小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

壊した鏡

INDEX|1ページ/2ページ|

次のページ
 
『壊した鏡』

十八になったハルカは、何も変わりのない生活に苛立ちを感じ、わけもなく両親と喧嘩した。喧嘩した後、いつもベッドで泣いていた。そんな娘を見かねた父親は、「お前の人生はお前のものだ。自由すればいい」と言った。
その一言で、ハルカは山形から東京に出た。

東京に来て七年が経つ。長い下積み生活を経て、今や売れっ子となったハルカは、高層マンションに住んでいる。常に雑誌記者の注目を集め、恋人もいて、まさに幸せの絶頂にいた。ところが、ある日のこと、恋人のアツシと別れることになった。
ことの顛末はこうである。
――その日のアツシは何やら落ちつかない様子だった。
「どうしたの? 何かあったの?」と聞いた。
「いや、何も」と口ごもった。
「嘘でしょ?」とハルカが相手の心の中を窺うような目を向けると、彼はさり気なく顔をそむけた。
「本当のことを言って」
「言いにくいことだけど、これはずっと考えていたことだ。だから、その気持ちは変わらない。実は、君と別れたい」
突然、予期しなかった言葉に返答を窮した。
「悪いと思っている。突然、こんなことを言うなんて」
「何でもないわ」と笑みを浮かべた。
「でも、どうして? 好きな女でもできたの? まさか、あのぽっちゃりしたキミコさんという人?」
ハルカは平静を装っていた。いやそうではない。自分でも気づかぬうちに演じていた。心の中は煮えたぎるほど、悔しかったのに。もしもキミコを選んだなら、殺しても許せない気持ちである。が、気取って笑みを浮かべていた。それに、彼女と豚と一緒に並んだらどっちが豚か区別つかないほどぽっちゃりしている。そんな女と天秤にかけるなんて、神をも恐れない行為、ともう一人のハルカが心の中で叫び続けている。
「そうだよ、君に悪いと思っている。でも、どうしょうもない」と答えた。
ハルカの恋人は大学院生でハンサムではないけど頭がいい。それに優しい。女というものは優しい男に弱いのだ。ハルカも例外ではない。
「そんなに気にすることはないわ」と窓の外に目にやった。
窓の下を忙しげに行き交う人はハルカの心を妙にいらだたせた。本当は視線を別のところにやりたかった。しかし、どこにもやり場がなった。
「君は変わってしまった」と独り言のようにアツシが呟いた。
確かに出会ったときのハルカは無名で、普通の身なりをして、普通の若い娘だった。
「私がどういう風に変わったというの?」
「よく分からないが……」と言いにくいそうにうつむいた。
「よく分からないの? それなら言わなくともいいわ」と冷たく言い放った。
「僕はじっと君のことを愛していた。……でも、君はもう、僕の手から離れたしまった」
「やめて、そんな女々しい言い方は」
「そうだね、どうにかしている」とアツシは照れた。
二人は沈黙した。
「いいわ。ちょうど、私もそう思っていたの」
どうして、憎たらしいことを言ったのか、ハルカ自身も分からなかった。自分の中にもう一人、別のハルカがいて勝手に喋っているとしかいいようがなかった。
「それを聞いて安心したよ。僕も……何だか心苦しくて……でも、良かったよ。君はなんてたってモデルだから、僕なんか比較にならないほどいい男が寄ってきていると思っていたから」と言って微笑んだ。
その笑みの意味をハルカはずっと考えた。軽蔑、それとも、寂しさを隠すため、……でも、そんなことはどうでもいいわ。あなたが言う通り、男はいっぱい寄ってくる。とてもセクシーな男たちが。ずっと前からそうだった。でも、そんな男たちを無視していた。だって、たいてい、目的は体だったから。

 恋人と別れて孤独になった。
長いこと、ハルカに孤独な夜はなかった。恋人と一緒にいないときは、いつも取り巻き連中に囲まれていた。“美しいね”、“素敵だよ”、“羨しい”、とみな口々に囃した。そうだ、彼女は美しき女神のように君臨していた。しかしアツシと別れから、みんなで騒いで楽しむ気分になれなくなり取り巻き連中を避けるようになった。一人のとき、ぼんやりとしていると別れた恋人の顔がふいと浮かんで、涙を流すこともしばしばあった。

 別れて一週間くらい経った日のこと。
真夜中にふい目を覚ました。夢みていたに気づいた。アツシと別れたときのことは冗談だったという夢。でも、夢の方が冗談だった。あらためてアツシを本気で愛していたことを思い知らされ泣いた。

 ハルカは気持ちを入れ替えるために部屋の模様替えすることにした。髭を生やしたスペイン風の顔立ちをしたインテリコーディネーターが手伝ってくれた。男前の彼に、たちまちハルカは恋に落ちた。いや、正確にいえば恋に落ちたふりをした。アツシを一日も早く忘れるために。彼は優しく抱いてくれた。が、数週間もすると彼の方から離別を突きつけた。ハルカにとって屈辱的だった。
「君に飽きたよ」
「どうして?」
「君はまるで針金のような体だ。抱いても少しも面白くない」
「あなたが下手だからよ」と負け惜しみを言って冷笑した。しかし、その男はわざとらしく無視して笑みを浮かべ「さようなら」と言って消えた。
こんな惨めな思いをしたのはハルカにとって生まれて初めてだった。

 ハルカは、腹が立ったり、気分がむしゃくしゃしたりすると、鏡に向かい、化粧したり、鏡の中のいるもう一人の自分に話かけたりして、気持ちを落ち着かせた。インテリコーディタから三行半を突き付けられたときも、鏡の中の自分に向かって呟いた。
『何よ、自分が、下手くそなだけじゃない。そうでしょ? ハルカ。女の喜ばせることができない早漏野郎くせに。それに女を人形のように扱って! 最低の男よ。そうでしょ? ハルカ! ねえ、答えて、どうして黙っているのよ』
鏡に向かって呟いても、少しも心が晴れなかった。何かが変わってしまったのかもしれない。あるいは何かが崩れてしまったか。

 ハルカの事務所に新しいモデルが入ってきた。その中でも、ユキが飛び切りの美人だった。十九歳、身長が百七十センチで実にスタイルがいい。そのうえに、どこかコケティッシュな顔立ちをして、男心を揺さぶる。そのせいか、入った早々に評判がいい。反対にハルカへの仕事の依頼が減ってきた。
ある日のことである。こんなことが起こった。ハルカが夜遅く事務所に帰ると、社長とユキが楽しげに話をしていた。
「ねえ、もうハルカさんの時代じゃないわ」。
「そんなこと、口が曲がっても言ってはいけない」と社長が笑みを浮かべて制した。
そこへのハルカが現れた。
「それ、どういうこと?」とユキに問うた。
「え、何か?」
「とぼけないでよ。ちゃんと聞こえたんだから」
「何か言ったかしら?」
「ガキだと思っていたけど、とんでもないアバズレね。かわいい子猫みたいにして。きっと、もう、随分と男をくわえこんでいるのね。全く、今どきのガキときたら手に負えないわ。もう、私の時代じゃないと言ったでしょ? じゃ、聞くけど、誰の時代になるというの? まさか、あなたの時代だというわけじゃないでしょうね?」と皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「ずいぶん、品のない言い方をするのね。アバズレという言葉、そのまま、そっくりお返ししますわ」
作品名:壊した鏡 作家名:楡井英夫