第九回東山文学賞最終選考会(4)
「なぁに?私別に参考になるような事言ってないわよ。それに、これでさようならみたいなセリフ、止めてよね。まだまだ話たいことあるじゃない?ねぇ、あの頃の話をしましょうよ。」
「待ってる人がいるんで、そろそろ帰ります。」
「だぁめ。」
「いえ、待ってる人がいるんで。」
「もう。」
それからまったく岬さんは動かずに、少しして、
「待ってる人って、恋人?たくも彼女が出来たんだ。どんな人?学生?」
聞いてきたので答えた。
「この大学の学生です。文学部ですから、岬さんの教え子かもしれませんね。」
「そうだんだ。」
自分でもなんで答えているのかよくわからなかった。あるいは、この雰囲気を抜け出すのが困難だったのかもしれない。
でも、岬さんの次の言葉で、それまでのもやもやした気持ち、留まりたいという気持ち、早く外に出たいという気持ち、そういう様々な気持ちが全部一旦吹っ切れてしまった。
「そか、やっぱたくも若い体の方が好きなのかな。」
ほぼ、反射的に俺は立ち上がった。そして、がくん、と落ちるのを堪える恰好になってる岬さんの顔を見下ろす。咄嗟の出来事で驚いたような顔で俺を見上げる岬さんを、俺はその時、睨みつけていたのかもしれない。
「あなたと一緒にしないでください。」
一瞬、岬さんが怯えたように見えた。けれども、それが本当だったのかどうか、自信は無かった。とにかく、そのまま俺は部屋を出た。
出たはずだった。
途中で、岬さんが駆けてきて後ろから抱きついたのだ。その両腕を胴に回してひっつくような抱きつき方は、まるで俺が咲によくするようなやり方だった。
背中にブラウス越しに胸が押し付けられる柔らかい感触を感じる。もしかしてブラを着けてない?
「わたしはね、」
跳ね除ける決心をしかねてる間に、岬さんは俺の右手を自分のスカートの裾の辺りの太股にひっぱってくっつける。それから、その俺の右手を包むように指の間に指を差し入れて握って、少しスカートの中へ入れようとしながら、
「今でもたくが好き。」
と、耳元で囁いた。
スカートの中から生温かい空気がどよんと右手に触れた。その感触でなぜか俺は理解した。咄嗟にその手を振りほどき、振り向き、岬さんを見る。
びっくりするほど、俺の心臓がばくばく言っていて、ほんとに皿のように目を丸くしている。
すると、あの、よく見た上目遣いの目つきで俺を見ながら、自分の右手の人差し指を咥えて、小さめだけれども桃色が鮮やかな舌をゆっくりと出し入れしてその咥えた細い指を舐め上げた。
まるで幽霊を見たかのような動きで俺は転びそうになりながら出口に向かって、扉を開けて、外に出て、後ろ手で扉を閉めると、その場にしゃがみこんでしまった。息切れさえ、している。
まだ、心臓はばくばくとしていて、いつのまにか勃起した股間が服の上からでもわかるようになっている。目をぱちぱちとさせるけれども、さっきの指を舐める姿と指でぬらりと光る唾液とが頭から離れない。
そこへ、扉の向こうから岬さんの声がした。何事かを話していた。そんなに長い話ではなかったと思う。気がつけば、俺は熱に浮かされた患者のようにふらついた足取りで、取り敢えずトイレに入って、心臓と気分と、取り敢えず股間とが静まるのを小一時間程、頭を抱えたりして待った。
そうやって、落ち着いて、トイレから出て、自販機でお茶を買って一口飲んだ時、俺には咲という恋人がいる、という事実を思い出した。
危なかった。
暑さのせいかシャツが少し汗ばんでいる。冷たいお茶が気持ちいい。側のベンチに座ると少し気が楽になった。
もし、岬さんがちょっとでも肉体的な接触を図ってきたら、今頃は飲まれてしまっていたかもしれなかった。
再び頭を抱える。
もちろん、ただ俺がここの学生でその縁で小説を持っていってあんな歓迎をされたとすれば、岬先生はただの痴女という事にもなるだろうけれども、いかんせん、俺たちの間には四年程の思い出がある。それも、俺は思春期であり、岬さんも性欲に対して肯定的な性格をしている中での四年間だった。
さすがに外はもう暗くなっていた。その、昼間に比べれば涼しい空気を胸いっぱいに吸いながら、できるだけ会わないようにしよう、と、心に誓った。
早く咲に会いたい。
作品名:第九回東山文学賞最終選考会(4) 作家名:ボンベイサファイア