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くらたななうみ
くらたななうみ
novelistID. 18113
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一万光年のボイジャー

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第六章 ロスト







「――こんなの、おかしい」

シューはつぶやいた。

「今、『いて座M22』の重力圏を、『フロンティア』は飛行しているんだぞ」

アカシアは、テレビジョンにノイズが入って嫌だと言っていた。
そしてシューの父親は、レーダーにノイズが入る、と嘆いていた。

「どうしてだ、なんで嘘を!!」

目の前のリアルタイムレーダーには、限りなく静寂が広がっている。一定時間毎に表示が一瞬点滅し反応位置が更新されるが、新たに何かが映りこむことは無かった。
画面の中程に密集している点は、『フロンティア』の大艦隊に間違いない。しかしその周りに、異物はチリひとつ見られない。
今外に見えている近い小さな星団も、隕石郡も、磁力風の影響で現れるノイズさえも、画面では無いことにされている。『フロンティア』しか、映っていないのだ。

「こんな大事なこと、皆、何にも、言わなかった」

映っている筈のものが映っていない。
考えらえる二種類の原因の一つ目を確認する為、シューはノイズ緩和の電波発生源をパチパチと全てオフにしていった。ノイズ緩和がとてつもなくうまくいっている可能性も、少なからずある。ああ、まるで祈るようだ。
しかし、レーダーの設定をいくらいじっても予想通り、画面上にフロンティア以外のものは映らなかった。

「二つ目だ」

二つ目の原因。
何かが、『フロンティア』に目隠しをしている。

「なにしてるの、エーミィ」

どうしていいか分からなくてオロオロするばかりのハックルベリーが、突然ガチャガチャと辺りを物色し始めたエーミィに言った。

「いやな予感がする」
「なに探してるの」
「ハックルベリー、貴方も探しなさい、非常用の宇宙服を」
「しっ、二人とも、誰か来る」

床にあるポッドの中から宇宙服を見つけたエーミィの腕を掴み、シューは宇宙服ごとエーミィを機械の陰に引きずった。急いで引きずったから、もう一つあった宇宙服が腕だけ飛び出たままで、持ってくることができなかった。
ハックルベリーが別のポッドから宇宙服を引っ張り出して、同じく機械の陰に滑り込む。それと同時にシュ、と自動扉が開く音がした。

「シュー、これ着て、早く」
「どうして」
「嫌な予感がするのよ、早く着て」

エーミィがシューの頭に先ずヘルメットを被せようとする。シューは抵抗したが、なにせ潜んでいる身、あまりジタバタと騒ぐわけにもいかない。
床の上に押し倒されて、次々と宇宙服を装着させられる。横目で見ると、ハックルベリーは見つかるかもしれない恐怖からか、宇宙服を握りしめてガタガタ震えているのみだ。

「妙だ」

入ってきた人影のうちの一人がコンピュータをいじりながら言ったので、三人は、シューが機械を動かしたことがばれたのだと思った。しかしそれは違うと、次の一言で分かった。

「ノイズも消えています」

ノイズも、消えた。
ということは、ノイズだけは今まで、映っていたのか。

「ハックルベリー、あんたも早く、それ着なさい」

息を潜めているハックルベリーの元へ、エーミィは這うように滑っていった。

「女の子が先だ、俺は、アレを着る」

ハックルベリーは床の上に顔を出している宇宙服を指して食い下がる。

「馬鹿ね、こんな時にレディファーストも何もないわよ」
「着てエーミィ、俺はあれを取りに――」

その時ハックルベリーの台詞を遮って、突然けたたましいブザーが鳴り始めた。点滅するアラートランプが部屋の中を赤く染める。無機的で耳障りな音は、おそらく大艦隊『フロンティア』中にエマージェンシーを知らせている。
こんなタイプの音は、今まで聞いたことが無かった。

「『フライヤー』消えました!!ロストです!!」

誰かが叫んだ。
シューは、あの日攻撃戦艦『ミカエル』に追従し、機体の補修を行っていた控えめなスズ色のボディを思い出していた。

「俺たちの、思ったとおりだった」

『エンジェリック・アイズ』も大人も、全て知っていて、それを子供に隠してる。
ただ誤算だったのは、隠されていた秘密が、隠し事のレベルを遥かに超えていたことだ。

「ハックルベリー!!」

警報ブザーに紛れ、小さな体躯が機械の陰から躍り出て、ポッドから飛び出ていた宇宙服の指の部分を掴む。
機械の陰に残されたエーミィは慌てて宇宙服を身に付け始めた。ヘルメットを付け、胴体部に身体を通し、ボンベや配線をパチンパチンと接続していく。

「ハックルベリー、早くッ!!」
「分かってるってば!!」

全域のエマージェンシーに気を取られ、クルーの誰も、部屋の真ん中で宇宙服を引っ張りだしているハックルベリーに気付きやしない。
シューは宇宙服の所為で身重になってしまった全身を、様々な部位の可動性を確かめる為にもぞもぞと動かしてから、床を蹴って機械の陰から飛び出した。ハックルベリーが服を着る作業を手伝わなければ。
しかしシューが床を蹴った直後、警報ブザーより数倍耳障りな音が背後で鳴り響き、シューの身体がグンと後ろに引っ張られた。それがなんの力か考える前に衝撃でヘルメットに頭をしたたか打ち、痛みと共に眼前にパッ火花が散る。
ヘルメットに血がついている、たった今ぶつけた所為だ。シューは後ろに引っ張られながら辛うじて機材のコードに絡まって止まり、突起を見つけてそれをがっちり掴んだ。背後で何が起こっているのか、振り返って確認する。
そしてシューは、ハックルベリーを連れてきたことを、後悔した。

「ハックルベリー」

シューは彼の名前を呼んだ。
しかしおそらく彼の耳に、その声は届かなかったのだ。
何故なら、彼の周りの空気は一瞬にして真空に置き換わり、音波を伝達する媒介が無くなってしまったからである。
確認した背後にはブラックホールのような奈落の底がぽっかりと口を開いていて、エーミィの言った「嫌な予感」というのが当たっていることを意味していた。
穴が開いていた。『エンジェリック・アイズ』に何らかの外的な力が加えられ、デブリにも巨大隕石にもびくともしないはずの強化シールドガラスが、粉々に砕け散っている。

「ハックルベリー」

シューはもう一度、彼の名前を呼んだ。ハックルベリーを連れてきたことを後悔した。
本当についさっき、連絡船の中でも彼を連れてきたことを後悔したばかりだ、彼が、うるさかったからだ。そんな風に一度後悔して、しかし思い直した。
彼が、エーミィに絶妙なフォローをかまし、雰囲気をリカバリしたからだ。
だが、こうなることがあらかじめ分かっていれば、悲しい話のフォローが無くたって自分はいくらでも我慢した。
床のポッドに足が引っかかって、無重力空間に引きずられずにいたハックルベリーの小さな体躯から、途端に水分が奪われていく。眼や頬、あらゆる場所が窪み、その激しい変貌に身体が痙攣するようにガタガタ震えている。そして極限まで乾燥した肌は自壊を開始し、少しずつ崩れて、割れたガラスの先にある暗い宇宙へ吸い込まれていく。
警報のランプが赤から緑に変化し、艦内の分厚いシャッターがゆっくりと下り始める。

「遅いよ」

遺体はもう、無くなってしまった。
なら、彼の墓標を何処に立てろというのだ。