とざされた海
サイクンは名を「犀川 薫」という
知り合いはみな「サイ」とか「サイクン」と呼ぶ
かおるとそのままの呼び方でよぶ人は1人しかいない
家族はとおに離散して
サイクンは格安のあばら部屋をひとつ借りて住み
アルバイトの賄いを食べながら
わずかばかりの貯金と
散歩を趣味として生きてきた
友と呼べる人も、恋人と呼べる人もいない。
人と縁遠いサイクンがなぜ、
このような海底にいるのか。
上を見てとおる魚の影を数えるのにもあきて
彼はまた考えはじめる。
どう思い返しても、
うらまれた、とか、まきこまれたとか
そんな風にして殺された記憶はひとつもない。
けれど、恐ろしい記憶は恐ろしいほど消えるという
としたら、もしかしたら
僕はもう殺されていて、今は幽霊であって、
幽霊と言うのは意識があるのだなぁ、と
なんだかやけにのんびりしたことを考える。
いつだってそうなのだが、
サイクンは不幸をよく理解していた。
理解しすぎていたのかもしれない
不遇で焦ってもしょうがないのだ。
――かといって、あきらめてもしょうがないのだけど。
いつだって、不幸とか、そういったものに必要なのは
残酷なことだけど、げんじつてきなれいせいなはんだん、で
それはとても残酷だと思う。
どうしようもなくなったら最後は祈るしかないが
いつだって、最悪になってほしくないという
切ない、真摯な願いは通じなかった。
しかしこんなことは生まれて初めてで
まぁ誰だって死ぬ経験は1度きりだからしかたない。
サイクンはどこか腑に落ちないが、考えることにも飽きて
もう一度あたりを見回した。
東京湾あたりかと思ったら、意外と広いような気がする。
――サイクンはテレビとか、映画とか、
そういったものには疎いが、
図書館で借りてきた暇つぶしにうってつけの
長い長い本には「東京湾に殺されてしずめられる」とよく書いてあったので、
しずむんなら東京湾だろうと思ったが――
しかし、サイクンがもつ東京湾のイメージとはまったく違う。
魚やいろいろなものも生きているようで、
どちらかというと暗く澄んでいて
臭いようなものもない。
――もちろん、幽霊にはにおいがわからないのかもしれない――
だとしたら、とても運がいいことに
ようく奇麗な海にでも投げ込まれたのかもしれない。
そう考えていた最中に、となりにトポンと誰かが来た。