とざされた海
ミジマの話は、サイクンにはよくわからなかった。
とにかくここは現実だけど現実ではない海で、
上の方の魚も、現実だけど現実ではない、魚だけど魚ではない
なんだか人だとか、かかわりだとか、印象だとか、
ヘンテコな奇妙奇天烈で
普通のサイクンなら笑い飛ばしているところだったが
――大体こいつは ぶらっどべり、とか
くるとるふ、とか らぶくらふと、とか
みやざわけんじとか、
やけにへんてこで、愚にもつかない本を読みすぎだ――
今のサイクンは、サイクンこそが奇妙奇天烈だったので
まぁ、納得した。 意味はわからなかったが。
とにかく、ミジマがいうには
サイクンが話ができるというのが、驚きなんだそうだ。
「たまにここに落ちてくる、
みんな、一度はおちてくる
だけど、みんな、覚えていない
おちてからあがるあいだに忘れていく
覚えていたくないんだろうな」
ミジマはぶんぶかぶかぶかと泡をふき
上の方にいる魚を見上げる
「たのしそうだろう、
あれはな、本当は、たのしそうだと思うだけで
たのしそうではないんだよ
おまえのように
落ちてきたから、すこしして
魚になって
なんとか上にいこうと
ゆっくりゆっくり必死なのだ」
静かな、音もない海のそこに
どこからか金色の光のつぶが、ちらちらと落ちてきて
灰色の砂の下に吸い込まれていった。
サイクンはきれいだなぁ、と思いながら
すこし、さみしい、と思った。
ミジマの煙入りのあぶくは
金の光と交互にゆれて
のぼる光としずむ光と、うつくしかった。
「落ちてきた奴はみな
上をみて、にくみ
上を見て、ねたみ
呪詛を吐く
けれどな、それは錯覚でな
なにもみないで憎み、なにもみないで妬んでいるんだ
けっして、上を見ているわけじゃない
下を見て、したの自分ばかりを見ている」
影さ、と、ミジマはわらった
やっぱりどこか
さみしげだった
上の方の魚が、なにかをはいた
それはきれいだけども冷たいとがったもので、
ふうう、と、落ちてきて
サイクンのあたまにあたった。
あたったところがさくっとわれて
ぱっと冷たい赤いものがひろがった。
血のようだったが、痛みはなかった
ただ、少し苦しくなった。
「あのな、下を見て、
たまに魚はなにかをはくのだけど
下のものは、それがわずらわしいのだな
下から上にあがるものは
どうしても、下にいたときを忘れてしまうから
――忘れたいのだよ――
下をののしりたくなるのだよ
でもな、下にいるものに必要なのは
ゆっくりしたこの海いがいにはないのだから
あのな、なにか下に落としたがる魚は
実はまだ、逃れきれていない、
下にいた深いものが、おそろしくて怖いのだ」
「ミジマの話は愚にもつかない」
「そうか」
ミジマは不思議に、やわっこい笑みを浮かべて
「おまえは話ができるようになったのだな」と
うれしそうだ
「まぁ、聞かないでいい、聞かないでいい
けれどな
闇に落ちる必要もない」
ミジマがサイクンの右後ろを見ながら言う、
サイクンはちょっと怖かったので
ミジマの薄みどりの瞳だけを見ている
「そこでふんばって、
上を見ているようで、足元の影ばかりをみるような馬鹿はやめて
上を見ていればいい」
サイクンが見上げると、ちょうど朝がきたのか
さあ、っと、まっ白い沢山の光が暗闇のそこにまでさして
ミジマのあわぶくが、銀の音のようにきらめいた
上の、あたたかな光のなかで
たくさんの魚の影がゆら、ふな、ゆらやと、
多くの鳴き声をかわしながら
いきかっている
「ああ云う風に、たがいたがい
それでもかかわって居られるのは
この海からみると豊かだな
薫、お前
今は、この海に
――どうしても、自分のほかの生き物と
たがいにかわすのがつらくて
どうしても、ひとりの海に
きてしまったけれど――
それは、いつもある、あたりまえの異常だから
とりあえず、ゆっくりここで
いろいろ見ていけばいい」
「ミジマも落ちたのか」
そういったら、ミジマは笑った
「私は好きで落ちてくるのだ
でも薫、おまえも、みなも、
それはたぶん、忘れてしまうのだけど
必要だから、落ちてくるんだよ」
本当に意味がわからなかったけれど
まぁ、こういうことは当たり前で必要なのだとわかったので
サイクンは棒のようになっていた足をまげて
ミジマの隣に座った
「いつになったら魚になれるか」
「さあ、でも
あせらんことだ」