WishⅡ ~ 高校1年生 ~
(だから、“やりたい事”……)
慎太郎が航の肩に手を置いた。
「俺がお前の傍にいるのは、居心地がいいからだよ」
航が顔を上げる。
「変な気、使わなくて済むし」
「ほな、足、ちゃんと治ったら、また、ライブ……」
航の言葉に、今度は慎太郎の顔が曇り始めた。見詰める航の前で、慎太郎の首が静かに振られる。
「ダメだ」
「シンタロ?」
少しなら、ほんの少しなら予想していた言葉だった。それでも信じられなくて、航が慎太郎を見る。
「それ以外なら付き合ってやるけど、ライブだけはダメだ!」
「なんで!?」
訊かれても、それは、言えない……。
「祖父ちゃんとおんなじ事……言うんや……」
航の声が震える。
「俺、倒れたから!? また、倒れるかもしれへんから!?」
杖を突いたまま、航が詰め寄って来た。その涙目に慎太郎が怯む。
「もう、絶対、倒れたりせえへんから、足治ったら、一緒に!」
慎太郎が首を横に振る。
「ダメだ!」
「……俺……、俺……歌いたいのに……なんで、みんなで……“ダメ”って言うの……」
慎太郎の胸倉を掴み、航が声を詰まらせた。
「なんで、俺の気持ち……分かって……」
「お前は……」
掴み掛かっている航の手を引き離しながら、慎太郎が航を真っ直ぐに見返す。
「じゃあ、お前は、俺やお祖父さんの気持ち、考えた事があるのか?」
航の動きが止まった。
「目の前でお前が倒れて……。意識のないお前にずっと付添ってた俺の気持ち。折角元気になった孫が意識不明になっちまった、お祖父さん達の気持ち! 考えた事があるのか!?」
「だって!」
考えなかった訳ではない。でも、それは、ある意味想像がつかないものである。
「……ライブ、楽しかったんやもん……。倒れたかもしれへんけど……、楽しかったんやもん……」
それは、慎太郎も同じだ。
「でも、俺は……楽しかった事より、お前が……お前の意識が無くなった時の方が……数倍……痛かった……」
「……シンタロ……」
「もう……あんな思いは……したく、ない……」
視線を落とす慎太郎に、航は思い出す。病院で自分が目覚めた時の慎太郎の涙を……。
「……俺……。絶対に……倒れへんから……」
縋りつくような航の言葉に、
「ダメだ!」
慎太郎の答えは変わらなかった。
「今度は、絶対……」
「ダメだ!!」
掴まれたままの航の腕から、力が抜けていく。
「……わかった……。……もう……いい……」
片手で頬を拭い、一歩下がり、顔を上げる。
「学校も、一人で行けるから。シンタロ、バイト、探して」
「航……」
「わがまま、いっぱい言うて、ごめん」
ペコリと頭を下げると、そのまま慎太郎に背を向ける。そして、
「航! 帰りは、一緒に帰……」
慎太郎の言葉を聞くこと無く、ドアが閉まった。
ある程度の予想はついていた。
“ダメだ”の一言で航がそう簡単には引き下がらない事も、酷く傷付く事も……。言った事で、自分自身も傷付いて、その結果、自己嫌悪で……。
真っ暗な部屋の中、膝を抱えたまま、ぼんやりと外を見ていた。
小さい頃、辛い事があると土手の柵の所でこうしていた事を思い出す。
『……そうだね……』
優しい低い声。大きな手が頭をポンポンと叩くと、色んな“嫌な思い”が出て行ってしまって、本当にやらなければいけない事だけが見えてきた。
「……ふー……」
大きく息を吐き、低い声を思い出す。
『少し、お兄ちゃんになればいい……』
「“少しお兄ちゃん”……か……」
窓の外、聞き覚えのあるヒールの音が響いて来た。
もしかしたら……と思いつつ、何度も否定していた言葉だった。
緊張の中、それでも楽しかった。それは同じだと言ってくれた。でも……。
夜の道、家に向かいながら、杖とそれに頼らなければならない自分の右足を見る。
「……治っても、歌われへんのかな……?」
慎太郎が最後に言った“ダメだ!”の強さが、そのまま、慎太郎の意思を表しているようだった。
「……でも、そしたら、俺は……」
一緒にいたくて、歌いたくて、“ここ”にいるのに……。なんの目的もないままに一緒にいる事は、迷惑ではないのだろうか? それは、この足よりも負担にはならないのだろうか?
暗い道。自分の居場所を見失いそうになった航の目に、家の明かりが飛び込んできた。
「……シンちゃん……?」
香澄が帰宅した時、明かりの点いたリビングに慎太郎の姿は無く、真っ暗な自分の部屋で、ぼんやりと外を眺めているのを見つけた。
「どうしたの?」
真っ暗な部屋の中、佇んでいる息子の肩をそっと叩く。
「……言いたくなかったんだ……俺……」
囁くような声に、航と“その話し”をしたのだと分かる。
「あいつが傷付くの、分かってたから……」
母が黙って頷く。
「どんなに楽しくても、あの痛い思いは……俺は……。楽しい思いは一緒だけど、あいつに、あの痛みは分か……」
「分かる、と思うわよ」
母の言葉に慎太郎が振り返った。
「去年の夏、航くん、シンちゃんにしがみ付いて物凄く泣いたって……」
“木綿花がね……”と笑う母。
「無事だって分かった後も、あなたに会うまで、本当に辛そうだったのよ」
「……俺……」
まるで小さな子供に返ったかのような姿の息子の隣に腰を下ろす。
「ちゃんと同じ思いをしてるのよ、二人とも」
抱え込んだ膝に埋まっていた顔をゆっくりと上げ、
「あいつ、右足、動くようになってたんだ。月曜から、一人で行くからって……」
外を見たまま、慎太郎が言った。
「そうするの?」
微笑んだままの母の顔を見た慎太郎が、決意したように首を振る。
「一緒に行く! 居場所がないかもしれないけど、傍にいるって……」
「医師(せんせい)と約束したから?」
「自分で、そう決めたから!」
慎太郎の言葉を聞いて、母が頷いた。
「じゃ、夕飯にしましょうか。遅くなっちゃったけど」
立ち上がった母が、慌ててエプロン姿に変身するのだった。
“一人で行く”宣言をした航に見付からないように、数メートル離れながらの登下校が一週間続いた。
お互いに知らん顔している訳ではない。校内では、最低限必要な会話はしていた。
でも、一度離れた距離はなかなか戻らなかった。
一週間は短くて、あっと言う間に夏休みに突入。航は相変わらずリハビリに通い。慎太郎は、母の了承を得て、バイト探しに必死になっていた。
そして、更に一週間が過ぎていこうとしていた。
「……お祖父さん、航ちゃん、又……」
居間から二階を見上げて、航の祖母が心配そうに呟いた。
夏休みが始まって一週間。病院へ行く日以外は、半日以上もの時間、ギターの音が聴こえる。祖母が声を掛けようが、犬の小弥太が擦り寄ろうが、黙々と弾き続ける航の姿に祖母は不安を隠せないでいた。
「ライブはともかく、慎太郎くんまで遠ざけてしまう事は……」
祖父は新聞を見詰めたまま、言葉を返さない。
「明日、病院の帰りにでも……」
そう言ってお茶を出す祖母に、新聞の陰で祖父が小さく頷いた。
作品名:WishⅡ ~ 高校1年生 ~ 作家名:竹本 緒