きていけない、厳しい自然に抱かれた世界なのだ。
だから、テスみたいに天邪鬼な性格だと、ここは地獄以外の何ものでもない町、ということになる。
テスにとって、この町は昔からとても息苦しかった。雪が降る季節になって、学校や、商店街や、町の果てまで続く長い廊下以外の場所へ行けなくなるたびに、テスはへどがでるくらい、むかむかした。一度なんて、この辺りは自分以外には誰も通ってないから、と言って、勝手に廊下の壁を壊して雪を入れてしまい、修復に2週間もかかる事件を起こした。テスの開けた穴はそれほど大きくなかったのだが、雪の見せる幻覚で、作業がとても難航したのだ。
その時の作業で、幻覚に気づかなかった修理工同士がお互いに釘を打ち合う事故を起こしてしまい、(彼らは怪我をしてから、50メートル先の雪がとどかない場所まで救出されるのに、六人がかりで半日もかかってしまった。)結果的にテスは当時通っていた大学を、退学処分になってしまった。
「穴をあけたのはおれだ、でも怪我したのはマヌケな工夫のせいで、おれは悪くなんかない!」とテスは全力で抗議したのだが、前代未聞の事件のせいで町は、テスが退学しないことには収まりがつかなかった。
そもそも、町の法律で「雪の日に壁に穴をあけてはいけない」というものは存在しなかった。誰もそんなおかしなことをするとは、考えもしなかったからだ。自然劣化を別にして、壁から雪が入り込む理由なんて、町の人の想像の外だった。まさか、内側から壁を壊そうとする奴が出てくるなんて。法律で決まってるわけじゃないからやっても罪にならない、というのがテスの言い分だったけれど、怪我人が出てしまったために、町はテスを罰する為に急遽、議会で「冬の日にわざと壁に穴を開けてはいけない。それを行ったら、法律施行以前の罪でも罰する」という法律をわずか二時間で全員一致で通したために、テスの退学が決まってしまった。
「なんのための議会なんだ!ファシズムじゃないか!」とテスは暴れまわったが、どうにもならなかった。
この世界では、最も重い刑に、町の追放がある。共同体を追われ厳しい自然の中に放り出されることは、死刑を意味している。そして、その次に重い刑が、「役職を取り上げられること」なのだ。人と人が結びつきあうこの町で、役職や仕事を取り上げられるのは、名前が無いのも同然だった。つまりテスの処分は、それくらい重いものだったのだ。テスはそれまで色んな悪さをしてきたけれど、ついにここまで追い詰められることになってしまった。
テスはさんざんに荒れて暴れた後に、絶対にこの町に負けたりするもんか、と思い直して、この世界で一番さげすまれた職業である、魔法使いになることに決めた。
「魔法とは、本当の自由そのものである」という格言の通り、テスにはその才能があった。テスはそれからの5年間で、世界でも指折りの魔法使いになった。そしてテスは、届け屋という世界でもっとも誇り高い仕事を始めることになる。
☆
茶羽根は吹雪の中で何度も、目を閉じたり、開けたりする。2メートル先にいるはずの、自分とロープで繋がれているテスが、雪の
せいで近づいたり離れたり、空の上にいたり、40人くらいに増えて一人一人が色鉛筆みたいにグラデーションで色が違っていたりと、瞬間瞬間、全く違ったように見える。遠くの森がすごい勢いでまっすぐ吹っ飛んできているようにみえたり、振り返ると、もうだいぶ離れていたはずの町が、自分から二・三歩の距離にあるように見えたりする。
と言って、テスは読んでいた手紙を封筒に戻すと、ばれない様に綺麗に封をしなおした。横で一部始終を見て見ぬ振りしていた茶羽根は、何て恐ろしいことをするんだ、と飽きれている。
配達途中で封を開けて手紙を読んでいたことがばれたら、町の追放は間違いないのだ。
「なに、びくびくしてんだよぉ」と、テスは雪が目に入らないように不恰好なくらい大きなゴーグルをかけると、茶羽根の足を軽く蹴った。
「信じられないね、あんた本当に一流の届け屋かよ!」と茶羽根は言う。雪の中を突っ切る、命を賭けた長い旅の出発の直前だと言うのに、少しも動じていないテスが羨ましかった。
「そうさ、おれはプロの届け屋だよ」
と言ってテスはガレージの扉を開けた。その瞬間、勢いよく入り込んできた吹雪が光を増幅して、テスの美しい銀の髪と、ゴーグルの奥から覗く、ツバメのように自由な輝きの瞳の色を一気に撹乱して、ガレージ全体が銀色に染まった。
茶羽根は一瞬、なんて綺麗なんだ、と、これからの長い旅を雪の香りの中に感じて、息を呑む。
もう、戻れないのだ。
☆
七色の雪が降り始めると、町と町を結ぶ交通機関はすべて機能を停止してしまう。というか、誰も一歩も家の外には出られない。
この世界に降る雪は、吸い込んだ光をプリズムのように拡散してしまうから、遠近感や色彩、質感がまるっきりのでたらめになってしまうのだ。雪の降る日に外にでてしまったら、自分のつま先だって、まともに見つけられない。自分の伸ばした指先が200メートル先にあるように見えたり、真っ黄色に染まっていたりして見えてしまう。その見え方だって、数秒もすればまた移り変わってしまう。雪の中では、視界が全く当てにならないのだ。
三原色が滅茶苦茶に暴れまくって、世界はまるで虹の津波に飲み込まれたみたいに色鮮やかに、けれど、とても静かになる。
人々は寒くなるまでに、家の中に乾物や穀物や燃料を溜め込まなくてはならない。この世界に住む人々は暖かい季節のほとんどを、その作業に費やす。寒い季節、町の住人の何割かは冬眠に入る。時代の移り変わりで体質が変わり、半数以上の人間はそれができなくなっている。暖かい間、人々の間で争いやいがみ合いは、ほとんど起きない。そんなことしている暇が、無いせいもある。暖かい季節は短く、しておくべき作業は山ほどある。難しいことは雪が降って、することが無くなってから、ゆっくり考えればいい。
そして、もう一つ理由がある。この世界は雪の季節に備えて、全ての家が別の家と、屋根と壁のある通路で繋がっているのだ。
家と家は網の目のようにその廊下を挟んでできている。つまり、この町の全ての人々は、同じ屋根の下に住んでいることになる。雪の季節、人と人の連絡を途絶えさせない為の文化なのだ。だから隣人と喧嘩しようものなら、すぐに誰かが聞きつけて、わらわら人が集まってくる。この世界では、争いも恋も大勢を巻き込んで行われ、ひどくにぎやかなのだ。逆に言えば、何かを秘密にしておくのが、とても難しい。
町は上空から見下ろすと、まるで雪の結晶みたいに人々の営みを共有して外へ外へと広がっていて、町の中心には巨大な教会が、力強く町を結び付けている。そこは公園でもあり、ショッピングモールでもあり、暖かい町の核になっている。
その町では、人々は繋がりあい、暖めあい、共有しあう。そうしないことには生きていけない、厳しい自然に抱かれた世界なのだ。
だから、テスみたいに天邪鬼な性格だと、ここは地獄以外の何ものでもない町、ということになる。
テスにとって、この町は昔からとても息苦しかった。雪が降る季節になって、学校や、商店街や、町の果てまで続く長い廊下以外の場所へ行けなくなるたびに、テスはへどがでるくらい、むかむかした。一度なんて、この辺りは自分以外には誰も通ってないから、と言って、勝手に廊下の壁を壊して雪を入れてしまい、修復に2週間もかかる事件を起こした。テスの開けた穴はそれほど大きくなかったのだが、雪の見せる幻覚で、作業がとても難航したのだ。
その時の作業で、幻覚に気づかなかった修理工同士がお互いに釘を打ち合う事故を起こしてしまい、(彼らは怪我をしてから、50メートル先の雪がとどかない場所まで救出されるのに、六人がかりで半日もかかってしまった。)結果的にテスは当時通っていた大学を、退学処分になってしまった。
「穴をあけたのはおれだ、でも怪我したのはマヌケな工夫のせいで、おれは悪くなんかない!」とテスは全力で抗議したのだが、前代未聞の事件のせいで町は、テスが退学しないことには収まりがつかなかった。
そもそも、町の法律で「雪の日に壁に穴をあけてはいけない」というものは存在しなかった。誰もそんなおかしなことをするとは、考えもしなかったからだ。自然劣化を別にして、壁から雪が入り込む理由なんて、町の人の想像の外だった。まさか、内側から壁を壊そうとする奴が出てくるなんて。法律で決まってるわけじゃないからやっても罪にならない、というのがテスの言い分だったけれど、怪我人が出てしまったために、町はテスを罰する為に急遽、議会で「冬の日にわざと壁に穴を開けてはいけない。それを行ったら、法律施行以前の罪でも罰する」という法律をわずか二時間で全員一致で通したために、テスの退学が決まってしまった。
「なんのための議会なんだ!ファシズムじゃないか!」とテスは暴れまわったが、どうにもならなかった。
この世界では、最も重い刑に、町の追放がある。共同体を追われ厳しい自然の中に放り出されることは、死刑を意味している。そして、その次に重い刑が、「役職を取り上げられること」なのだ。人と人が結びつきあうこの町で、役職や仕事を取り上げられるのは、名前が無いのも同然だった。つまりテスの処分は、それくらい重いものだったのだ。テスはそれまで色んな悪さをしてきたけれど、ついにここまで追い詰められることになってしまった。
テスはさんざんに荒れて暴れた後に、絶対にこの町に負けたりするもんか、と思い直して、この世界で一番さげすまれた職業である、魔法使いになることに決めた。
「魔法とは、本当の自由そのものである」という格言の通り、テスにはその才能があった。テスはそれからの5年間で、世界でも指折りの魔法使いになった。そしてテスは、届け屋という世界でもっとも誇り高い仕事を始めることになる。
☆
茶羽根は吹雪の中で何度も、目を閉じたり、開けたりする。2メートル先にいるはずの、自分とロープで繋がれているテスが、雪の
せいで近づいたり離れたり、空の上にいたり、40人くらいに増えて一人一人が色鉛筆みたいにグラデーションで色が違っていたりと、瞬間瞬間、全く違ったように見える。遠くの森がすごい勢いでまっすぐ吹っ飛んできているようにみえたり、振り返ると、もうだいぶ離れていたはずの町が、自分から二・三歩の距離にあるように見えたりする。
作品名:もし君に、詩が必要なら 作家名:追試