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はるかな旅の空

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 「空がきれいかなー。はんが、こまんか子を抱いてきた日も、こげんな空やったなー。雲がもくもくっち。よか日じゃったなー。」

 雲がもくもくと水平線から湧き上がっている。
 久しぶりに、チョウを誘い、海に出た。チョウは、すっかり年老いた。チョウを初めて浜で見た時、この間、亡くなったばかりの父が姿を変えて戻って来たと思った。
 言葉を教えた。英語とパトワ語である。この島では、公用語は英語であるが、普通は、皆、パトワ語で話をした。老人には、難しかったようだ。
 遠いアジアのチャイナから来たように見えて、この島に少し住んでいる彼らと違うように見えた。船が難破して、この島に打ち上げられたのか。何故、この島に来たのか、言葉がわからず何もわからない。
 しかし、それは、もうどうでもいい。彼を父のように慕い、彼に見守られて自分は成長した。肌の色は違っても、父として接してきた。
 今日は波が静かだった。大西洋からの風が強い海であるが、今日は凪いでいた。
 「チョウ。今日は駄目かもね。」
 「うーん、こんな日もあるさ。パリー、もう、すっかり一人前になったなー。」
 「ああー、チョウのお陰さ」
 パリーは思う。
 彼が来てから、というより、戦争が終わってから、この国が独立してから、随分、世界が変わったように思う。
 アメリカ軍がいなくなって、町は一時すたれたが、それでも少し活気が戻ってきた。大きなスーパーが出来て、物が豊富に出回るようになった。
 しかし、漁師は貧しいことに変わりない。小さい船に、人生を託す。漁師の勤めを果たして、生きがいを感じる。天気が悪い日は、友人とドミノをして遊んだ。時間は、たっぷりある。時間はゆっくり流れていく。
 ここは、パラダイス。
 皆が言う。豊かな自然、青い空と、紺碧の海。
 チョウにとって、この島の生活は何だろうか。
 時々、ラジオを聴きながら、微笑む時がある。どこの国の言葉か知らないが、その時、一番、表情が和らいで見える。チョウには、家族がいたのだろうか。
 いや、チョウの家族は、ここにいる。現実をありのままに受け止めて、未来に向かえばいい。大西洋は、広い。この海の広さに未来を見れば、それでいい。
 チョウは、充分に生きた。それは、額の皺に刻まれている。少し猫背になってきたチョウの背中に、声をかけた。
 「チョウ。今日は海がきれいだね。」
 「あー。空が青い。こんな、青い空がどこまで続いてるのかね。」
 「チョウ。故郷を思い出す?」
 「そうね。故郷を、忘れる事はないよ。でも今はここに住んでいる。それでいいんじゃないかな。ここは、パラダイスだからね。今を生きれば幸せなんじゃないかな。生きてるだけで幸せなんじゃないかな。」
 チョウは、遠く海を見ていた。

 おていは、今日も浜に来た。海を見ていた。太市と庄吉に会いに来た。
 太市は、今日も畑を耕していた。もくもくと土と向き合う太市は、たくましかった。おていを見て、太市は微笑んだ。
 「とうちゃん、又、庄吉は起きてこんが。」
 「よかが。ほっとかんや。よか子やっで。庄吉は、体がふとかだけじゃなかが。なんかどでかいことをすっかもしれんど。ほっとかんや。よか子やっで。」
 「じゃらいなー、よか子じゃらいなー」
 幸せとはこんなことなのに違いない。今年は、少し収穫が少ないかもしれない。来年もきばらんなら。
 「庄吉を起こしてくっで。」
 おていは、太市に声をかけて、家に向かった。家まではほんの少しの距離。
 おていは、海に入っていった。
 「はんが人生じゃが、はんが好きにしやい。庄吉、庄吉!」

 海を見ていた。紺碧の海。
 白い砂浜に老人は座っていた。長い長い旅だったような気がする。しかしその旅は終わりに近づいている事を、老人は、知っていた。
 老人の脇に、まだ幼い少年が坐っている。ピースである。パリーは、老いてきた母を助ける為に早く結婚した。すぐにピースが生まれ、こんなに大きくなった。
 ピースは、“グランパー”といって、自分を慕ってくれる。祖父ではないが、そういってくれる少年を孫のように思うときがある。
 老人は、足についた砂を少し払いながら、細くなった足を見た。
 老人は、ここに座って、海を見るのが好きだった。空を見た。そこには、色々な形をした雲が、東の方に流れていく。おにぎりや、魚や、お坊さんや、剣を持った武士や、そんな形。
 長い、長い旅だったような気がする。旅した自分は幻想を見ていたのか。ここにいる世界が現実で、あの暗黒の中の空間は幻想だったのか。
 「メーサ!」
 久しぶりに彼女の名前を呼んでみた。砂遊びをしていたピースは、首を傾げながら老人を見た。
 旅を始めた時、老人は、筋肉で張りのある太い腿をしていた。腕を曲げるだけで、力瘤がふくれて、胸の筋肉がピリピリと震えていた。
 あれから何年たったのか。母は、泣いただろうか。泣いたに違いない。しかし、結局は、自分を許してくれたように思う。
 「はんが、人生やが、好きにしやい。」
 後で、そういってくれたに違いない。好きにしようと思った人生が、思ってもみなかった人生になってしまった。
 太陽が、老人の少なくなった髪を通して、頭の地肌を焼いていた。何かぼーっとなるような感じがしていた。目を細めて、微笑んでいるように見えたが、流れる汗が、涙にも見えた。
 ゆっくりと、海が、水平線が立て向きになるのを見た。
 「グランパー?グランパー!」
 遠くで声がした。走っていく少年の足が見えた。
 そうだった。ピースだった。自分の命はピースが繋いでくれる。
 お迎えなど来ない。そう思うようになっていた。あの世など、天国など、極楽など、そんなものはもうどうでもいい。あろうがなかろうが、それは、空想にすぎない。
 自分の生きてきた世界は、存在していた。そこで自分は生きてきた。信じる事が出来る。生きた証しがある。
 ピース。ピースが命を繋いでくれる。
 はるかな旅の空を見た。どこまでも青い空を見た。
 遠のく意識に、急に光が差し込んできた。
 自分は、消滅する。死は、消滅して生を終える。いや、原子に戻るのか。原子は、存在する。死は消滅に違いない。
 消滅するからには、そこには、苦しみなどあるはずがない。楽しみもない。いや、あるもないも何もない。生きて命を繋いだ。それだけだ。それだけで、人生を終えた満足を感じる。そう思うようになった。
 大きなまばゆい光は、沢山の大きな円を描き、輝き続ける。光は、沢山の色があるようで、ないようで、わからない。
 暖かい。とても心地良くて、気持ちが静まる気がする。何か聞こえるようで、何も聞こえなかった。静かだった。
 ふと、自分がその光の中心に吸い込まれていくのを感じた。吸い込まれながら、メーサを感じた。
 心の中にメーサを感じた。

 「やっと、来たんだね、やっと、会えたんだね。」
 母のおていが、ささやいた。
 花瓶を持っていた。
 白い花瓶。
 白い花が挿されていた。
 あの白い花。

 「マミー!マミー!」      
(完)
作品名:はるかな旅の空 作家名:おさ いの