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小さな鍵と記憶の言葉

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「それで、今回も貴方は付き合ってくれるんだ」

 通りすがりにてきぱきと指示を飛ばす白兎は、執務机に座っているのと同じくらいの仕事数を捌いているらしかった。ここまで徹底していると、私用で連れまわすこと自体が後ろめたくなってくる。
 それでも私がひとりで壁の向こう側に行くことは許可が貰えない。まぁなんというか、お城の中で迷子になるような人間が一人で出歩くなんて無理にきまっているから仕方がないのだけれど。

「当たり前だよ」
 長い耳を持たない兎は何事もないように頷く。取り澄ました瞳がこちらを見下ろすので、にやりと口元を歪ませて返した。
「それで、今日は何を作るの?」
「今日はフルーツタルト。上に乗せるのは何がいいかな、フィンは何が好き?」
「僕? 僕は、うーん。さくらんぼなんかいいんじゃないかな」
 思い出すのは近所のケーキ屋さんのチェリータルト。さくりと広がるバターの香り、きらきらと輝くさくらんぼの実。
 ああ、あんなものが作れたらどれだけ幸せだろう。

 兎の穴と呼ばれる通用口を抜ける。アーチのように組まれた庭木の下を抜けると、その先には外へと続く門が待っている。城の正面の門よりふた回りほど小さな、おそらく最も利用のある門だろう。それを証明するように、両手を広げれば届いてしまいそうな門の両側にはクローバーが二人立っている。そしてその他にもう一人、見回りの騎士の姿がある。振り向いた顔に少しだけ緊張が走る。
「こんにちは」
 気取られないよう先手を打って笑顔を返す。相手は――セレスタインは一瞬の隙も見せず、私に静かな会釈を返した。その様子にほんの少し戸惑って。
 だって、会釈だけでもすごい進歩に思えるくらい、私達は言葉を交わすこともない。『あれは真面目だから』と苦い笑みを浮かべた《王》の言葉を思い出しながら、それでも穏やかに歩み去る後姿をじっと追いかけてしまう。


 門から外に出ると、数日前より色が鮮やかに見えた気がした。
 ケイの言ったとおりだ。夏の到来を前にして誰もが浮き足立っている。活気溢れる広場は、まるで夏休みの縁日のよう。勿論暑くはないけれど、見上げた空には半透明の積乱雲がある。

「この城だって時間は流れているから」
 なんだか見違えるようね。ささやかな私の感想に、白兎が答える。
「人間だけでなく街中が季節の変化を祝っている。アリスが見てくれるから、誰もが安心して時間の経過を楽しむことが出来るんだ」
 紅玉石のリンゴをひとつ手にとって。その表面に空の影を映すリンゴを覗き込む自分の姿さえ見えて、これじゃどちらが閉じ込められているのか分からなくなる。

「でも、綺麗だね」

 呟くと彼が笑う。君のお陰だ、と。
 私は確認できずにいる。もうすぐ春が終わり小夏が来る。私の眺めていた季節が終わる。
 空を見上げると強い光線が目をさした。くらりと触れる頭痛から逃れ、門の外へ外へと足を踏み出していく。深く吸った最後の春風が静かに喉奥に広がっている。
 今はこれでいい。彼らとともに季節の変化を見守り、時を刻み、仮初でも立派な自分の居場所を素晴らしく思えるようにありたい。

 ――さあ、次の季節へと。