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少女に恋した桜の木

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 春、桜の季節。

「多香子も今日から中学生やなぁ」
「うん、ちょっとドキドキする」
「入学祝い、何がいい?」
「キャンバス!めっちゃ大きいの!中学校生活をかけて描くねん」
「多香子はほんまに絵が好きやなぁ」
 まだ若いソメイヨシノのある大きな家の庭で多香子と母は話していた。
 多香子は初めてのセーラー服と一緒に、大人びた美しさを身に纏った。
 セーラー服の紺色と花びらの桜色が合わさって、独特の哀愁を醸し出していた。
 桜の木は彼女にめいっぱい花吹雪を散らし、美しい彼女を更に美しく彩った。
 桜の木は彼女に恋をしていた。

 多香子は大人しい女の子だった。
 学校で付き合うグループはいたが、内気な性格からか、仲間と上手く溶け込む事ができなかった。
「おーい、バカ子、こっちこっち」
「た、多香子だよう」
「まーええやん。うちらとご飯食べよ」
「バカ子の弁当はいつ見ても豪勢やなぁ」
 皆が羨ましそうに多香子の弁当を見る。
「今日は何くれるん?」
 と、グループのリーダー格である佳子(よしこ)が言った。
「えーっと、じゃあ玉子焼き……」
「えぇー!?ケチくせぇの。これ頂戴」
 そう言って佳子は、多香子の弁当から一本しかない大きなエビフライを拾い上げた。
「あっ!」
「なに?たかが弁当の具くらいでケチケチ言うなって。うちらの仲はエビフライ以下かっての(笑)」
 大笑いする一同。多香子も不器用そうに笑う。
 佳子は一口でエビフライを平らげた。
「よっしぃ、あんたまた太るよ」
 他の仲間が茶化した。
「うっせぇ」
 こういった事が日常であった。多香子はグループに入れてもらう代わりに色々な要求を課せられていた。

 多香子は絵を描くのが好きだった。周りにあるものは全て絵にしてしまっているほどだった。友達の居ない多香子には時間がたっぷりあった。
 多香子の中学校生活は端から見るとつまらないものであったし、多香子自身もそれを実感していた。
 本当は多香子は絵を描くだけで無く、友達と遊びたかった。なんでも話せる親友というものが一人だけでもいい、欲しかったのだ。
 だが、多香子はその優しい性格が災いして、相手を怒らせる事を極度に恐れるようになっていた。会話は事務的になる為すぐに途切れてしまい、人と親密な関係になる事ができない。
 人間関係で落ち込んだ時は、絵を描く気力も起こらぬようで、ぼんやりと縁側で桜の木を眺めていた。

 中学も3年になる頃、多香子へのいじめはエスカレートしていた。
 母が毎日休まず作ってくれた弁当の半分以上は、佳子達に取られる。
 多香子がやった宿題のノートはグループで回され、多香子の手元に戻らず、先生に怒られる事もあった。

 それは卒業式も間近の3月の事だった。
 多香子が美術室の掃除当番で、いつもどおり黙々と掃除をしている時、佳子達は暇そうな顔で美術室にやってきた。
「あー退屈やなぁ」
「あ、そうや!バカ子って美術部やんな?どんな絵描いてるん?」
 それまで絵の話題になった事が無かった為、多香子は嬉しかった。初めて自分が認められるかもしれないと思ったのだ。
「これやけど……」
「うお、でけぇ(笑)」
「へぇ……いい絵やな」
「うっわ、めっちゃ描き込んでる」
 佳子達は、多香子が1年の時から描いている完成間近の絵を褒めた。多香子は嬉しかった。
「じゃあさ、この絵とうちらとどっちが大事?」
 佳子が言った。
「え……?」
「え、じゃなくて。どっちが大事?」
「それは……」
「うちらだよね?」
 多香子は絵だと言えなかった。
「うん……もちろん……」
「ふーん」
 佳子はおもむろに掃除で使っていた、水の入ったバケツを絵にぶちまけた。
 多香子の3年間は汚水と共に、一瞬にして流れ去った。
 多香子は我を忘れて怒鳴った。
「何すんねん!」
「うわ、バカ子が怒った(笑)」
「初めて見たわ。バカ子が怒るとこ」
 グループのメンバーは皆笑っていたが、佳子は笑っていなかった。多香子の絵を見た時から一度も。
「うちらの方が大事なんやから別にええやろ?」
「……3年間ずっと描いてきたのに」
「大した絵ちゃうやん。バカ子、絵の才能無いわ。バカ子はうちらの中で一番下なんやから。もう絵ぇ描くんやめぇや」
 佳子が冷徹な表情で捲くし立てる。多香子は搾り出すように口を開いた。
「……い、嫌や」
「は?誰に口聞いとん?」
 佳子は多香子に近づいて左の肩を突き飛ばした。
 多香子は今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「バカ子は一生誰かにこき使われんねん。逃げたかったら今までもそうしたら良かってん。でもお前はできひん。一人になるんが怖いからや。休み時間になっても一人で机に伏せるんが怖いんやろ」
 佳子の言う通り、多香子がグループに居たのはそれが理由だった。
 多香子は孤立を何よりも怖れていた。自分に圧倒的な『無価値』のレッテルを貼り付ける孤立に耐える事が、多香子にはできなかった。
 だが、3年間かけて描いたものを台無しにされた多香子は、震えながらも思っている事を口にした。
「……わ、私グループ抜ける」
「はぁ!?そんなん許される思てんの?」
 佳子は多香子の制服を掴んだ。だが多香子は振り払った。
 そして多香子は、掃除も放り出して泣きながら逃げた。
 佳子と喧嘩をする勇気が多香子には無かった。
 後ろで佳子が怒鳴る。
「お前、明日からどうなるか分かっとるやろうな!」
 容赦のない佳子の言葉に耳をふさぎ、多香子は一目散に家に帰った。
 
 自分の部屋で泣き伏せる多香子。3年間描き続けた絵が台無しになった事に絶望したのだ。
 つまらない中学校生活を過ごし、少しずつ描き続けた絵。
 多香子の3年間に唯一の意義を与えてくれた絵。
 その絵が消えて無くなり、多香子の3年間が本当に『つまらない中学校生活』でしか無くなった事に多香子は泣いた。多香子には生きている意味さえも無くなった。
「佳子のボケ!くそ!」
 多香子は写真を取り出した。グループで撮った唯一の写真。そこでおどける佳子の姿が、多香子には憎くてたまらなかった。
 多香子は父のナイフを取り出して、庭に出た。
 そして写真を桜の木の幹に持っていき、逆手に持ったナイフで思いっきり貫いた。
 貫かれたナイフは幹に刺さり、写真は桜の木に打ちつけられた。
 写真は佳子の顔の真ん中を刺した。佳子の顔が沈んだ。
 多香子はそのまま佳子の滑稽に歪んだ顔を眺めた。
 その後、母に見つかりナイフは抜かれた。多香子はこっぴどく叱られたが、そんな事はどうでも良かった。
 
 もう学校に行く気も無かった。生きている気も。
 
 多香子はその夜、縁側で首を吊って死んだ。15年の短い命であった。
 早咲きだった桜の木は、縁側にぶら下がる彼女にめいっぱい花吹雪を散らした。


――それから時は流れた。
 多香子の家族はその家を離れ、他の家族が住むようになっていた。
 桜の木は枯れる事なく元気に花を咲かせていた。
 
 いじめというのは、どの時代にもあるものである。
 コミュニケーションや表現の手段が発達するほど、問題も複雑になってゆく。
 文明時代でも、いじめ問題は留まることなく広がっていた。
 
作品名:少女に恋した桜の木 作家名:ユリイカ