小さな鍵と記憶の言葉
腕時計と運行表を交互に睨みつけながら、溜め息を吐く。
それから、普段利用するバスが主要路線でないことと、学校を出るのが遅かった自分の両方を恨めしく思った。
――次のバスまで、30分もある。
試しに生徒手帳に挟んだ時刻表を見ても、その事実はどうしたって変わらない。
落ち込んでいるときって、どうしてこうも悪いことが重なるんだろう。ひとつひとつは小さなものだとしても、ずんと沈んでいる肩にのしかかれば全部が重たくて。携帯電話を見てみればバッテリーも危ない。読みかけの小説は机に忘れてきたし、だからといって30分、バス停で立ち尽くしたままぼんやりできるほど私も器用じゃなかった。
仕方ない、顔を上げて坂を下る。遣る瀬無い気持ちを楽器ケースと共に抱え直し、私はすぐ側の公園に行き先を定めた。
昼と夜の隙間。青空と夕空の間の空気はどこか切なげで、それは普段子供達で賑わっている小さな公園でも変わらなかった。
色付き始めたカエデ、色褪せ始めたサルビア。そして静まり返った噴水。どれもこれもが、暮れゆく日々を象徴している気がした。
私は噴水前のベンチに腰を下ろした。昼のうちに太陽を浴びたそれは、ほのかに温かい。
目を閉じる。どこかで規則的な音がする。
カチ、コチ、カチ、コチ。それは私が好きな音に似ていた。
祖母の家にあった、大きな時計。普段は人の入らない奥の部屋で、息を潜めるようにして時を刻んでいた柱時計。文字盤が曇るくらいに埃をかぶって、それでも彫られた紋様は綺麗だった。
時間の流れを示す存在なのに、まるで時が止まっているような。その振り子の音に耳を澄ましていると、何故か安堵を憶えたものだった。
最後に祖母の家に行ったのはいつだったろう。高校にあがってからは一度も行っていないから、少なくとも2、3年は前のはずだ。
あの柱時計はまだ動いているだろうか。
変わらずに、時を刻み続けているだろうか。
変わらずに――
夢の入り口に差し掛かった気がして、慌てて目を開ける。
なんだか凄く心許無いのは何故だろう。
近頃はずっとこうだ。朝起きて、夜ベッドに潜り込むまで。学校行きのバスの中でも、授業中のふと気の逸れた一瞬も、息をつくお風呂の間でも。
一言では表せない不安、不満。気鬱。虚脱感。その先の見えない不安定な気持ちが、私の奥を支配する。
忘れられるのはクラリネットを吹く間だけ。そしてその安らぎのひとときが終われば、すぐまた重苦しいものが心に進入してくる。
『逃げてばっかりいるような人には、絶対に負けないから』
子供のまま変わりたくないと思いながらも、変わらずに居ることは出来ないのだと思い知って。
だから余計に、どうしていいか分からなくなる。じわりと心の中が冷たくなって、思わず泣きたくなる。
冷たくなる心とは反対に、温かいものが視界を緩ませる。溢れそうになって慌てて目を擦った。少し塩辛い。
その一瞬、強く風が吹いた。耳元で音が聞こえるほどの冷たい木枯らしだった。
それに後押しされて、私は何とか本泣きになるのに耐えた。
作品名:小さな鍵と記憶の言葉 作家名:篠宮あさと